※未来if













 長い睫毛に縁取られた眼が好きだ。誰にも興味がないって顔をしてるのに、時々俺をじっと見るあの眼が好きだ。

 綺麗なのに男らしい手が好きだ。本を読む時に優雅にページを捲るあの滑らかな指が俺に触れる時はどこか優しくて、だけど余裕がなくなると荒々しく俺を抑えつける凛の手が好きだ。

 サッカーをしているところも、その堂々としたプレースタイルも、それらを維持するためにトレーニングを欠かさない真面目で努力家なところも。俺は糸師凛の全てが好きだった。

 凛から好きだと言われたことは一度もない。俺の好きだと言う言葉に同じ気持ちを返されたこともない。一緒に住むようになったのは俺がただ身の回りの世話を申し出たから。身体を重ねるようになったのは、放り出されるのを覚悟の上で「好きになってしまった」と俺が告白をしたから。そう、始まりも何もかも全部俺からだった。俺が勝手に好きになってそれを伝えた結果、一緒にいる関係になっただけ。凛が俺といることをデメリットじゃないと感じたから側にいられただけだ。

 だから『糸師凛の熱愛報道』なんていうニュースに俺が傷つくのは自分勝手だ。分かってるのに会うのが怖くて、凛が遠征から帰って来る前に財布と鍵だけを持って家を飛び出してしまった。いつかこうなると頭の片隅で分かっていたはずなのに、いざそうなると自制も気持ちの整理も出来ないなんてあまりにも幼稚だと思った。

 勢いに任せてつい家を出てきたけど、凛には一応メッセージを入れた。たぶん「遠征お疲れさま。何日か出掛けてくる」みたいな文章だったはず。思えば少し簡潔過ぎたかもしれないけど、サッカーをしている間の凛は俺のことなんか気にしないだろう。そもそもその携帯すら置いてきてしまったのでメッセージを送り直すこともできないので、考えてもどうしようもない。
 携帯がないからホテルを調べる術もなく、とりあえずブラブラ歩いて適当なビジネスホテルに入った。今すぐ貯金が尽きるなんてことはないし、財布には現金もそこそこあったしカードも入っている。仕事についてはフリーランスだし納期まではまだ余裕があるし、何日かぼーっとするぐらい構わないだろう。

 これからどうしようか。凛のあの報道が100%真実とは思ってないけど、それでも本当にもしかしたらもしかするかもしれない。それに今回は何もなかったとしても、将来はきっと綺麗な女性と付き合って結婚するんだろう。あの顔であれだけサッカーがうまくて金も持っている男に女が寄って来ない訳がない。

「……会いたくないな」

 口に出した言葉はそれだったけど、本当は会いたかった。おかえりと言って出迎えたい気持ちもあったけど、もしいつか側にいられなくなるならもういっそ会いたくないってだけ。

 そんな矛盾したことを考えながら、ホテルで快適に過ごしていた。ご飯はコンビニで弁当を買って部屋で適当に済ませた。凛はもう帰宅しているだろう。ちゃんと食べているだろうかと一瞬心配になったが、まあ栄養バランスとかには気を遣うタイプだから大丈夫だろうと結論付けた。そこまでの自答で自分の存在意義の希薄さが浮き彫りになる。俺は凛がいないと駄目だと思ってるけど、凛は俺がいなくても何とでもなると痛感したから。




 結局5日ほど滞在したが流石に帰らない訳にはいかず、ホテルをチェックアウトした。滞在中はスマホも何もなくて暇だったけど、かといって部屋にあるテレビを付けてもしも例のニュースが流れたらと思うとリモコンに手は伸びなかった。その代わり頭はすっきりしたし、凛から離れる決心もついた。

 もともと長く続けられる関係性じゃなかった。
 潮時なんだと思う。
 今まで俺の我儘に付き合わせてごめん。
 荷物だけまとめたらすぐに出ていくから。

 それらを伝えて、凛に「ありがとう」と伝える。凛はクールな感じに見えて意外と短気で喧嘩っ早い面があるからぶん殴られるかもしれないけど、それすらも思い出にできるかもしれない。




 さて、覚悟は決めたが流石に心の準備が要るので、まずは凛が練習に行っている間に家に戻った方がいいと思った。朝は7時に起きていつも通りのストレッチなんかをした後、練習場へ行って15時くらいまでボールを蹴っている筈だ。家に戻って携帯のメッセージで謝って、多少なりとも凛の怒りとか諸々を気持ち程度軽減しよう。

