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ボスはずるい人だと誰かが言ってた。その時は、へぇそうなのか、くらいにしか思っていなかった。
あるとき、俺が任務で軽く怪我をした。脇腹にナイフがちょっとだけ掠めた程度。出血はすこし派手だったけど臓器にはまったく届いていないから、リカバリーガールの個性ですぐに傷は塞がった。ただまあ怪我はしないに越したことはないし、敵の攻撃は防ぐべきものだから、次は気をつけよう、その程度の感覚だった。
「焦凍」
会合から帰ってきたところなんだろう。正装に身を包んだボスが少し足早に歩いてきて、「ちょっと付き合って」と俺の手を引く。これから夕方の訓練があると伝えたら、もう相澤には伝えてあると言われた。教育係に話が行っているなら、断る理由をすぐに見つけることはできない。
「身体、見せて」
「え?」
「怪我したんだよな。ミリオから報告、受けてるよ」
「けどもう、治って」
「いいから」
この人の声や言葉には、そういう個性でも宿ってんのかってほど、強い力がある。わざわざ自室に招いて怪我を見せろなんて、もう治って跡形もないのに、何の意味が。今までも気にかけてもらっているような言動は多々あったけど、こういうのは初めてだった。色々と分からないなりに服を脱いで、患部だった腰を見せた。パサ、と革張りのソファに服が当たる簡素な音だけが響いた。
「……ん、ちゃんと綺麗に治ってる」
そっと、傷があった箇所に指が触れる。痕なんかない筈なのに、どうしてその場所を辿れるのかは分からなかったけど、ゆっくりなぞられて、淡い刺激に息が詰まる。
するとボスは、傷があった場所に顔を寄せて、唇で触れた。突然のことで、「ひっ」と上擦った声が出た。なんで。何してんだ。腕を突っ張ろうとしても、両手をやんわりとソファに縫い付けられて動かせない。強い力でもないのに、なんで動かせないのか。分からない。
「焦凍は、俺の役に立ちたいとか、思ってくれてる?」
「……当たり前、でしょう」
ボスのため、というよりは、いけ好かないが先代の側近の中でも常にトップを争っていた親父に、実力で並ぶため。先代にずっと忠義を尽くしていた姿を思い浮かべては、俺もあんな風に、誰よりも何よりもまず優先すべきものがあるという、その感覚を知りたかった。
「じゃあ、馬鹿なこと言うけど、怪我しないで」
「…………え?」
「100%無傷はありえないだろうけど、でもそれを目指してほしいんだよ」
焦凍が怪我したら、すごく心配するからさ。
ボスはふわりと笑って、俺の頭を撫でた。ああ、ずるいって、こういうやつか。W部下がW怪我したら、と言えばいい場面で、W焦凍がWとわざわざ言ってしまう、こういうやつのことだろう。他でもない俺が大事なんだと、そう言われてるように錯覚してしまう。ただの部下の一人に、そこまでする必要はない。この人は、唯一絶対的に『ボス』なんだから、
「期待はしてる。俺には焦凍が必要だと本気で思ってる。……でも、ほどほどにな」
そう、ボスなのに、またこういうことを言う。WファミリーWではなくW俺Wがなんて、ああ、頭では分かった。
自分が昔から、愛情ってもんを欲しがってたことは分かってた。親父はあんな調子だし、母親は病気がちだしで、誰かに優しくされることなんかなかった。この人だけだ。まるで自分のことを家族みたいに愛してくれているような、そういう気持ちを教えてくれたのは。
ずるい人ってことも改めて理解した。そして、今まで薄々は感じていて、だけど心のどこかでセーブしてた感情が、遠慮をなくして顔を出した。
───この人のために生きて、この人のために死にたい。
「焦凍、起きてる?」
ある夜の11時。布団に入ってうとうとしかけてたタイミングで、数回のノックと、ボスの声。眠い目を擦りながら、ドアを開けた。ふわりと甘い香りがして、風呂上がりであることを知る。
