誰でも良かった。
どこかの通り魔が吐きそうな台詞ではあるがそんな鋭利な意味合いの言葉ではなく、おれを抱いてくれる人間なら誰でも良かった。あの燃える様な赤髪が瞼の裏から薄れる時間がほんの一瞬でもこの身に与えられるなら、それで良かった。
初めては金を払ってでも経験豊富な人にお願いをした方が良いかと思ってそういう店に行った。しかしどうしても頭の隅で赤い髪がちらつき、意志の強い瞳が、そして痛々しくも雄々しい三本の傷がちらつく。結果、後ろを解して少しばかり感じるところを擦られただけで待ったをかけてしまった。こちらが客であるとはいえ申し訳なかったので、金額は多めに支払っておいた。
結局おれの初めてを誰にも捧げられないまま、今もまだお頭のそばでお頭だけに焦がれている。
彼の従える船に乗って10年が経った今、周りに気取られているつもりはないしこれからも勘付かれることは無いという自負はあるけれど、それとこれとは話が別なのだ。抱かれたいという明確な欲は膨らむばかりで、どんな麗しい女性を見ても何も感じないし、どんな精悍な男に誘われてももちろん心動かされない。
あの人がいい。お頭がどんな風に大切なものを愛で、欲望をぶつけるのかを知りたい。なんて、いざお頭が他人を求めるところを見てしまえば海に身を投げてしまうんじゃないかと思う程度には、きっと耐えられないという自信だけはあるが。
とにかくおれはこの燻る気持ちを捨てきれず、かといって船を降りてお頭と離れる選択肢も浮かばないので、今日もおれを抱いてくれる男──正しくは、この男になら抱かれてもいいと思える男──を探している。随分と上から目線な物言いになってしまった気がするがそうではなく、あのお頭と同等におれの心を惹きつける人間は絶対にこの世にいないと分かってはいるのでそこまでではなくても、少しでも似た雰囲気の人間でなければおれはきっといざ本番になってもその気になれず、男を蹴り飛ばしてしまうだろうから。
「お一人ですか?」
仲間たちが飲んで騒ぐ酒屋を抜け出して、喧騒から少し離れた小さな酒場のカウンターで酒を煽っていると、柔らかい笑みをたたえた男に声をかけられた。間接照明を主な光源とした店舗は薄暗く、おれが赤髪海賊団の中でも一二を争う賞金額を持つ幹部だと気付いているのかいないのかは判断しかねるが、少なくとも一般人の装いだった。話を聞くとこの島の人間であるようで、この酒場の常連らしい。
カクテルを奢ると言われ、そういった意味を含んでいるのかと思いつつも好きにさせれば、男はさほど度数の高くないものを注文した。「おれを酔わせたかったんじゃなかったのか?」と聞けば「貴方みたいな人、同意が無ければたとえどれだけ酔わせようと無駄でしょう?」と挑発的に笑う男にふっと口角が上がった。
少々悪い顔といえばいいのか、いたずらに笑うその眼がほんの少しだけお頭を連想させて、たとえばこの男に誘われたなら試しに身体を委ねてみても良いかもしれないなと思いながら注文された酒を煽っていると、店内が少し騒がしくなった。
ふと、入り口の辺りを見てみるとそこに燃える様な赤い髪が見えて、思わず呼吸を止めてしまう。
お頭は宴が好きだ。一緒に飲む仲間は多ければ多いほど楽しそうにしていると思う。現にあの酒場には入り切らないほどの仲間がいたし、外にはテラス席のようなものもあったから店を囲んでの大賑わいだっただろうに。
それが何故こんなところに、というその疑問が解決しないまま、お頭がおれと男の間に割って入るようにして立ちはだかる。
「うちのクルーを口説きたいなら、おれを通してからにしてくれないか?」
クルーを守る船長という図としては普通かもしれないがあいにくおれは男だ。それも、はっきり言って腕っ節にはそれなりに自信のある方の人間である。
つまり守る必要なんかなくて、だから言葉だけ見ればただの冗談だと思えるはずが、漏れる覇気はえらく本物のそれだった。男は少しばかり身震いしながら席を立ち、飲みきらないカクテルだけがそこに残った。
