さて沈黙を肯定とすべきかどうか、ぐるぐると頭を悩ませる俺の後ろから、拘束をそのままにしている沈黙の張本人が、静寂を作り続けている。これはやはり俺が悪いのだろうか。また悟の機嫌を損ねたのかもしれないが、もともと大して機嫌がよかったわけではないので、気にする意味もないかもしれない。

「……悟、今のは、」
「ちょっと待って。僕、今忙しいから」
「………」

忙しくするのは構わないがとりあえず離れてほしくて、相変わらずがっちりと自身をホールドしている腕の一つを力を込めて外そうと試みたが、「僕忙しいって言ったよね」と本気のトーンで言われ、大人しくするしかなくなった。口調はいつの間にか戻っているので、少し落ち着いたらしいことは分かるけど、何を考えているのか分からない。

「……うん、分かった」
「……?」
「鈍すぎて最早罪だけど、だからこそオイシイ思いできたわけだし、これからちゃんと分からせれば良いわけだから、とりあえずは感謝するべきかな」

今のは独り言だろう。きっとそうだ。そう思い込むことしかできない。そうでなければ困るくらい、あまりにも何を言っているのか分からなかったので、聞き返すこともしなかった。

「なまえ」

高くもなく低くもないテンションでそう呼ばれ、珍しい声に思わず後ろを振り返ると、唇が塞がれた。本当にただ触れるだけのそれは、側から見ると恋人同士のような甘さのある触れ合いに見えるのでは思うが、実際は俺と悟である。少しひやりとした。何か分からないが変に何かを予感させるような。

「僕、君のこと絶対、落とすから」
「……え、あの」
「好きなんだ。ずっと昔、高専の時から」
「は?」

流石にそれは無理があるので、少し間を置いて確認する。

「……冗談だよね」
「酷いな、人の告白を」
「いや、だって」

高専の時から、悟は俺のことが好き。いやそれはないだろう、と出会った頃の悟から思い出して再度確認する。

──傑に見せる笑顔を俺に見せたことなんかないし、傑を誘うみたいに昼ご飯に誘われたこともないし、傑を呼ぶみたいに部屋に呼ばれてゲームをしたこともない。

思い出せる限りで述べると、悟はふい、と明後日の方向を向いた。昨日からの一連の流れで、悟の方から目を逸らしたのは初めてかもしれない。図星だったのだろうか。

ただ、悟はこの手の冗談を言うタイプでもないと思っていたので、更に混乱する。そもそも、メリットがない。この顔とスタイルなら幾らでも女が寄ってくるだろうし、仮に男が好きなんだとしても、どうにでもできるだろう。俺である必要性がない。それでもまるで俺を繋ぎとめようとするみたいな言葉を吐くのは、つまり、真実だということなのだろうか? 分からないことが多すぎる。

「あの頃は、しょうがないでしょ。初めてだったんだから」
「……初めて? 何が?」
「人を、好きになることが」

その言葉で思わず体ごと悟を振り返ると、見るなと言わんばかりに目隠しをされた。一瞬で視界は遮られたけれど、赤くなった頬と耳は少しだけ見えた気がする。

「まあ傑には悪いけど、置いてったのはあっちの方だし」
「……ん?」
「12月24日くらいは、傑のこと考えてても許してあげる。その代わり、ほかの364日はもらうから」
「いや、あの悟、待って」

また傑。今までの話から考えて、俺が傑に関して何か特別な感情を持っていると考えているらしい。何故そんな考えに至ったのか分からない。

「俺は別に、傑のことが好きなわけじゃないから」
「でも、常に僕の隣を探すくらい忘れられないんでしょ」
「……だから、それは」

ほぼ核心をつかれて、手のひらにじわりと変な汗が出る。言わなければいけないのか。これだけを隠し通せば何とかなりそうなのに、悟の発言の数々が紐解いてしまっている。パンドラの箱を開けると、その箱の底には希望が残るらしいが、俺の場合はどうだろうか。

「傑と、いるときの悟が、一番楽しそうで好きだったから」

ひとつ言ってしまうと、あとはもう止められない。ここまで来て、止めるつもりもなかった。せめて俯いて、悟の顔を視界に入れない努力だけはしたけれど。

「無理だって分かってるけど、傑が帰ってきたら、またあの頃の悟が見れると思った」

「夢を、見るんだ。傑がいなくなったときから毎年決まって、どうしてか、12月24日に。──その日が特別になったのは、去年のことなのに」

「夢では、俺がいなくなる代わりに傑が帰ってきて、悟はすごく嬉しそうで楽しそうで、俺はその顔が、見たくて」

「俺じゃ駄目だから。……傑じゃないと、駄目なんだ」

悟の顔が見られない。今度こそ怒っているだろうか。もしくは、悲しませてしまっただろうか。傑を手にかけたときの感触なんかをもしも思い出させてしまっていたらと思うと、やっぱり言わなければよかったと後悔したがもう遅い。
さっきもこの部屋を埋め尽くした沈黙が、また満ちる。帳でも降ろされているんじゃないかと思うほど外界の音も無いので、まさか悟は眠ったのではないかと、ちらりと後ろを振り返る。思ったよりすぐ近くに顔があって、反射的に目を閉じてしまった。けれども悟は何の反応も行動もなく、ちらりと瞼を持ち上げたところで、ようやく静寂が破られた。

「……今、僕のこと好きって言った?」
「え?」
「言ったよね」

とんでもない部分だけを切り取られたので、つい反応が遅れた。いや、もっと大切なところがあっただろう。そんな言葉のあやを拾うのではなく、もっと重要なことが。さっきまであんなに傑に拘っていたのに、そんな中で俺が言ったのは間違いなく傑のことなのに、何故今になってそれが聞こえないのか。その耳は飾りか。もしくは、都合の良いことしか聞こえないのか。

「両思いならキスもハグもセックスもして当然だし、一緒に住むのだっておかしくないよね」
「……おかしいところしかないかな」

基本的にあまり人の話を聞いていないタイプの人間な上、冗談や嘘を割と平気で言う性格だ。俺の前では片鱗すら見せたことはないけど、周りに聞けば皆口を揃えてそう言うはずで、掴み所のない飄々とした態度から発せられる言葉は、半分が真実であれば良い方だ。それは分かっているけど。
満面の笑み、というところまではいかないにせよ、 ずいぶんと機嫌が良さそうに見える。俺に対してこんな風に心を傾けてくれたのはもしかしたら初めてかもしれず、それだけで少し流されそうになっている俺は、たぶん馬鹿なのだろう。

「なまえの言いたいことは理解できたけど、まあ、傑にしてたみたいにするのには、まだ大分かかるかな」
「それは、分かってる」
「……勘違いしないでほしいんだけど、」

鼻先が触れて、唇が重なる。今日だけで何度、その感触を憶えただろうか。

「傑は親友だけど、なまえのことはそもそも、そんなので終わらせるつもりないから」

いくら鈍いなまえでもさすがにこの意味、分かるよね?

念押しされたそれがネガティブな意味ではないことは、抱きしめる力が強くなったことでなんとなく分かる。

「離さないよ。まあもともと、逃すつもりなんてないけどね」

背中が熱い。背中だけじゃないけど、特にぴたりとくっついているから、熱くて堪らない。とにかく早く離れて、服を着てくれないだろうか。