自慢の同級生がいる。自慢の友達、ではないのは皮肉でも何でもなくご愛嬌だ。彼らと仲良くなりたいとかは特に考えたこともない。実力が違いすぎるのは明らかなので任務に一緒に行くことは殆ど無いし、今のままでも特に困らない。
 特に、五条悟。なんかすごい家柄の出身で、よく分からないがものすごく強い術式を持った奴。夏油や家入さんはまだ庶民的なところなんかは近しい部分を感じるけど、五条だけはまるで住む世界が違う。



 日々の鍛錬に関しては俺もきちんと真面目に行なっているがそれでも彼らとは比べ物にならない弱さなので、今日も今日とて通い慣れた医務室を後にしていた。怪我をしたのは数日前で今日は経過観察の定期検診の日だった。早い段階で家入さんに治してもらったのでほぼ元通りになったが、肩からザックリと切られていてまあまあ重傷だった。らしい。数日寝ていたので詳しいことは知らない。

「あ、みょうじ先輩!」
「先輩、もう怪我は大丈夫なんですか?」
「うん。俺が寝てる間にお見舞い来てくれてたって聞いたよ。ありがとな」

 心配したんですよ、と泣きそうな顔で灰原が言い、普段クールな七海も眉を下げてこちらを見ている。今日も後輩が素直でかわいくて頬が緩む。
 そんなかわいい後輩の頭を撫でていると、ぐん、と後ろに引っ張られた。引っ張られたのは制服の首根っこだが、今は俺の腹に腕が回されている。ふわりと嗅ぎ慣れた香水みたいな良い匂いがして、見上げると五条が後輩を睨んでいた。隣の夏油は苦笑いしている。

「コイツは俺らの。勝手に撫でられんな」
「いや、勝手に撫でたの俺の方だし」
「うーん、それもそうだね。じゃ、私たちのことも撫でてくれるかな?」
「いや、夏油まで何言ってんの……」

 後輩二人は慣れたのか特に驚くこともなく、灰原はすいませんと謝りながら笑っていて七海はげんなりしている。巻き込んで申し訳ない。
 これは最近よくある一連の流れだ。俺が先輩や後輩と話しているとどこからともなく二人がやってきて邪魔をしてくる。主に五条の方が。ちなみに五条に合わせて悪ノリしてくる夏油はただの愉快犯であると気付いたのは最近のことだ。



 五条は無下限という誰にも触れられずいられる人知を超えた術式を持っているからか、パーソナルスペースがバグっている。今みたいに後ろから抱き寄せられたり肩に顎を乗せられたり、俺の部屋に突然やってきては漫画を読んでいた俺の太腿を枕にして寝転んだりする。一度夏油に相談してみたが「面白……いや、微笑ましいじゃないか。暫く様子を見てみたらどうかな?」と笑いを堪えながら言われた。夏油が五条の行動及び俺の反応を面白がっているということだけは分かった。

 そもそも仲良くなるきっかけというものに関しては心当たりすらもないが、五条はそんな俺に構わず気まぐれに近寄ってきてはくっつき、時々ぐりぐりと額を押し付けてきたりもするので、俺の中では専ら猫という立ち位置に収まりつつある。ちなみに犬派か猫派かと言われたら俺は僅差ではあるが猫派である。



 そんな全長180cm超え(まだ伸びているらしい)の猫に時々絡まれる日々の中。部屋でベッドに寝転んで漫画を読んでいると、ガチャリとドアが開いた。ノックもせずに入ってくる奴はどうせ一人しかいないので、目線は漫画に置いたままだ。

「みょうじ」
「んー?」
「………」

 五条の声がするところまでは予想通りだったが、返事がないのは不思議に思って漫画をよけて顔を上げる。寝たままの俺に陰が差して額にふにゃりと柔らかい感触があったのは、俺が五条の方を見て俺の眼が五条にピントを合わせるまでのほんの一瞬だった。
 ただただ固まる俺に覆いかぶさったまま、五条はずいぶん冷静な顔をしている。五条と名前を呼んでも離れず、退けと言っても退かない。これはもうぶん殴るしかないのかもしれないが、力の差を考えると報復されたらひとたまりもないのでなかなか踏み切れない。自分よりデカくて力も強い男を退ける方法を画作していると、その五条が目も合わせないままぽつりと呟いた。

「……今日」
「え?」
「今日、俺、誕生日」
「……は?」

 きょう、おれ、たんじょうび。
 咀嚼してみるとなんとも言えない幼さがあるそれは、俺の上にいる同級生が今日、誕生日を迎えたらしいことを意味していた。今日は先週の土日に課外があったおかげで振替の休みだし、任務もないから朝からインドア生活を楽しんでいたので知らなかった。寮内で夏油あたりにでも鉢合わせていれば知る機会があったかもしれないけど。

「えっと、あー、誕生日おめでと」
「……ん」
「…………、そろそろ退いてくんない?」
「プレゼント貰ってねえ」
「……プレゼント……」

 ここで俺の頭には、御三家という由緒正しすぎる家柄の五条と、金銭面で言えば中の中か中の下かという一般家庭出身の自分との差がよぎった。親友とかのレベルならまだしも、普通の友達へのプレゼントなんか今まで駄菓子詰め合わせとかで済ませてたような人間だ。当たり前だ。この高専に来るまで普通の中学生だった人間がそんなに金を持っているわけがない。
 だから、五条の思うプレゼントがどんなものを指しているのかが分からない。コンビニスイーツでも買ってくるか? でも甘いものが好きでよくお菓子を食べているので、そもそも網羅しているのかもしれない。

