※蘭と竜胆が2歳差という設定







 据え膳、って言葉なら知っている。それこそ辞書や辞典に乗っているような正式な意味は知らないが、広義では好いている相手が自分の目の前で眠りこけている今みたいな状況のことを指すんだろう。

 たとえばその相手が、自分の片割れの──たった一人の兄貴の──特別大切にしている恋人でも。

「……ナマエさん」

 すぅすぅと寝息を立てるナマエさんは兄貴が突然連れてきた恋人で、本当に気まぐれにしか登校しない高校の同級生らしい。一年のときに付き合って、今でもう2年ほどになる。不良や暴走族とはこれといった縁もない人間で、一般人といえば一般人だがこれは少し注釈が必要かとも思う。何せ普通より圧倒的に肝が据わっている。あとは自分も含まれているので敢えて言うと、俺たち兄弟と一緒にいる時点で一般人とは程遠いというのが本音だ。

「ナマエさん」

 さっきより少し大きな声で呼ぶ。ナマエさんは起きない。兄はコンビニに行ってくると言って出て行ったので此処にはいない。コンビニはそう遠くない筈なのになかなか帰ってのでおそらく適当に暴れているのだろう。恋人が家に来ると約束していた時間にも外へ出かけるその自由っぷりは昔から理解しているところだが、しかし恋人と弟を平気で二人きりにするのは如何なものか。

「ナマエさん、起きろ。こんなとこで寝たら風邪ひく」

 3回。3回声をかけて起きなかったら触れてもいい。そう勝手に自分のルールを決めて兄の恋人に触れる自分も大概なのだろう。




 ナマエさんは不思議な人間だった。兄曰く、昔から厳しい教育を受けてきたため甘えさせてくれる人間も、自分に甘えてくる人間もいなかったらしい。兄貴はあんな感じだけど恋人は甘やかしたいタイプだからそのあたりの相性が良かったのかもしれないと自己分析した。
 ナマエさんは恋人の弟だからと、オレを『竜胆くん』とやたらむず痒い呼び方で呼び、本当の弟のようにオレを甘やかした。

 ゆるく開かれた指に自分の指を絡ませ、指の腹で付け根や爪の際をするするとなぞる。女みたいに柔らかいわけではないが、自分や兄の手とは明らかに違うそれ。殴打の衝撃なんかで骨が歪んでいる自分達と違って、本当に真っ当に生きてきた人間なんだろうということはすぐに分かる。

「ん……」

 頬をなぞれば溢れる声。それに引き寄せられるように距離を縮めてしまうのはもう何度目か。もう少しで唇に触れる、というところでガチャリと玄関が開く音がした。「ただいまー」という声とともにリビングのドアが開いて兄が顔を出したので、ナマエさんから離れて「おかえり」と平静を装って返事をしたら、寝ていたナマエさんが身じろぎをした。

「ん、……らん……?」

 オレが名前を呼んでも起きなかったのに、薄らと目を開けて兄の名前を呼んだ。兄の恋人。何度も言い聞かせたそれをどれだけ反芻しても、欲しいものを手に入れたいという気持ちはなくならない。
 まだ寝起きでいつもより舌足らずなその声が可愛く思えるとか、言えるわけがないのに。

「蘭、おかえり。……悪い、ちょっと寝てたかも」
「テスト勉強で寝不足だったんだろ? オレの部屋でもうちょい寝るかー?」

 兄貴がナマエさんの額に軽く口付けて、ナマエさんは擽ったそうに目を細める。オレの前でイチャつく光景にはもう慣れた。兄貴はそもそもなんとも思ってないし、ナマエさんもそれこそ慣れたのだろう。兄貴の今まで出来た彼女なんかは顔は知っていても名前は知らないが、ナマエさんに関しては堂々とオレに紹介してきたし付き合いのすべてを隠さず見せてくる。キスくらいならオレがいようがお構いなしなのがもはや日常茶飯事だ。

「悪い、大丈夫。竜胆くんもごめんな、こんなとこで寝て……」
「別にいーよ。ナマエさん放ったらかして外でてた兄貴が悪いし」
「だってゴム買うの忘れててさぁ」
「ッ、おい、蘭……!」

 あからさまな情事を匂わせる言葉をナマエさんが咎めた。兄が手を引いてナマエさんを起こし、腰を抱いて部屋に連れて行くその背中を見送って、気付かれないよう溜息を吐いた。

 兄のことは大切だ。幼い頃からつい最近まで、自分の世界には自分と兄だけだった。だから、兄が大切にしているものを大切にしなければと思うだけ。兄が愛でているものには愛でる気持ちを持たなければと思うだけ。そう言い聞かせながら、セフレの女に適当に予定を伺うメールを送った。

