※未来if
数日前、チームメイトであるミヒャエル・カイザーに抱かれた。
その時のカイザーは酔っていた。対して俺はそれほど酔っていなかったけれど、酔っていたことにした。
誰と間違えているのかは分からなかったが、カイザーはとても優しく俺に触れた。いつも俺のことを「ヘタクソ」と罵るその口は甘い声で愛を囁いたし、チーム内で低い部類に入る俺の身長を揶揄うようによく頭に乗せられていたその手はあやすように俺の髪を撫でた。カイザーは俺のことを嫌っているはずなので普段なら有り得ないことだけど、実際にそうだったんだから仕方ない。
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自分の恋愛対象が女性だけではないと知ったのはそれなりに昔のことだ。だけど「抱かれたい」なんて思ったのはつい最近のことだった。初めてカイザーに会った時、綺麗で厳かで凛としていて、その強さと美しさに見惚れた。それは事実だったけれど。一つ上でバスタード・ミュンヘンの歴としても先輩である潔くんと同じ日本人だからか少し当たりが強かったが、身内には優しいところもあるのか時々世話を焼かれた。名前で呼ばれるよりも「ヘタクソ」と呼ばれ揶揄われる方が多いがそれは事実なので気にならない。むしろたまに名前で呼ばれた時には嬉しくなってしまって心臓がうるさかった。
接していくうちにどんどん目で追うようになり、そんなカイザーに目を掛けられている人を羨ましいと思うようになった。バスタード・ミュンヘンの中でもネスはカイザーから全幅の信頼を受けている一人で、そのプレーとカイザーへの献身性にはいつも無駄がない。攻撃的MFのネスに対して俺のポジションは一列後ろだけど、前線のFWにパスを出す機会はないわけじゃない。ネスのようになれればもっとちゃんとカイザーの視界に入ることができるかもしれないと思って、練習終わりにはよくネスの元へ行ってアドバイスをもらった。そうしてネスと居ると少しだけでもカイザーからの視線を感じるような気がして、馬鹿な下心に騒ぐ心臓をどうにか誤魔化した。
あの眼にまるで特別なもののように映れたらどんな心地になるのだろう。あの綺麗さと傲慢さが同居する男は例えば愛する恋人にどんな言葉を囁いて、どんな風に触れるのだろう。いつの間にかそんなことを思ってしまうようになって、その相手になりたいと思ってしまって、その日から自慰で後ろを触るようになってしまった。
カイザーはきっと綺麗な女の人が好きだろうなと思う。過去には女優とのスキャンダルを報じられたこともあると聞いたことがあるし、同性同士なんてそもそもがマイノリティだ。たとえばそれ自体に理解はあっても、当事者になれば──つまり実際に同性に好かれれば、困る人間がほとんどだろう。
カイザーのことを思い浮かべて、優しく抱かれるところを想像しながら後ろを弄る。前だけでは達せなくなってしまい重症だと思ったけれど、もう手遅れだった。チームメイトの名前を呼びながら射精をするのがひどく申し訳なく思えて、その日からカイザーと碌に目を合わせられなくなった。
そんな中、カイザーと二人で飲むことになったのは偶然だった。ネスに夕食に誘われてあまり何も考えずに承諾したのち、ネスからWスポンサーとの会食に呼ばれたので面倒だが行かなければならなくなった、代わりにカイザーと行ってきてくれWという旨のメッセージと店のURLが貼り付けられていた。気まずいので断ろうとしたが、よりにもよって相手はカイザーである。彼との食事が嫌だからなどとはネスには口が裂けても言えるわけがなく、そうこうしているうちにカイザーから待ち合わせの場所と時間の連絡が来た。
気まずい雰囲気にならないよう、なんとか平常を装って目を合わせながら会話をした。ネスの予約したコース料理の味はもはやわからなかったが美味しかったと思う。食事を終えて解散すると思いきや「もう少し付き合え」と言われてしまい、何故かカイザーの家でカイザーおすすめのワインやシャンパンを飲むことになった。お酒が入って上機嫌なカイザーは普段より饒舌で、少しかわいいと思ったのだけれど。
眠そうなカイザーが完全に眠りこける前にベッドに寝かせなければと思って肩で支えて運んで、そのまま押し倒されて唇が塞がれた。のしかかられて思うように抵抗できなかった、ということにしてそのまま受け入れた俺はきっとそれなりに最低だろう。
