別に、叶う叶わないはどっちでも良かった。というよりも、叶うわけがないことは最初から分かっていたので何か特別なことを望んだわけじゃない。副総長には好きな人がいて、そして誰がどう見ても両片思いだ。失恋の痛みなどは感じなくて、むしろ早くどちらかが告白すれば良いのにとすら思う。

 そう、副総長の恋路に関しての気持ちはそんな感じだ。エマちゃんという女の子はとても感じの良い子で二人はお似合いだと思うから、虚しい気持ちにも特にならない。同性相手に淡い初恋なんてものを拗らせた馬鹿な自分が、それを諦めるに足る十分魅力的な女の子だから。

 しかし、Wこの人Wに関してはどうもそう客観的な視点で見られないので苦手だ。

「ケンチン、どら焼きなくなった」
「あー、今日はもうストックねぇわ。帰りにたい焼き買ってやるから我慢しろ」
「え〜〜〜」
「マイキー重い、離れろ」

 東京卍會の総長。無敵のマイキー。副総長ことドラケンくんに、エマちゃんを除いて──いや普段の様子なら寧ろ想い人であるエマちゃんよりも──最優先されている人。

 結論から言うと、俺は総長があまり好きではない。いやそれだと語弊があるかもしれないが、W苦手Wという言葉では少し足りないような何とも言えない感情があるので仕方ない。
 勿論その強さには憧れるしトップに立つそのオーラやカリスマ性はすごい。尊敬はしているけど、好きな人の頭の中を一番に占める人だ。エマちゃんなら俺なんかが恋敵なんて言えるわけもないので少しも嫉妬のような感情は湧かないが、総長は違う。
 同じ男。その上で、ドラケンくんに世話を焼かれて距離感も近くて、憧景も親愛も一身に受ける人。

 羨ましいとかそういった感情を向けるのはお門違いだと分かっていても、ついそう思ってしまうものだから仕方ない。

 集会が終わってその帰り。バイクなんか持ってない自分はいつも通り、幼馴染の千冬あたりに乗せてもらおうと思っていた。人が疎になり始めた頃、前の方にいる千冬を見つけて「あ」と声が漏れたのは少し間抜けだったかもしれない。

「ち──」
「なぁ」

 千冬、と呼ぼうとしたそのタイミング。すぐ近くで声がして咄嗟に振り返る。名前なんか呼ばれていないがなんとなく自分に話しかけられたような気がしてのことだったけど、すぐに後悔した。どちらかと言えば下っ端ばかりが並ぶ後ろの方の列なのに、何故こんなところに総長がいるのだろうか。

 にこりと笑う総長と目が合ったし周りのざわつきも聴こえているので現実だと分かるけど、突然のことで返事ができない。

「オマエさ、バイク持ってないよな」
「え、」
「オレが家まで送ってあげる」

 混乱。人生でここまで混乱したことは無いかもしれないってぐらいの。あまりの驚きに咄嗟の返事ができなかった。

 総長の愛車はそれはもう誰が見ても格好いい。別に総長のことが苦手でもバイクに罪はないし、カスタムの施されたそれを見る度にそう思ってきた。でも後ろに乗せてもらうとなれば話が別だ。切実に断りたい。千冬とは家の方面だって一緒なんだから断然千冬の後ろがいい。百歩譲って、一度だけ乗せてもらった場地さんの後ろ。

 しかし総長とは当然このチームで一番偉い人で、そんな人の誘いを断るなんて選択肢が存在するのかどうか。そもそもどう言葉を返すのが正解か分からず、言葉を探すのに苦労する。

「……えっと、俺、ですか」
「うん」
「お、気持ちは、ありがたいんですけど。俺なんかが、総長のバイクに乗るわけには……」

 この人の眼が苦手だ。昔馴染みの人達の前ならともかく普段は喜怒哀楽が分かりづらくて、何を考えているか読み取れない。ぐっと顔を近づけられて思わず後ずされば誰かにぶつかり、後ろから聞こえた声の感じから千冬だと思って「ごめん」と言ってから反射的に振り返ろうとした。したのだけれど、顔の両側を掴まれて総長と目線を合わせられた。

「なんでオレが話してんのによそ見すんの?」
「っす、いません……」

 殺気のようなものは感じないものの逆らえない圧を感じて拒否できないことを早々に悟り、「お願いします」となんとか言えば「ん」と短く返事をした総長はにっこりと笑っていた。戸惑う周囲のメンバーや俺に声をかけようとする千冬の声を聞きながらさっさと歩き出したその背中について行きながら、ああ今日は運のない日だと思った。
 総長に目をつけられた原因を考えたが、てんで思い当たる節がなかった。誰にも何も言っていないのに、まさか態度や言動から総長が苦手だと知られたのだろうか?

