同性を好きになってしまった挙句に酔った勢いで告白までしてしまった。普通は気持ち悪がられて避けられるか絶交されるか、相手が相手なので殴られるかそのまま殺されるかというところなのに、どうしてかこの灰谷蘭は「別にいーよ。男は経験ねぇけど、オマエの顔は悪くないし」と言って告白を了承した。

 俺の父親は俺が産まれてからも他に女を何人も作ったクズだったし、母親は精神を病んだためか早々に俺を親戚に預けて育児放棄したとんでもない両親だったが、絶対に実ることはないと思っていた恋が成就したのはこの顔のおかげらしいので、人生で初めて親に感謝した。

 付き合えただけでも奇跡だと思って多くを望まないようにしてきた。そもそもの話、人生諦めが肝心だというのはその言葉の通りだ。いつでも何事でも。父親が不倫をして家を出て行ったときも、母親が自身を捨ててどこかへ行った時も、諦めることで傷付かないようにしてきた。



 一番最初に蘭が浮気をしていると気付いた時、湧き上がった気持ちはたぶん怒りや悲しみではなく、ただただ深く鈍い虚しさだった。なんとなくそれに気付いて、そして気付いてしまったことを蘭に伝えると、返ってくる答えはいつも同じだった。

『ナマエが一番だから』

 一番、という言葉に対して、漠然とした安堵と虚無が混ざり合ったものが胸に積もった。俺が一番なのに、なぜ他の女と夜を過ごすのか。その時の俺にはわからなかった。

 それからも、思い当たる場面は色々あった。指摘もしづらくなったので段々そのまま放っておいたが、たまたま女に腕を絡ませて佇む姿を見かけたことを知られた時には「一番好きなのはナマエだって」という言葉とともにキスをされて有耶無耶になった。

 蘭の数多くいる女の中での一番じゃなくて。
 俺はただ、蘭の唯一無二の存在になりたいのに。

 だけど現実なんてのは上手くいかなくて当然で、とはいえまさか本物の浮気現場を見ることになることになってもそれが自分の家、ましてや自分と恋人が眠るための寝室で行われているとは思わないだろう。

 ドラマか何かで見たような展開だけどまさか実際に目の当たりにするとは、と脳内で客観的なことを思う。





 今日に限って早めに仕事を終わらせたのがいけなかったのかもしれない。蘭も早めに終わると聞いていたから久しぶりにゆっくりできるかと思って自然に足取りも軽くなっていた。

 そうして帰宅した玄関。玄関にあった赤いパンプスを見つけ、流石に一瞬息が止まった。空間に漂う甘い香水の匂い。どれも蘭と俺が住む家であるはずのこの空間では少々浮いていると俺は今感じているが、それも結局は欲目が働いているに過ぎないかもしれない。リビングに置かれたブランドのロゴのハンドバッグを見つけた時にはそれを持つ華奢で小さな女性を想像して、そんな女性が蘭と仲睦まじくしているところを想像してみるとなんとお似合いなことか。

 蘭の部屋から漏れる喘ぎ声。俺が蘭に抱かれてきたベッドで知らない女が抱かれていると考えると一瞬確かに嫌悪がよぎったけれど、そういう感情よりも先に「まあそうだよな」という気持ちがすぐに押し寄せた。

 分かってはいた。その自由奔放なところも含めて、蘭を好きになったのだから。
 俺が望むのがいけなかった。欲張りになったのが駄目だったのだ。

 一番が嫌だったわけじゃない。
 だけど数あるうちの一人じゃなくて、蘭の唯一の存在になりたい。蘭にとって他では代えがきかない存在になって愛されたい。

 将来子どもも産めなければ世間的には推奨されない関係である自分だけれど、それでも俺のことが何より大切なのだと言ってほしい。

 なんて、こんな俺が誰かの一番になれたことなんて、生まれた時からついぞ無いくせに。




 なるべく足音を立てないようにして自分の部屋へ入って、数日分の荷物を纏める。暫くは会社に泊まろう。流石にあのベッドでは眠れないだろうから。
 最低限必要の荷物を持ってリビングへ戻ると、蘭の部屋のドアがガチャリと開いた。反射的にそちらを向くと、蘭は一瞬驚いた顔をしてからいつもの笑顔を見せた。