カイザー、と呼んだ声は思いのほか小さく響いた。呼びかけたことでカイザーが正気に戻ってしまったらここでやめられてしまうという狡さが声帯を狭めたのだと思う。期待に疼く体をどうかめちゃくちゃにしてほしいという浅ましい祈りが天に聞き届けられたのか、カイザーはそういった意味で俺に触れた。
カイザーは恋人同士がするような深く艶かしいキスをして、俺の熱の先走りで俺の後ろを解して、胸の尖りを舌や指で捏ねて、ときどき肌や耳朶を甘く噛んだ。そのどれもが俺の想像していた以上の心地よさと幸福で頭がぼーっとして、夢なら覚めないでほしいと幼稚なことを思った。ナカでカイザーの指が動かされるたびにくちゅくちゅと卑猥な音が鳴って、これがローションではなくどんどん溢れる自分のモノからこぼれ滴るものの所為だとは信じられないぐらい、カイザーの指はあっけなく俺の内壁を滑っていた。
正常位で繋がった時にはその背に縋りついて爪を立てそうになったけれど、カイザーの肌に傷を付けるのは嫌でなんとかクッションだかシーツだかを握りしめた。達する時に一度だけ「ミヒャエル」と呼んでしまって、調子に乗ったことを後悔したが行為はそのまま続いた。
翌朝、目を覚ますとカイザーは眠っていた。初めて熱を受け入れた体はそれなりに怠かったけれど、それ以上に幸福だった。眠るカイザーをそのままに全ての後処理を済ませ、カイザーの家を出た。
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「ナマエ。少し付き合え」
練習終わりにカイザーに呼び止められたのは、それから3日後のことだった。あの日のことは俺から何も言っていない。あくまでカイザーが寝ている間に帰宅したとだけ言っているので、別件だろうか。なんとなく目を合わせられないまま頷くと車に乗るよう促され、3日前にお邪魔したカイザーの家に着いた。
腕を引かれるままに進んだそこは寝室で、気付いた時にはもううつ伏せに転がされ、カイザーに後ろからのし掛かられていた。
「っな、なに、」
「これはなんだ」
「え……?」
カイザーが襟ぐりを後ろから引っ張る。少し首が閉まった心地がして息苦しさに見舞われたが、WこれWが何を指すのかが分からなくて困惑する。
「見せつけてくれるなぁ。ついにナマエにも春が来たのかとチームの奴らが言っていたぞ」
「……春……? なにが、っ」
春が来るなんて言葉、雪宮くんあたりが教えたのだろうか。日本語独特の言い回しについてよく日本人選手とそれ以外の国籍の選手とで話しているのでその延長かと思えば、つう、とカイザーの指が首の後ろ──背中に差し掛かるあたりをなぞる。
あの日、正常位から始まって最後には後ろから獣のように奥を突かれた。その記憶が蘇ってずくりと胎のどこかが疼いた気がして、自分の身体があの日確かに『抱かれる側』に塗り替えられたことを悟る。
「誰に抱かれた?」
「……は……?」
「こんな場所へのキスマーク、後ろから抱かれたのかと思われてもおかしくないだろう」
カイザーがあの日のことを覚えていないのは分かっていた。けれど、誰に抱かれたなんて言葉をその本人に言われるとは思わなくて動揺して、うまく言葉にならなかった。痕については気付かなかったけれどそんなものを付けられたタイミングなんてあの日しかなくて、それを伝えるべきかどうかを考えていると、肌に鋭い痛みが走った。
「いッ……!」
それが噛まれた痛みだと分かった瞬間、思わず体を捻ってカイザーを振り解いた。体の下から抜け出してベッドの上で距離を取る。じくじくと痛いうなじを抑えながらカイザーを見ても表情が読み取れず、困惑でぐちゃぐちゃと思考が絡まる。
「……ネスか?」
「え、ぁ、ネス……?」
「お前、アイツには随分と懐いているだろう。……俺には、気を許さないくせに」
「……? ごめん、何て……?」
カイザーの言葉の最後を聞き取れずにいると、ベッドが軋む音がした。すぐ側までカイザーの顔が迫って、きっと今すぐベッドから降りて避けるべきなのに動けない。
「日本には、過去の偉人の考え方を要約した一つに『鳴かないホトトギスなら殺してしまえばいい』という表現があるらしいな」
「え、」
「背景など知らないが、今なら多少なりとも共感できる」
本能的な恐怖がぞわりと這う。思わず後ずさろうとした俺の背中にベッドのヘッドボードが当たってそれ以上は下がれなくて、当たり前のそれに動揺する俺の手をカイザーが一纏めにして俺の頭の上で壁に縫い付けた。
「どうせ手に入らないなら、壊れても構わない」
