酒というものは恐ろしい。酔った勢いなんてものがこの世にあることは分かっていたけど、自分がそうなるなんて想像していなかった。



 冴のことが昔から好きだった。だけど冴が男である自分を好きになるわけがない。綺麗なアナウンサーとゴシップ誌に載っていたこともある(本人は至極迷惑そうだったが)。
 それなのに一度酒の力で体を重ねてしまって、そこから毎週金曜日に呼ばれては抱かれるようになった。最初に抱かれた時のことは正直、あまりはっきりとは覚えていない。ただ、男に抱かれるなんて初めてだったから痛みだって確かにあったはずなのに、やたら気持ちよかった気がする。頭の中で冴に好きだと何度も言った。それは何度抱かれても変わらない。本人を前にして言葉にできる訳はないから。

 朝起きたら、冴はいつも隣にいない。ベッドの上どころか家にすらいないのだ。日課のランニングに行っている。そんなストイックなところを好きになったのに、怠い身体を起こして部屋を見回して、「さえ」と呼んでみても返事なんて返ってこないこの虚しさは、何回朝を迎えても拭えない。

 冴との関係の名前を考えた時、WセフレWというものが一番しっくりくる。もとよりサッカーが99%を占めるといっても過言ではない冴が、行為をするためだけの相手を気遣う必要なんてないから仕方ない。

 サッカー以外に冴を夢中にさせられるものなんかこの世にないんだろう。俺を家に招き入れるのは、身体の相性が悪くなくて女とするみたいなリスクも、あとは写真を撮られゴシップの的になる煩わしさもないからだ。

 一度冴の家の合鍵を差し出されたけど、冴がいないなら家に行く意味はないからと断った。冴は少し驚いたのちあっさりと「分かった」と言ったからなんとなく思いつきで言ったんだろうけど、なんでもない顔をして爆弾を放り込むのはやめてほしい。合鍵なんて普通は家族か恋人が持つものだから、深い意味がなくても勘違いしそうになる。今も十分に苦しいのに、更に深く関わって抜け出せなくなるのが怖かった。

 このままじゃ駄目だって分かっているのにずるずると関係を続ける自分は馬鹿でしかないがそれでも、今ならまだやり直せる。友人に戻れるとは思ってないけど、世界で活躍するサッカー選手とそのファンにならなれるはずだと思った。

「……あの、冴」
「なんだ」
「俺、ここに来るの今日で最後にする」

 ソファに並んで座って、このあと順番に風呂に入れば後はきっと寝室へと誘われて抱かれる、いつもの夜。ローテーブルの木目を見ながら話を切り出すと、冴の呼吸すら止まった気がした。
 そんなにまずかっただろうか。テレビボードの端に置かれた、スポンサーからもらったであろう卓上カレンダーが目に入る。日付を見てみると初めてこの家で抱かれてから約半年ほどになるけど、だから手放すのが惜しいと思っているのかもしれないけど、冴ならすぐに次だって見つかる。なのに動揺しているように見えて、冴のことが分からない。

 体感的には数分にも感じるような沈黙のあと、冴は俯いて小さな声で言葉を溢した。

「……俺が、サッカーしか知らねえからか」
「え……?」
「でもお前言っただろ。サッカーしてる俺が格好いいって」
「え、あの」
「他に好きな奴ができたのか。そいつは俺よりお前を幸せに、……できる、かも、しれねぇが、……」

 頭の回転が早くて且つ必要最低限のコミュニケーションを図る冴はいつも、言葉選びに迷いがない印象だった。だけど今の冴は俯いたまま顔が見えないものの、尻すぼみな声になり続きを探している。

「冴……?」

 冴の言いたいことがよく分からなくて顔を覗き込むと、そろりと腕が回って抱きしめられた。力は強くないけど縋るような切実さを感じて混乱する。関係が関係なのでベッドの上以外で触れられることは少なくて、心臓が忙しない。

「好きだ」
「は……」
「俺のもんになるって、言っただろうが……」

 冴の言葉を正しく理解することができなくて返事ができずにいると、そっと体が離れて唇が触れた。思考が追いつかないままもしかしてこのままここでするのだろうかと思ったが、セックスをする時のように早急に舌が入ってくることはなくて、ただただゆっくりと唇を食んでは微かに離れてはまたそっと塞がれるのを繰り返した。

 最後に控えめなリップ音を残してキスが終わり、初々しいカップル顔負けの甘さのある行為が途中で恥ずかしくてぎゅっと瞑っていた目をゆっくりと開けると、冴も俺を見ていて目が合う。

「……嫌なトコあるなら直す、から、別れんのは取り消せ」

 冴はまるでサッカーをしている時のように真剣な、それでいて口調とは裏腹な不安そうな表情で俺の眼を見ている。初めて見るその顔に戸惑いながらも、食い違っている言葉の端を摘むようにして声をかけた。

「……え、と、あのさ」
「なんだ」
「え、あの、俺ら付き合ってない、よな……?」
「……は?」

 猫みたいな丸くて切長の目がこれでもかというぐらい見開かれて、ぽかんと口を開けている。レアすぎる冴の表情に見入ってしまって何も言えずにいると、額に手を当てて俯いた冴がため息を吐いた。

「……付き合ってなかったら、今までのはなんだと思ってたんだよ」
「や、そういうなんか、セフレ、みたいな……」
「好きでもない奴を家には呼ばねえ」
「……!」
「……本気でセフレだと思ってたのかよ」

 冴はまた小さく重い息を吐いた。だって仕方ないだろう。好きなんて初耳だし、冴がサッカー以外に興味を持つこと自体が奇跡だ。

「……だから合鍵、……あー、クソ……」

 独り言にも悪態のようにも聞こえる一連の台詞にどう反応していいか分からずにいると、暫くして感情が落ち着いたのか冴が「分かった」と言ってまっすぐ俺を見つめた。少し逃げ腰になったが腕を掴まれ、距離も取れなくなる。

「……俺とお前は初めてヤった日から付き合ってる。いずれ一緒に住むし一生離す気はない」
「俺、で、いいの……」
「お前がいいっつってんだよ」

 冴らしいで済ませていいのか分からないほどには傍若無人な言葉。それを嬉しく思ってしまうのは惚れた弱みか。意志の強いその眼と、何に対しても無関心なのにサッカーの魅力に溺れているその綺麗なプレーが好きだった。
 「おれもずっと冴が好きだった」と言えば、らしくなく不安げだった目元が少し緩んだ。

「……あと、お前は覚えてねえだろうが今日は半年の記念日だ」

 冴は徐にポケットから小箱を取り出した。日本の至宝が健気にも半年記念日なんてものを覚えているなんて、そして多忙な中でプレゼントまで用意しているなんて、一体誰が想像できただろうか。





青春及第点


 冴が取り出したのはネイビーの小箱だった。シックなリボンと高級感のあるその箱はサイズからして中身は予想できたが、よくよく見ればとんでもない高級ブランドのロゴで暫し固まった俺は悪くない。
 この後、経緯はどうあれたかが半年の記念日であるというのにハリーウィンストンの指輪なんてものを買って寄越した冴に、恋人として踏むべき順序やプレゼントの相場というものを説くことになることは言うまでもない。



2023.12.15