「ナマエ、帰ってたのかよ。おかえり〜」
「……ん、ただいま」
「あ? オマエどこ行くわけ」
「俺のことはいいよ。荷物取りにきただけだから、女の子泊めてあげて」
「……は?」
「暫く忙しくなるし会社に泊まるからさ。その間、女の子呼んでもいいから」
「は、っおい、ナマエ」

 スウェットの下を履いただけの、いっそ清々しいまでに事後である半裸の蘭を置いて玄関のドアを開け家を出た。蘭が引き止めるような態度だったのが意外だったが、それよりも今すぐこの空間から離れたかった。



 その日は会社の仮眠室に泊まって、次の日も同じように会社か近くのホテルに泊まろうと思ったところで、三途さんに声をかけられる。帰る時間を曖昧にして仕事を引っ張りながら話していると、三途さんが俺の腕を引っ張った。

「……来い。家帰れねぇんだろ」
「え?」
「どうせアイツに女でも連れ込まれてたんだろうが」

 蘭と付き合っていることすら公には言っていないのに何故分かるのかとついつい思って、目を瞬かせてしまった。それで確信したのだろうか、三途さんは俺を車に押し込んで自分の家へと連れ帰った。俺が明日オフだということを見越していたのかもしれない。

 蘭の唯一になれないなら、自分も蘭以外の誰かに気持ちを分ければいいんじゃないか。

 自分の身を守るためについ心の中でそう呟いて、三途さんを誘うような仕草をすれば興が乗ったのか情熱的なキスをもって応えられた。しかし三途さんにそっちの趣味は無かったのか、体を重ねるようなことはなかった。当然だ。いくらでも女性が寄ってくる容姿をしているのだから、俺なんかに手を出す必要はない。



▽▲▽▲▽



 寄ってくる女に興味なんかなかった。ただ、ナマエがおれの浮気にどんな顔をするのかは興味があった。女を家に呼んで抱いたのはただそれだけの理由だったが、ナマエはあの日から3日経った今でも帰ってこない。
 電話で話はした。「ナマエが一番だから」と言えば「ありがとう」と笑っていたから、なんとなく心臓のあたりが落ち着いた。なんてことはない、やっぱりナマエはオレのことが何よりダイスキなんだろうなと、そう思っていた。

 部署も管轄も別だから何か用事がない限りは本部で会うことはない。ナマエは三途直下の部下だし、近付いたら三途が面倒だから。

「蘭さん」

 それが、向こうから尋ねてくるなんて好都合だった。仕事の時は必ず敬称と敬語を使う、律儀なナマエは変わっていない。

「ナマエ、ちょっと仕事サボろうぜ」
「……ちょっと今日は、業務が立て込んでて。この書類に印を押して九井さんに回していただけますか?」

 少しの違和感。
 いつもなら少し眉を下げて目を細めて、仕方ないなと少し呆れたように優しく笑うのに、今日は少し口端で微笑んでみせただけだった。

「はいはい。……じゃ、仕事終わりでいーわ。付き合えよ」
「すみません。先約があって」

 またひとつ、感じる違和感。どんな時でも俺を最優先にしていたはずなのに何かがおかしいと思うも、脳内で鳴る警鐘には気付かない振りを決め込む他ない。

「ナマエ」
「あ、……三途さん」

 ホッとしたように三途に笑顔を見せるナマエ。違和感なんてものじゃない。なんでそんな顔すんの? お前の恋人はオレだろうが。

 怒りとは違う何かが胸から喉へと迫り上がる。感じる違和感とそこへ現れた三途、そしてその三途へ向けるナマエの表情はいつだったが自分が向けられていたものと同じ。三途は一言二言指示を出して早々に去って行った。クスリはキメていなかったのか静かで、オレを一目見ることもなかった。

 違う。違う。そんな訳ない。

「……ナマエ」
「蘭さん?」
「お前、アイツと、なんもねぇよな?」

 抽象的な言葉しか選べなかったオレの台詞も意味は伝わったようで、「何もないよ」と穏やかな声で言う。安堵するオレにナマエはそれこそW何でもないW顔で言った。

「だって、W一番はW蘭だから」
 


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