少し虚な光を孕んだカイザーの眼が細められる。言葉は傲慢でどうしようもないはずなのに、そして腕は抑えられ足は間に体を入れられていて身動きが取れないこんな状況なのに、何故か壊れそうなのはカイザーの方なんじゃないかなんて思ってしまう俺がおかしいのだろうか。
「なぁ、アイツとのセックスはどうだった?」
「まって、違う、俺は」
「もしかして今まで何人か誑かしてきたのか? ナマエクンがクソビッチだったなんて知らなかったな」
「っ、ん」
「胸も開発済みか。それだけ慣れているなら、多少乱暴にしても構わないな」
カイザーの舌が耳をくすぐる。カイザーの手が服の上から胸の尖りを弄る。あの日を思い出して肌が震えて、声が出そうになるのをなんとか堪えたけれどカイザーにとってはそれも気に入らなかったのか、指はぐりぐりと強く乳首を弄んだ。喋ろうとしたら変な声が出てしまいそうで口で静止を促すことができない。
愛なんてない行為が始まろうとしているのに、お腹の下の方に熱が溜まって疼くような感覚があってどうしようもない。俺が抱かれたのも抱かれたいと思うのもカイザーだけなのに、目の前の男にとって俺は誰にでも足を開いて男を誘う人間に見えるらしい。
あの日のあれは過ちだ。だからカイザーが覚えてないのも仕方ない。さっきの言葉からするときっとカイザーはネスのことが好きで、夢の中でネスを抱いていたんだろう。俺がこのまま黙って受け入れればもう一度カイザーに抱いてもらえて、手酷くされればそれがトラウマにでもなってきっと何もかも諦められる。期待なんて無駄だ。どれだけ練習してもネスにはなれないように、いやたとえ誰よりもサッカーが上手くなったってきっと、俺が特別になることはない。──そんなこと、好きになった瞬間から分かっていたことなのに。
「……は……?」
俯いていた視界が滲んでいることに気付いたのは、カイザーの戸惑うような声が聞こえてすぐのことだった。
「ナマエ、……」
「……っ、……」
「泣くな。悪かった。……少し、頭に血が上った」
我に返ったようにカイザーが手を離したことで腕が解放されて、カイザーの肩を押し退けて離れさせようとしたが力がうまく入らなくて動かない。カイザーは突っ張った俺の腕を取り、そして反対の腕で俺の顔に触れようとしたので、思わず振り払った。
「………って、……」
「……? 何、」
「カイザーだって、だれでも、良かったくせに」
止まらない涙とともに、押し込めていた気持ちがぽろりと言葉になってこぼれ落ちた。これを言ったら終わりだと思うのに、この部屋で抱かれた時のあの優しくて甘い声が二度と自分に向けられることはないと思えばもうなんでもいいと思った。
「俺さ、この部屋でカイザーに押し倒されたの、初めてじゃないよ」
「……何を、言ってる」
「3日前にここで、抱かれたの」
「…………は」
カイザーは切れ長の眼を大きく見開いて固まった。珍しい表情だ。サッカーぐらいしかまともな関わりがないからかもしれないが、相手のどんなプレーにも常に冷静に対処して、感情の波を表に出すことはあまりないから。
「ネスとする夢でも見てた?」
「……は、?」
「今日のカイザーと違って、あの日は優しかったな」
「ちょっと、待て。話が」
「酔ってたからしょうがないけどさ、ああいうの気をつけなよ」
「ナマエ、待ってくれ」
「俺は二度とこの家には来ないけど、好きな人いるならちゃんと」
「ナマエ!」
ぺらぺらとうるさい口は止まらなくて、ついでに涙も溢れ続ける。そんな情けない姿を晒す俺を、カイザーはがばりと抱きしめた。涙と鼻水でぐずぐずになっているせいでいつもほのかに香るカイザーの香水の匂いも感じられない。そういえばカイザーの愛用する香水のブランドをたまたま知った時、そのブランドの店の前で立ち止まってしまったことを思い出した。我ながら重症だ。
匂いを感じないことに慣れてくると、どくどくと速い心臓の鼓動を感じた。俺のじゃない。ということは必然的に、カイザーのものということになる。
「……お前に、逢う夢を、毎晩のように見ていた」
「……?」
「我ながらクソほど馬鹿げた話だと思うが、夢の中のナマエは俺のことが好きで、手を繋いでも抱きしめても、そしてキスをしても、お前は全て受け入れてくれた」
カイザーは俺を抱きしめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。最初は俺が出てくるだけだったのに、次第に恋人同士がするような行為を夢の中の俺とするようになったという。
「だからあの日も、夢だと思った」
「あ……」