何故そんなにも本気で威嚇するような事態になっているのか分からず、「お頭……?」と背中に声をかけるも反応がない。おれは何かこの人を怒らせただろうか。ただ機嫌が悪いのなら仕方ないが、さっきの男にそこまで苛立つ要素があったのなら、それらはひっくるめておれの責任だ。
「ナマエ、少しいいか」
半身で振り返ったお頭が放ったのはこちらを伺う様な言葉であるものの、有無を言わさないその雰囲気に背中に嫌な汗をかく。こくりと頷くとお頭が金を多めにカウンターに置いて、おれの手を引いた。こんな時でさえ、その手に触れられたところが熱い。
お頭に肩を抱かれて少し早めの歩調で歩かされて、船に着いたまではまだ良かった。「おれの部屋とその廊下に誰も近づけるな」と船番に伝えたあたりから少し疑問は生じたものの何も聞けず、そのまま船長室に招かれて。ただそこまではまだいい。問題はその後だ。
どうしてこんなことになったのか。
両手を捻り上げられて頭の上でベッドに押しつけられ、お頭がおれの上に乗っている今の状況があまりにも理解し難くて、当人に訳や意図を聞こうと思うがこんな体勢でまともに頭が働くはずもない。何せ一年二年の想いじゃない。もうずっとおれは、この人に焦がれているんだから。
「……お、お頭。あの」
「あの男は、おまえをこうして組み敷くことなんかを想像しただろうな」
「……え」
お頭の言葉に思考が止まると同時に、ギシリとベッドが軋んだ音を拾った。お頭はその唯一の腕でおれの両腕を抑えたまま、覗き込むように顔を近付けた。近い。近すぎて心臓が破裂する。
「待っ、て、くれ、お頭……っ」
「じっとしてろ」
一瞬鼻先が触れたのではないかと思うような距離まで近づいて、お頭が好きでよく飲んでいる酒の匂いがした気がした。お頭がおれの耳の下あたりに唇を寄せたかと思えば、次いでほんの一瞬だけ痛みが走った。
「ん……っ」
「………」
戦闘で負う怪我なんかとは比べ物にならないぐらい些細な痛みなのに、それがお頭から与えられていると思うとどうしようもなくて声が漏れた。お頭は何を思ったのか、時々わざわざ音を立てながら唇を押し付けては首や喉元を濡らしていった。合間に耳なんかを食まれれば反射的に背骨が浮いたが仕方ないことだと思う。
どれぐらい経ったのか、ようやくお頭が離れた時にはいつの間にか両手は解放されていて、だけど全身に力が入らないぐらいには疲れていた。顔は熱いし呼吸は浅い。別に何も痛いことや苦しいことはされていないのに。
上体を起こしたお頭は服の隙間から手を入れてシャツを捲り上げた。つう、と腹筋をなぞるような仕草をしたのはきっとわざとだ。そうだと分かっているのに、もう自由なはずの両腕でそれを拒むこともできず体をびくつかせるおれは、お頭の目にどう映っているのだろう。
「良い眺めだ、ナマエ」
もしかして今のが声に出ていたのかと焦ったがすぐにそうではないと分かったのは、お頭のその眼がどんな財宝や至高の酒を見つけた時よりも耀いていたからだ。欲しいものは奪ってでも手に入れるぎらりとした海賊の眼差しはいっそ恍惚とも取れる色をしていて、長く同じ船に乗っているのに何度かしか見たことがない。まさかそれが自分に向けられる日が来るなんて誰が思うだろう。
「おまえが時々酒場を抜け出しているのは、気付いてたんだがな」
お頭の言葉に、どくりと嫌な不整脈が心臓に負荷をかけた。気付かれていた。どこまで知っているのだろうか。相手が女だと思われているならいいが、というところまで考えたところでお頭の手がおれの肌を滑り、胸の辺りを掠めたので思考が止まる。心臓があまりにも速く動くので、ともすれば戦場でそれなりの深手を負った時以上に息がしずらい。
「どんな女に言い寄られてもあっさり断るおまえにも、WそういうことWをしたくなる夜だってあるだろうと思って、見ない振りをしてた」
「……っあ、……!」