 そんな風に甘いことを考えていた俺は、少し躊躇してそろりと家のドアを開けた瞬間、本当に一瞬で家の中に引き摺り込まれた。ドン、と鈍い音と痛みが背中に響く。玄関に引き入れられてドアに押しつけられているということだけは分かった。

「どこ行ってやがった」
「……ぁ、えっと、おかえり」
「その耳は飾りか? どこ行ってたって聞いてんだよ」

 俺の記憶の限り3本の指に入るレベルで怒っているかもしれない凛に、流石にちょっと怖気付く。まあ怒っているだろうなとは思ったけどここまでとは思っていなかった。つい腰が引けてしまって、だけどそれが行けなかったのか眼光はさらに鋭くなり、元々目力のあるその眼から視線を逸らせなくなる。

「き、気分転換に一人旅、みたいな……」
「スマホも持たずにか」
「………」
「何処の誰のとこ転がり込んでた? 嘘吐きやがったら殺す」

 こめかみに青筋さえ浮かんで見える凛を見上げる。何故か凛は俺がいなかったことというより、誰かのところに行っていたと思っていてそれに怒っているようだった。だけどそれに特別な意味なんてない。自分のモノが盗られるのが嫌なんだろう。例えば俺だって、凛が俺のことをなんとも思っていなくても凛のものでいられたら別にそれで良かったはずだった。それなのにどこで間違えたんだろうか?

「……凛、あのさ」
「なんだ」
「俺、もう出ていった方がいいかな」

 俯いたまま呟いてしまって凛の表情も何も分からない。ただ思ったよりするりと口から溢れたその言葉は、自分でも驚くほど落ち着いた声色だった。
 俺が凛だけのものになるのはいい。だけど凛は俺だけのものにならないから、それなのに俺はそれを望んでしまっているから、それが駄目なんだ。俺が凛にしていることなんて精々料理と洗濯、あとは夜の相手。どれも、代わりにこなせる女性はこれから山ほど現れる。

「凛のことこれからも応援したいから、別れたい」

「今まで、俺の我儘に付き合わせてごめん」

 顔を上げられなくて、凛の顔が見られない。沈黙がただ過ぎていく中、さていよいよぶん殴られるかと思っていた矢先。凛の腕が背中に回り、ぎこちなく抱きしめられた。

「……凛?」
「何が、不満だ」
「え?」
「気に入らねえことがあるなら言え」
「いや、」
「勝手に決めんな」
「………」
「……逃がさねえ」

 声は低いのにどこか不安定で、縋るように体に回された腕は緩む気配がない。凛は愛情表現なんかはしない性質(たち)だ。体を重ねている時以外でキスをされたことも、甘い言葉をかけられたこともない。勿論こんな風に抱きしめられるのも初めてで、ぎこちない腕を背中に感じて思わず身じろいだ。それをどう捉えられたのか更に強い力を込められ、僅かに骨が軋んだ気がする。

 不満なんかない。気に入らないことなんてない。凛は悪くない。全部俺が悪い。今以上を望むこと自体が誤りであり過ちだ。だから黙って離れればいいのに、ベッドの上以外で初めて感じるこの体温に縋りたくなってしまう。

「……好きに、なってほしい」

 凛が息を呑んだ気がした。それが俺の言葉によるものか、俺の声があまりにも情けない響きだったからなのかは分からない。

「凛の1番になりたい」

 凛の1番はいつだってサッカーで、いつかきっとその2番目となるような、いやもしかしたらサッカーすら追い抜いて1番になるような女性と出会う。だからどっちみち俺がそこに立てることはないのに、無謀にも欲張ってしまう自分を止められない。

「でもなれないなら、一緒にいたくない……」

 こんな責任転嫁するような言葉を選びたくはないのに止まらなくて、段々と小さくなった声は最後は掠れたような響きだった。しかし凛には聞こえたようで、何を意味するかは分からないが腕の力は更に強くなる。こめかみのあたりに擦り寄るような感触があって、その甘えるような仕草に今度は心臓が軋んだ。

「…………だ」
「え……?」

 凛が小さな声で何かを呟いた。聞き取れなかったことを伝えて聞き返すものの返事はなく、また沈黙が過ぎていく。気付けば少し腕の力が緩んでいたので少し身体を捩って見上げると、発熱か酔っ払いかというほどに顔を赤くした凛と目が合って思わず目を見開いた。