「竜胆」

 兄の声が後ろから自分を呼んだ。当たり障りのない誘い文句とそれらしい言葉でくるんだ文章を打ちながら「分かってるよ」と返事をした。兄が恋人と部屋でヤっている声を聞きたい訳ではないし、兄は気にしないだろうがナマエさんは気にするだろう。いつも通り適当に外で時間を潰していようかと思ったところで、再度兄の声が響いた。

「さっき、ナマエに何しようとした?」

 怒声ではなかった。不機嫌を押し殺した声でもなかった。なんなら愉悦さえ感じるその声の軽さに、逆に薄ら寒い心地がした。
 ナマエさんは兄の部屋で再び眠ったのだろうか。彼は根っからの優等生で成績は常にトップをキープするため、テスト前は睡眠を削って勉強しているのだと以前兄が言っていた。本当に疲れているので自分が外に出かけることでわざと寝かせた、むしろそのために外ではなく家でのデートを選択した可能性もある。
 普段の兄を知っているだけの人間であれば間違いなく耳を疑うだろうが、兄は本当に恋人を大切にしていた。

「何って?」

 その大切な恋人に、弟であるオレが何か思うところがあると勘付いている。決定的な証拠はない筈と思っていたがさっきのを見られていたのだろうか。さっきのことに限定するとW何もしていないWのは事実なのでシラを切れないこともないが、それでもオレの気持ちを確信しているような兄の言葉の真意が読めない。普通に考えれば恋敵になり得る男への牽制。ただそれにしては笑みを伴うような声音。

 セフレの女にメールを送信したのち、意図を図りかねてただ黙って携帯を見るフリをしていると、兄は「オレあんな本気で独り占めしたいと思ったの、初めてなんだよなぁ」と言った。顔を上げて振り返れば、目を細めた兄と目が合う。

「まあでも、他の奴なら殺してるけど、竜胆なら許してやるよ」
「……え?」
「オレが抱いてる時なら、混ざってもいいぞってこと」
「………、それは」
「けどそれ以上になりたいならやめとけ?」

 兄貴は笑って、ヤりたいなら早めに来いよという言葉とともにナマエさんの居る自室へと戻っていった。セフレの女からメールの返信があり、了承の意を示す内容だったがすかさず断りの旨を返信をした。そのまま軽くシャワーを浴びるために風呂場へと向かう。

 兄貴はああ見えて昔から、弟である自分にそれなりに甘かったように思う。本気の兄弟喧嘩ではまあまあ手当ての必要な怪我はお互いに負ったが、傍若無人で良いとこ取りな一面以外は割と寛容だった。

 しかしその兄貴でも、譲歩はすれど譲りたくないもの。ナマエさんは兄貴のものだし、兄貴がナマエさんの一番。それを頭に入れておけるのなら混ぜてやってもいいと、そういうことだ。

 兄貴に抱かれるナマエさんを見たことはないしものすごく見たいかと言われたらそう言う訳でもないが、とはいえナマエさんと二人きりでセックスをする機会が訪れないのなら3人でという形でもいい。負担の増えるナマエさんには悪いが、そもそもオレ達兄弟に目をつけられた時点で運がないと諦めてほしい。

 あまり早漏だと思われたくないので、シャワーを浴びながらナマエさんの痴態を思い浮かべて軽く抜いたが、いざ兄の部屋で見たナマエさんはあまりに艶かしくて可愛くて、兄貴にハメられてとろとろのその顔にキスをした。
 いつか兄貴とナマエさんが喧嘩したりして関係に一悶着ありそうなら迷わず掻っ攫ってやろうと、そう心の内で思いながら。
 
水中花葬


・竜胆の片想い
・敬愛する兄の恋人を好きになってしまったことへの葛藤
・略奪愛を匂わせる雰囲気

いただいたコメントの上記の要素を意識して書いてみました。(要素薄くて申し訳ないです)

灰谷兄弟の三角関係を考えた時、やっぱりあの兄弟はちょっと特殊な感じがするので普通の片想いにはならなさそうだな…と感じています(とはいえ普通のもいつか書いてみたいですが)。

蘭と同じくらい竜胆もイカれてると思うのでこのまま本当に混ざって3Pに雪崩れ込み、そしてなんだなんだ弟に甘い蘭がこれからも3人で居るのも悪くないかもという気持ちと、弟属性ゆえに甘え上手な竜胆に夢主を取られるという危機感を感じると良いな…と思いました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


title by 失青

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