お頭の顔が近付いたと思ったら胸の突起を舐められた。思わずお頭の肩を押したが引いてもらえず、舌で転がされて甘噛みするように歯を立てられて、びくんと体がのけぞって腰が浮いた。顔も身体も、何もかもが熱い。
「……これだけでこんなに感じるのか。どこで、誰に、どんな風に触らせた?」
「ッちが、う、おれは、……」
誰にも触らせたことはない、といえば嘘になる。一度だけだが触れられて、だけどその時は何も感じなかった。
お頭だからだ。お頭が触るからおれの身体がおかしくなるんだ。馬鹿な感情をずっと抱き続けて、このままじゃいつか爆発するんじゃないかなんて思って、他の男に開かれるのも厭わなかったというだけなのに。
おれはお頭だけが好きなんだと、言えたらどれだけ楽か。快活で豪快なだけで決して軟派な訳ではない人だけど、それでも人並み程度に女性を好いているのは知っている。
きっと今頃どこぞの女に甘い言葉を囁いているのだろうと思うと酒盛りする気分になれず、早々に船番を申し出て一人で酒を飲んでは虚しくなった夜は一度や二度じゃない。そして、今ここでお頭への想いを口にしてしまえば、降りかかる空虚は今までの比ではないだろう。
下手をすれば彼の懐刀でもいられず、それどころか同じ船にすら居られなくなるかもしれない。そんな想像したくもないことが降って湧いて、結局は声にならない酸素が喉をくぐっただけだった。
「まあ、船長のおれにだって、言いたくないこともあるよな」
「………」
「……そうやって、オトナになって引き下がれたら良かったんだがなァ……」
おれはまだまだだな、なんて呟いたお頭は体を起こして、そしてそのことにおれがホッと息を吐く暇もなくおれの髪を梳いた。地肌にかすかな刺激を与えるだけのその指にぞくぞくと身体の内側が震える。
「酒を飲んだおまえは、やたらに色っぽいんだ。……おれがこれからすることは、おまえにそれを教えるためのもんだと思って受け入れてくれ」
おれを拒むな、ナマエ。
縋るようにそう言われたかと思うとお頭の顔が近付いて、それを認識した瞬間におれの唇が何かに塞がれた。そのW何かWがお頭のかさついた唇だと認識した時には、おれのふともも辺りに硬いものが押しつけられていた。
それから数刻が経ち、初めて熱を受け入れて痛いし苦しいはずなのに、あまりにも気持ちよくて幸せだった。もうこのまま死んでも良いとさえ思うほどだったのに、ひどく優しく抱かれるその最中にやけになって「お頭が好きなんだ」とつい言ってしまったおれを見下ろすその雄々しい人の目を丸くした表情は本当にただ驚いているだけの少年のように見えて。
この人がおれを拒まないのならやっぱりそばに居てずっと剣となり盾となりたいと、そんな風なことを思いながら、うねる快楽に身を委ねた。
永遠の唯一
目を覚ますと朝になっていて、お頭は先に起きていた。掠れた喉で朝の挨拶を交わしたあと、ぽつりぽつりとお頭の質問に答える中で、「おまえを一番最初に抱いたのはどんな男だったんだ」と聞かれたので「昨日のが初めてだった」と答えると、お頭は目を丸くして驚いた。
「……初めて……?」
「うん」
「え、いや、でもおまえ、時々歓楽街に……」
「ちょっと触ってもらったりはしたけど、最後まではしてない」
「……はァ〜〜〜……」
おれが誰かに抱かれたことがあると思っていたらしいお頭は項垂れ、かと思えば顔を上げて「責任は取る」なんてことを言うので、笑って流していたのだが。
後日指輪を送られて右手の薬指に嵌められたかと思えば、時々腰を抱き寄せられたりと距離が近くなったり他のクルーと話している時に割って入られたりするようになり、おれはそこでようやく逃げられないことを知った。最初の夜につけられたような見える位置へのキスマークは何度目の行為でも欠かされることはなく、隠そうとすれば「付けた意味がないから隠すなよ」と船長命令を行使されるので諦めた。
お頭は一度気に入った宝を手放すような男ではないのだと知ってはいたけれど、まさか自分がそのW宝Wになるなんて誰が予想できただろうか。
2022.07.31