オレの幼馴染は昔から、割と突拍子もないことを言う奴だった。だから大抵のことは驚かなくなったけど、そんなオレでもとんでもなく驚いてぽろりと針が手から抜け落ちた。糸を通してあったのにと普段なら慌てるが、それどころじゃなかった。

「……悪ぃ、なんて?」
「だから、俺、東卍抜ける」
「な、んで」
「まあ、高校は行くつもりだから勉強しなきゃだし、そろそろ親孝行しようかなって」

 聞き間違いなんかじゃなかった。聞き返す前からちゃんと耳に届いていたし脳は理解もしていたけれど、それでももう一度問いかけたのは、単純に信じられなかったからだろうか。
 手芸部の部室に居残っていたオレにお疲れと声をかけ、今朝コンビニで買ったというクッキーを差し入れてきた。その時はなんら普段と変わらないように見えたのに、とんでもないことを平然と言ってのけるものだから、落ちた針を拾うのが遅くなった。

 ぽつぽつと他愛無いことを話すナマエの声に耳を傾けながらコンクールの制作を進めていく、この時間が好きだった。こんな関係がずっと続くと思っていた。
 別に不良をやめたら縁が切れるなんて思ってない。幼馴染なんだから家だって近いし、会おうと思えば会える。理由だって正当なもんだ。そう思っても拭いきれない、気持ち悪くまとわりつくような予感。

 ナマエが俺から離れていく。それを嫌だと思うも、どう言葉にすれば良いか分からなくて気付いたら手が止まっていて、ナマエが立ち上がっていた。

「ごめん、邪魔したよな」
「っ、いや、違ぇよ」
「この話、マイキーとドラケンにはちょっと前に報告してっからさ、隆からは何も言わなくて大丈夫だから
「……は」

 さっきまでは戸惑いと困惑だったオレの感情が、かすかな憤りと焦燥に傾く。オレは今初めて聞いたのに、マイキー達は先に知ってる? なんでだよ。なんでオレが一番じゃねえの?
 そりゃマイキーは総長でドラケンは副総長で、だから最初に相談すべきなのかもしれない。でもオレとお前は幼馴染で東卍に誘ったのもオレで、そんな大事なこと、オレに一番に言うべきじゃねえの。

 コンクールの作品は放り投げ、扉に手をかけようとしたその手と反対の手首を掴んで引っ張った。驚いたように振り返ったナマエを扉に押し付ければ、なんとなく自分よりも薄く細い気がする身体。
 その肩が僅かに跳ねたのを視界の端で感じるが、そんなことは気にしている余裕はなかった。

「なぁ、ナマエ」
「……なに」
「理由、ホントにそれだけか?」

 ナマエを閉じ込められたことで少しだけ冷静になれた頭で改めて思う。さっき告げられた理由は別におかしい内容じゃなかった。だけどナマエは成績も悪くないし、行きたい高校への判定はそこそこだったといつか話していた気がする。
 何より、なんとなく感じる違和感。ただの勘だけどナマエがオレに何か隠しているように思えて、オレはそれが気に入らないんだと思った。

 問いかけに対して、ナマエは答えない。ただ少し俯いて考える素振りを見せているので、体勢はそのままに答えを待つ。オレに引く気がないと思ったのか、少しため息を吐いた。伏せた瞼をくるりと縁取る睫毛が揺れた。


「東卍に、好きな奴がいて」

「………え、……は……?」
「一緒にいたくて入ったけど、一緒にいる方がしんどいかもって、最近、思った」

 好きな奴。え、男? ウチには男しか居ないし、男だよな。
 誰? マイキー? ドラケン? 場地? 一緒にいたくて入ったってことは、ナマエが入るより前にメンバーだった奴ってことになる。創設メンバーと、後は誰がナマエより先に入ってた?

 一緒にいる方がしんどいって、そんなこと思っちまうぐらい、そいつのことが好きなのか。そう思うと途端に湧いて出る嫉妬心。
 この数年間ずっとそう思ってたのか? オレといる時もずっとそいつのこと考えて、そいつだけ見てたのかよ。
 
「……そんな、好きなの」
「…………うん。めちゃくちゃ好き」

 視線を伏せたまま切ない笑顔でそう言うナマエがとんでもなく可愛く思えて、どくりと心臓が熱くなった。ナマエにそんな風に思われる、誰かも知らないそいつが羨ましくて堪らない。男同士だとかそんなこと関係ない。オレなら全部受け止めて向き合って、お前のこと離さないのに。