「ナマエが俺の家の寝室に居るなんて夢以外ありえないと思った。ベッドに組み敷いて見下ろして、夢ならばと思って肌に触れた。指で中を解していた時にナマエが泣いていたような記憶はあるが止まれなかった」
「……ま、っ、カイザー、」
「挿れたら俺ので感じて気持ちよさそうにしているお前がクソ可愛くて我慢できなかった。前を触ってやる余裕もなかったのにお前は中だけで善さそうにして、挙げ句イく時には甘い声で『ミヒャエル』と呼ぶから余計に我慢が」
「も、いい、いいから……!」
自分の痴態があまりに恥ずかしくて声を強めると、カイザーはほんの少しだけ肩を跳ねさせた。俺を抱き締める力は弱々しくてこれは本当にカイザーなのかと思ったけれど、今カイザーの顔を見るのは恥ずかしいので逆に離れられない。
言葉選び一つ一つに時間をかけ、どうにか俺を落ち着かせようとしているのが見て取れる。内容は明け透けなので難ありだけど。
というか、今の内容とこの状況とを照らし合わせると一つの答えにしか辿り着けないわけで、これ自体が夢なのではないかと思う。
「……悪かった。互いに酒が入っていたとはいえ、合意のない行為などレイプと変わらない。クソ最低だ」
「もう、いいよ。大丈夫だから」
「お前は被害者だ。もっと俺を非難するべきだろう」
「俺は、あんまり酔ってなかったけど」
「……おい。俺を弄ぶ気か?」
「それでいうと、弄ばれたのは俺だと思うんだけどな」
「は……?」
そこでようやくカイザーが体を離したので、ほど近い距離で目が合った。神様が創った芸術だと言われたら信じてしまいそうなその綺麗な顔を見上げて、きっとカイザーが本気で迫れば落ちない女の人はいないだろうと思うのに毎晩俺なんかの出てくる夢を見て、夢だと思いながら俺を抱くのなら乱暴にしたっていいはずなのにあんなにも優しく触る。
「……ちゃんと言ってよ、WミヒャエルW」
特別になりたいと思っていた。ミヒャエル・カイザーがたった一人に愛情と執着を注ぐことがあるとしたら、それが自分ならいいのにと思っていた。そんなこと、絶対に叶うわけないと思っていたのに。
「……ベッドの上で俺に愛の言葉を強請るなんて、クソ可愛いなんて言葉じゃ済まされないと思え」
そう言いながら俺の腰を抱き寄せて、「ich liebe dich.」と囁いた。
やさしくない愛を乞うまで
目を覚ますと、腕の中でナマエが眠っていた。それが夢ではないということそのもの夢じゃないかと馬鹿なことを思いながら、その額にキスをする。ナマエは少し身じろいだが目を覚ますことはなく、俺はそっと寝室を抜け出すことにした。
いつもならオフでも7時に起きているのに、昨日夜更けまで熱を分けあっていたためか深い眠りについていたようで時計は10時を過ぎたところを指していた。二度目の朝食にちょうどいい時間ではあるし空腹は確かに感じるが、水とハイセ・ショコラーデ──日本ではココアというらしい──だけを淹れてキッチンを出る。
寝室へ戻るとナマエは起きていて、俺を見るなり「ミヒャ」と少し舌足らずにも聞こえるような響きで俺の名前を呼んだ。昨日の夜、カイザーと呼ぶたびに呼び方を教えたのだ。そうして、WミヒャWと呼ばせるたびに中を締めつけるのがたまらなく愛らしく、何度も求めてしまった。
ベッドサイドのテーブルに飲み物を置いてベッドに乗り上げると、ナマエが腕の中へと入るようにして擦り寄った。
「どこいってたの」
「なんだ、寂しかったか?」
「ん」
「……クソ可愛いな」
まだ覚醒していないのか、ふわふわと微睡みの中にいるナマエのこめかみにキスをして頬や鼻先へとキスを降らせると、ナマエはくすぐったそうに目を細めた。
「ミヒャ」
「ん?」
「昨日、気持ちよかった?」
俺の鎖骨の辺りに頬を寄せながら、やや不安げな声で言う。そのいじらしい様子と昨日のナマエの記憶だけで朝から盛りそうだということには気付かないらしい。
「当たり前だろう。クソ最高だった」
「……そっか。俺も、気持ちよかったよ」
「……昔の男よりもか?」
言ってから、どれだけ女々しいことを言っているんだと思い後悔したが、ナマエは少し驚いた後にくすりと笑った。
「この間のミヒャとしたのが初めてだよ」
「……初めてであんなに感じないだろ」
「そ、れは、……その、……」
ナマエは言いづらそうに言葉を濁して、やがて布団を被ってそっぽを向いてしまった。
俺に抱かれるところを想像して一人で後ろを弄っていたと知ったのは、何度もしつこく尋ねた末のことだった。
2023.07.04
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