「……なんだよ」
「いや、さっきの、聞こえなくて……」
「二度と言わねえ」
「えっ」
「次勝手な真似したら殺すからな」

 靴を履いたまま担ぐように抱き上げられて、それに抗議する暇もなく凛は真っ直ぐに寝室へと向かった。ベッドに入る前にどうにか靴は脱いだものの、どう足掻いても抜け出せない力で抱き締められたまま布団に引き摺り込まれた。

 間も無くして穏やかな寝息が聞こえてきて、変わらず抱きしめられてはいるものの少し身動きできる状況になったのでそっと顔を覗き込む。よく見ると瞼の下に薄らと隈ができていて、体調管理を徹底している凛にしては珍しいそれを思わず指でなぞった。眠れていなかったのだろうか。もしかして俺が居なかったから?

「……凛、ごめんな」

 首を伸ばして下唇に自分のそれをくっつけた。ここはベッドの上で、セックスの時は凛からもキスをしたりするんだから構わないだろう。
 鍛えられたその体に頭を寄せる。あのニュースのこととか色々聞きたいことはあったけど、久しぶりの凛の匂いと体温とで瞼が重くなる。ここ数日は凛とのことばかり考えていて、俺も少し睡眠が浅かったかもしれない。

 意識を手放す直前、眠っている筈の凛に少し強く抱き寄せられた。その時に聞こえた心臓の音がさっきより速く感じたのが、気のせいじゃなければいいのにと思った。
こときれるなら今がいい


なまえから穏やかな寝息が聞こえてきて、自分の元に帰ってきたことに安堵の息を吐く。息を吸い込めば嗅ぎ慣れた匂いではなく知らないシャンプーの匂いがして少し苛立ちを覚えるものの、携帯も無い状況ならホテルにでも泊まっていたと考えるのが妥当だと冷静になって思う。

 好きだと言ったことはなかった。口下手な自分の考えをいつも汲み取ってくれていたから、それに甘えていた。




 芸能人ではなくスポーツ選手だというのに、自分の知名度にかこつけたのか熱愛発覚なんていう根も葉もないスキャンダルが報道されたのは知っていた。今後一切その局からの取材は受けないと脅せばすぐに取り下げられたので何とも思っていなかったが、なまえからの不自然なメッセージに嫌な予感がした。

 ようやく遠征を終えて家に帰ればいつも自分を笑顔で出迎えるなまえは居らず、胸騒ぎは大きくなる。いつから此処にいないのか、何故連絡がつかないのか。後者に関しては家にスマホがあったことで合点が行ったが、連絡手段がないことに焦りが募る。

 夜になってもなまえは帰って来ず、家で一人で眠るのは随分と堪えた。夜中に目が覚めても当然隣に温もりはなく、虚しく情けないため息を吐いてまた目を閉じた。



「……凛、あのさ」

「俺、もう出ていった方がいいかな」

 ようやく帰ってきたなまえは、いっそ泣きたくなるほどに冷静な声でそう言った。

「凛のことこれからも応援したいから、別れたい」

「今まで、俺の我儘に付き合わせてごめん」

 俺を応援する気があるなら、俺から離れるな。俺がお前と一緒にいるのは、ただお前の我儘を叶えた結果なんかじゃない。

 好きになってほしいと、俺の1番になりたいと、そしてそれができないなら離れたいんだと話すなまえに、胸の真ん中が熱く痛んで息が詰まる。

「……好きだ」

 思わず溢れた言葉はいつもなまえから俺へと無償で与えられてきたもので、いざ口にしてみればとても勇気がいる一言だと知った。あまりにも小さな声になったのでなまえに聞き返され、けれどもう一度なんてとても言えないほどに。



 穏やかな寝顔を曝け出して眠るなまえは知らないだろう。サッカーでの勝利以外、兄への勝利以外欲しいと思わなかった俺が初めて欲しいと思ったのは、お前だけだってこと。手放すはずがない。今回のことは偶然でも女と二人になったことと、思っていることを日頃から伝えられない自分の落ち度だと受け入れるから、そしてそれはこれから伝える努力をするから、ずっと側にいろ。

「愛してる」

 額に軽く口付ければ、なまえが少し微笑んだような気がした。






2023.02.26
title by 英雄

ブルーロック最新巻(22巻)まで読破記念に書きました。