 ぐるぐると考えのまとまらない思考を頭に抱えたまま歩き、みんながそれぞれのバイクを駐めている場所まで来ると、総長のバイクの近くにいた三ツ谷くんやパーちんくんが訝しげな視線でこちらを見た。それはそうだ。俺みたいな下の中か下の下かってぐらいフツウの平隊員、チームを引っ張っている隊長達がよく知るわけない。
 だけどそれにも構わず、総長は愛機に跨ってその後ろを指差した。「おじゃまします」とどうにか声を発して後ろに座った。




 そうして家まで送ってもらって、バイクに傷をつけないよう細心の注意を払って降りた。何故俺に声をかけたのかは恐ろしくて聞けず「ありがとうございました」と言って頭を下げると、「ナマエってさ」といつもと変わらない声のトーンで言われ、下の名前でいきなり呼ばれたのにも驚いて顔を上げた。ばちりと目線が合ってそれを逸らせないままに一拍ほどの沈黙に身を任せた。総長への態度を改めるような何かを言われると、ただそれだけだと思っていたのに。

「ケンチンのこと、そーゆー意味で好きなの?」

 地上にいて息ができなくなるなんて、そんなのは作り話だと思ってた。酸素は十二分にあるのに息苦しいなんて、自分には縁のない話だと思っていた。思わず呼吸を止めてしまうなんてこと、起こるわけがないと思っていた。

 だから言葉が出てこなかった。真面目に否定するにも惚けて肯定して尊敬の意を付け加えるにも、すぐに声を出さなきゃ意味がないのに。



▽▲▽▲▽



「ナマエ、今日、集会のあとそのままオレん家来て」
「……はい」

 俺の気持ちがバレた時に総長は何も言わなかったけれど、ただそれ以来声をかけられるようになった。集会終わりだけじゃなくて学校帰りだとか、何もない筈の休みの日とか。知られてはいけないことを知られた自覚はあるので断れなくて、総長と過ごす時間が自ずと増える。

 下僕みたいに扱われるのかと思ったけどそんなことはなく、喧嘩に付き合えと言ったり買い食いについて来いと言ったりおんぶをしろと言ったり、まあパシリではあるんだろうがそこまで無理難題を言われることはない。傍若無人な日頃の状況を見ていただけに少し拍子抜けだけど、平和に越したことはない。

「ナマエはさぁ、ケンチンのどういうとこが好きなの?」
「……強くて格好いいとこですかね」
「へぇ」

 総長は度々この問いかけをした。「包容力」だの「力強い背中」だの「声」だのと、思いつくものをその時々で適当に答えた。

「じゃあナマエはもし恋人ができたとして、何されたら嬉しい?」

 この問いかけは意図がよく分からなかったので少し悩んだ。「二人ででかけて買い食いしたり、そういうのでいいんじゃないですか?」と、当たり障りのない返答をした。

「他には?」
「まぁ……、特別感とかあると嬉しい、かも?」
「特別感って、ナマエだけに何かするってこと?」
「まあそう、ですね。自分だけに甘えてくれるとか、弱音を吐いてくれるとか」
「……ふーん……」

 自分で聞いてきたくせに総長はそれほど興味なさげだったのはちょっとイラッとしたが、まあそんなマイペースは今に始まったことではないので忘れることにした。

 総長はただオレをバイクの後ろに乗せたり部屋に呼んで膝枕をさせたりするだけだった。時々頭を撫でろと言ってきたり買い食いのたい焼きを一口寄越せと言ってきたりする程度の、誰でもできそうなことを命じてきた。オレのも食っていいよとたい焼きを差し出された時には、槍でも降るのかと心配になったけど。


 そんな関係が続いたある日、副総長とエマちゃんが一緒に居るのを見かけた。あー、やっぱお似合いだなぁ。副総長と居る時のエマちゃんは本当に嬉しそうで楽しそうだし、逆もしかり。知っていたけど、いざ目の当たりにするとしんどいのも確かで。
 そろそろ潮時なのかもしれない。東卍を辞める、というのは前々から考えていたことだ。千冬にだけ言って、まだ誰にも言うなよって釘を刺した。
 





 それからも総長は副総長よりも俺をそばに置くほどだったけど、まあ一通り俺で遊べば満足してそのうち飽きるだろう。
 つい昨日まではそう思っていたし総長の言動もそれを思わせるものだったが、今日は様子が違った。

「……あの、総長」
「WマイキーW」
「いや、あの」
「じゃWマイキーくんW」
「…………マイキー、くん」
「ん。ナマエ、何?」

 ベッドに座れと言われてその通りにすると、後ろから羽交い締め──ではなく、抱きつかれている。羽交い締めと称したのは、抱きしめられているみたいな今の状況を言葉のままに飲み込みたくなかったからだ。
 それなりに本気で抵抗を試みたが回された腕はものすごい力だったのでまず解けそうになく、とりあえず総長に説得を試みることにした。しかし呼びかけるだけでも分かるこの頑な具合。まあ気が済むまで解放されないだろうなと思いながらも一応問いかける。