 だけど一緒にいて苦しいってことはきっと今はまだ片想いなんだろうから、ナマエがそいつとデートしたりキスしたり、その先をしたりすんのはたぶん、まだ先のこと。

「……もしそいつと付き合ったら、オレのこと後回しにすんの?」
「え?」
「そう考えたら、すげぇ嫌なんだけど」

 嫌だ。幼馴染で一番長くそばにいて、絶対にオレが一番近くにいる存在だったはずなのに、それを誰かに取られるのが嫌だ。オレの家で妹達と遊んでくれたり、ナマエの部屋でダラダラ過ごして気付いたら寝ちまってたり、こうして放課後に付き合ってくれたり、逆にハンバーガーが食いたいっていうナマエに付き合ったりする時間が好きだ。ナマエのピアス選んだり服屋でコーディネートしたりすんのも、バイクのケツに乗せんのも、ナマエを笑わせんのもこれからもっと色んな思い出作んのも、全部オレがいい。

「我儘でごめん。応援したいけど、ナマエの一番は、ずっとオレがいい……」

 言ってて恥ずかしくなってきて、ナマエを壁との間に閉じ込めたまま俯く。長子なんて生まれた時から下の妹に何もかも譲ってばっかだし、一度イヤになって逃げ出したけどそれ以来気にはならなかったから別に構わなかった。それが当たり前だったから、末っ子気質な奴も多い東卍でだって、それなりに聞き分け良くやってきたけど。

 ナマエのことはどうしても譲りたくなくてなんとか絞り出した言葉だったのに返事も反応もなく、怒らせたか呆れられたかと不安になって落としていた視線を、上げたら。

「……は、」
「っ! お、まえ、ほんとさあ……!」

 熱でもあるのかってぐらい顔を真っ赤にしたナマエと目が合って、ナマエは手のひらをこちらに向ける形で顔を隠して目を逸らす。隠し切れていないその頬や耳は何度瞬きをしても赤くて、図らずともオレまで顔が熱くなる。

「え、あ、ナマエ……?」
「あーもうばか……! どけ、先帰る!」
「はっ、え、ちょ」

 俺の胸を頼りない力で押し返し、ナマエは出て行った。
 何だ今の。何が起きた?
 自分が言ったことも大概だが、それよりもナマエのあの表情。もしかしてと思わない方がおかしい。あんなかわいい『ばか』は初めて聞いた。そんなことを思うのは、オレがおかしいからなんだろうか?

 もし、もしもだ。ナマエが言っていたヤツがオレのことだったとして、アイツは何て言った?

───……そんな、好きなの
───…………うん。めちゃくちゃ好き

「あ゛〜〜………!!」
 
 思わず唸ってはしゃがみ込んで頭を掻く。そうしたところで、この心臓がおとなしくなることも顔の熱が冷めることも、アイツの顔ばかり浮かばせる脳の思考回路が正常になることもないけれど。それでも耐え切れず、意味のない行動だってせずに居られない。

「……かわいー顔してんなよマジで……」

 例えばオレがあいつに迫って、間近で目を合わせたり額をくっつけたり、キス、したり。そんなことをしたら、あいつはどんな顔をするんだろう。さっきの顔がまた見られるのか、それよりもっと違う表情を見せるのだろうか。きっとどの顔も可愛いんだろうと思うと、やっぱりいつか俺以外のヤツに見せるのは堪え難いと思った。

 明日からどうしようと思いながら、放り出した作品を拾う。コレはコンクール用だけど、服のデザインとか考える時に無意識にアイツが着てるとこ想像してたこともあるし、そもそもアイツのサイズ感と髪型や雰囲気でラフを描いてたことも何度もある。

 自覚してしまったら、もう気付かないフリなんかできない。これから、場地に勉強教えてたりマイキーを甘やかしてたりするのはなんとなく邪魔してしまうかもしれない。集会の後にドラケンやぺーやんがナマエをバイクのケツに乗るかと誘うのなんかは想像するだけでムカつくので、断固阻止する。

 とりあえず後でナマエの家に行こう。アイツの母親はオレに好意的だから、アポ無しで行ったとしても快く部屋に通してくれるだろう。そうしてアイツの目を見て確かめて、絶対に逃がさない。
 イエスだろうとノーだろうと関係ない。オレの気持ちを伝えてアイツの気持ちを聞いて、話はそれからだ。


その不整脈に棲みつきたくて


今更だって笑ってくれ




title by 英雄
2021.11.22