「寝てた?遅い時間にごめんな」
「大丈夫……、です」
「敬語とか要らないっていつも言ってんのに」
ボスは苦笑して、「入っていい?」と聞いてから、俺の部屋に足を踏み入れた。ボスの申し出を断る部下なんかいるわけないのに、律儀な人だ。
「お邪魔します」
俺の布団にボスが入って、俺が端っこに並んで入る。すると、そんなに端に居たら落ちるだろ、と俺を引き寄せて抱きしめる。
いつだったか。夜伽をしたいと申し出たら、16になってからと窘められた。それだけならまだ納得できたけど、ついこの間、ボスが拾ってきた子どもは、ボスが名前も誕生日もあげて、出生が分からないから年だって分からないはずなのに、夜伽に呼ばれたと言うから、納得できるはずがない。
俺はすぐにボスの部屋へ行って、狡いだの何だのと気持ちをぶつけたのだった。正直、普通なら首が飛んでも文句は言えない粗相だと思う。
「焦凍は温かいな」
耳元で喋られるとざわざわと落ち着かないのに、心地いい。嫉妬に任せた感情のまま抱いてくれと迫ったあの夜を思い出す。無茶を言う俺を優しく諭して、『夜伽はだめだけど、一緒に寝ようか』と、この人の匂いのするベッドで、温かい腕に包まれて眠った。そのときと同じ体温、同じ言葉。
ボスは優しい。だから、月に一度、部屋に呼ぶか、帰りが遅い日ならこうして部屋に来て、添い寝をしてくれる。この優しさは誰にでも平等に与えられるもので、俺だけの特別じゃないけど、少なくとも今この夜だけは、俺だけのボスだ。
ほかのファミリーを知らないけど、きっとこういう人がトップという立場なのは珍しいことなんだろう。常に穏やかで、よく笑う。部下の我儘だって、しょうがないなって受け入れる。
だから早く、その甘い声で名前を呼ばれたいし、その唇でキスをしてほしい。その指で暴いてほしいし、その腕で骨が軋むほど抱きしめられたい。貫いて、揺さぶって、訳がわからないほどぐちゃぐちゃに溶け合いたい。俺で興奮してくれるのかは分からないけど、もしもボスが俺を欲しがってくれたら、何より幸せだ。
「おやすみ、焦凍」
下世話なことを考えていると知ってか知らずか、ボスは穏やかにそう言う。抱き込まれているから分からないけど、きっと綺麗な顔してるんだろうな。
夜伽は次の誕生日が来て、16歳になってから。それはわかってるけど、でも、人の気も知らないで。本当に狡い人だ。
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「………炎司さん、ごめん色々と」
「む。何の話だ、ボス」
「言ったらプロミネンスバーンされそうだからやめとく……」
幹部との会議の後、炎司さんにとりあえず謝罪した。御宅の息子さんが15歳とは思えない色気でめちゃくちゃ誘惑してくることとか、そのくせ寂しそうな顔は幼い子どもみたいで放っておけなくてつい添い寝してあげてることとか、そしたら起きた時の寝顔が整いすぎてちょっと息が止まることとか。言えない。炎司さんの個性はくらっても防いでもアジト一棟無くなる。
「焦凍がどうかしたか」
「いえ、優秀ですよ。……昔からの教育が良いんでしょうかねー……」
最後のは皮肉だ。俺としてはまだムラムラするとかではないけど、とりあえずあの縋るような瞳を向けられた上で断る身にもなってほしいので、どういう教育してんだって心の中で悪態をついておいた。
次のあの子の誕生日が、早く来て欲しいような、そうでないような。逃げ道を必死に作っている今をきっと知らないまま、俺を求めてくるんだろう。本当に狡いなぁ。
愛してやまない狡いひと
ずるいのはどっちだ?
バナナさん、リクエストありがとうございました。
他のキャラとのお話ということで、轟くんで書かせていただきました。このシリーズは割とみんな盲目なのですが、轟くんとかっちゃんはダントツでボスを信頼して心酔していると思っているので、それが伝わると嬉しいです。