「離してくれませんか」
「無理」
 即答。

「……膝枕とかにしませんか」
「今日はこれがいい」
 これもほぼ即答。考えるような間もおそらくは素振りだけだろう。

「なんでこんなことするんですか?」

 どうせ無駄だろうと分かりつつ、流れで何気なく言ったつもりだった。だけどその言葉に心なしか総長の身体が強張り、そして返事は返ってこない。
 もしかして地雷を踏んだだろうか? 喧嘩はまあ嫌いではないけど、強すぎる人にボコボコにされるのはもはや喧嘩ではないから、できることなら回避したいけど。

「……ナマエはさ、そんなにケンチンがいーの」

 ぽつりと呟かれた言葉は、怒っているというよりも拗ねているという感情が近い気がした。顔が見えないので真意の程は分からないけれど。
 脈絡のないそれにどう反応すべきか悩んでいると、お腹に回った腕の力が増してちょっと苦しくなった。

「東卍辞めたいって、ケンチンのせいなんだろ」
「……、あー、えっと……」

 千冬には誰にも言うなって言ったのに、何故知られているのか。そして知られていることを俺が知らないのは何故なんだろうか。思わず溜息が漏れたが許して欲しい。

 総長はらしくなく遠回りな会話を続ける。そもそも、俺がやめてもチームには何ら影響は無いだろう。仮にやめてほしく無いと考えているとしたら、「辞めるな」と言えばいいだけ。とにかく、要領を得ないって言葉を使うのはこういう場面で合っているのだろうか。とりあえず聞いているという意思表示はしてみたものの未だに困惑していると、ぐりぐりと背中に頭を押しつけられた。

「えっと、なんですか」
「甘えてる」
「は?」
「ナマエがケンチンのこと見なくていいように」
「……それ、総長は俺のこと気に入らないってことですか?」
「…………はぁ?」

 いや、圧。今まで甘えたの弟みたいな仕草と声から一転して急に総長の圧を感じて背筋が伸びる。まあ背筋を伸ばすどころか動けないわけだけど。

 副総長に俺みたいなのが見られてんのが嫌なのかと思って聞いたのに、心外だというその雰囲気を隠しもしない。

「ッ、うわ!」

 さて次の言葉をどう切り出そうかと逡巡していると、グンッと強い力で引っ張られた。身体が浮いたような感覚すらあったので、ほぼ持ち上げられて投げられたと言っても過言ではない。その体軀のどこにそんな力があるのかが本当に不思議だが、そんなことを考えている場合ではない。俺の身体はベッドに仰向けに転がされ、その上に覆いかぶさるような体勢で総長が俺を見下ろしていた。今度こそ殴られるのだろうかと一瞬考えたが、総長のその表情があまりに真剣だったので身構えるのはやめた。

「好き」
「…………、は?」
「だから二人ででかけたし、買い食いもしたし、最近ケンチンにあんま世話焼かれないようにして、ナマエにだけ甘えて、かっこ悪い弱音も吐いた」
「えっと、」
「ナマエが好きだから、ナマエに好きになってもらいたくてアピールしてんの、オレ」

 好き、という言葉を言われたのはたぶん、中一のときに女子に告白された時以来だ。その時はなんとなく礼を言って、だけどその子のことは別に好きとかじゃなかったから軽く流した記憶がある。
 どういう意味だろう。いやそういう意味で? もしくは揶揄ってるだけ? そうだったら流石に冗談が過ぎる体勢と眼差しだ。

「……ケンチンばっか見てないで、オレのことも見てよ」

 するりと頬をなぞられて、顔に熱が集まる。いや、だってこんなの、照れない方がおかしい。これがただの冗談だったら総長は俳優にだってなれる。そのぐらい、それで茶化して済ませるには張り詰めすぎた空気だ。
 ドッドッと心臓の音が煩い。総長のことは尊敬している。副隊長に世話を焼かれるのは羨ましい妬ましいと思いつつ、その強さやカリスマ性は本物だから。だから俺が今感じている熱さとかぞくぞくする感じとかそういうものは、憧れみたいなものからくる誤作動だ。

「ナマエ」
「……っう、ぁ、待って、」
「誤魔化すなよ。なぁオレ、ホントに真剣なんだけど」

 思わず顔を隠した俺の腕を、総長が掴んで外そうとする。その手の温度すら過敏に感じてしまう。絶対に今顔を見られたくないと思うのに力の差は歴然で腕はがばりと退けられ、せめてもの抵抗で顔を背けた。俺の顔を見ようと躍起になっていた総長はぴたりと言葉も動きも止めた。

「……ナマエ」
「嫌です」
「まだ何も言ってねえじゃん」
「ロクでもないこと言おうとしてますよね」
「チューしたい」
「ほら!!」

 やっぱりろくでもないじゃないですか! と暴れる俺の腕も足も抑えつけて総長の顔が近づく。ぎゅっと目を瞑ると額に柔らかな感触。

「ホントのチューしてえから、早くオレのこと好きになって」

 さっきまでオモチャを見つけた悪戯小僧みたいな表情だったのに。ぎゅっと抱きしめられて耳元で呟かれた言葉は縋るような響きで妙にしおらしくて、俺はどうすればいいかわからなくてただただ耐えるしかなかった。

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