 素直に聞くのが吉だと思って、未だに俺に跨ったままのその顔を見上げて言う。サングラスがいつの間にか外されていて、いつも隠されている蒼の双眼が俺だけを見ていた。

「何欲しいんだよ」
「何でもいーの」
「まあ、無茶なのじゃなければ」
「……分かった」

 わかった、というその声が呟かれた瞬間。ふに、と唇に柔らかいものが触れた感触に、俺の身体の全細胞が固まったんじゃないかってぐらい動けなくなった。鼻同士も触れ合った気がするのでたぶん一瞬くっついたのは間違いない。
 は、とかえ、とかそんな感じの声を発した俺に、五条が真っ青な瞳で真っ直ぐに俺を見る。その表情はあまりにいつも通りで、今起きたことが現実じゃないみたいな心地になった。

「初めて?」
「え?」
「今の」
「あ、あぁ、うん……」
「ふーん」

 五条がベッドから離れた。ギシリと重みに軋む音がして漸く、俺は上半身を起こした。その後も五条はさっきのアレについて何も言わず、俺の読みかけの漫画を手に取り、飲みかけのお茶を飲んだ。勝手に飲むなとはもはや言わないが、さっきのアレは何だったんだ。

「……え、五条、いまの何……?」
「何でもいいって言ったし」
「………」

 いや、確かに言ったけど。その上で訳が分からないから聞いているのに。
 わざわざ言ったってことは事故などではなく故意だったんだろう。事故であって欲しかった。俺は雑魚でただのクラスメイトで、そして男だ。例えばあいつが生まれつき男が好きなのだとしても、何故自分なのかも分からない。

 五条悟は漫画を読むのもすぐに飽きたのか、座っている俺の太腿ににごろんと頭を載せた。男の膝枕なんて硬いだけだと思うが五条にはそんなことは関係ないらしい。ここからはする日としない日があるが、腹に頭をぐりぐりと押し付けてくる。今日はどうやら猫モードらしい。そして五条はそのまま眠った。マイペースが過ぎる。

 五条の穏やかな寝息だけが満ちる空間で、かさついた自分の唇に指で触れる。明日からまた普通に過ごせばいいのか、何か試されてるのか? 分からないので、良いとこのお坊ちゃんの考えていることが庶民に理解できるわけがないということにした。







▽▲▽▲▽


「なァみょうじ、オマエは思わねえの?」

 聞き慣れない声が放った聞き覚えのある名前に、思わず立ち止まる。校舎裏をちらりと覗けば、見えたのは同級生の後ろ姿と、一つか二つ学年が上のいわゆる先輩というやつだった。名前は忘れた。

「五条と夏油、絶対おまえのこと見下してるだろ」

 ああそういう話か、と聞き耳を立ててしまったことを後悔した。別に見下した態度を取った覚えはないが、確かに入学当初思ったのは『弱い奴が一人いるな』だった。自分や傑のように戦闘力が高いわけじゃなく、硝子のような特殊な力もない。索敵能力は多少優れてないこともないがそれだって俺が視たほうが早いし、だからまあ、見下してると思われているのはあながち間違いじゃないのかもしれない。

「まあ、そりゃ見下したくなるのも分かるでしょ」
「はあ?」
「だって呪術師って、強くなったらもっと強い呪霊祓わせられるシステムじゃないですか。俺よりあいつらのが強いから毎回危ない任務に行ってくれてるし、感謝してます。だから下に見られるのは当然だし、別にそれでもいいかなって」

 呼吸が止まった。そんな風に言われたのは初めてだった。強いから、弱い奴より階級の高い任務に行くのは当然。強くなればなるほど、階級が上の任務に行けば行くほど、胸糞悪い呪いとだって対峙する。だけど別にそれが当たり前だったし、それで誰かに感謝されたいと思ったことなんかなかった。助けた非術師ならまだしも、同じ呪術師には、どうせ術式が強力だからと好きに言われてきたのに。

「後輩が優秀で鼻が高いでしょ?」
「どーだか。クッソ生意気だしな」
「ていうか、俺が馴染めてるか心配しただけで、先輩もあいつらにそこまで思ってないですよね」
「……お前も生意気なんだよ」
「いたっ」

 先輩とやらに頭をはたかれたみょうじが笑う。あまり見たことがない、ましてや向けられたことなんかない同級生の笑顔。俺らとの距離とは違う、親しい人間との距離。気になって立ち止まったもののもう話は終わったしさっさと立ち去るべきなのに、その場から動けなかった。

「それより先輩、ジュース奢ってください」
「奢んねーわ」
「かわいい後輩の相談料払ってくださいよ、デカビタがいいです」
「自分で言うな」
「ちなみに夏油は三ツ矢サイダー、五条はいちごミルクが好きです」
「は? あのガタイでいちごミルク飲んでんの」
「後輩のカワイさ伝わりました?」
「うるせー」

 軽快に語られる自分たちのこと。俺はあいつが普段飲んでるジュースなんか知らなかった。生まれた時から特別扱いされて、誰よりも媚び諂われてきた自信がある。嬉しいわけじゃなかったがそれが当たり前だったから、自分より優先される存在が当たり前に居ることがなんとなく納得いかなくて。
 
「ンな先輩だの後輩だのほっといて、俺んとこ来いっつーの」

 無意識にそんな言葉がこぼれ落ちていた。



 その視線を寄越せと思ったのは初めてだった。人との距離の縮め方なんか分からなかったから色々やってみたけど、結局あいつは困惑するだけ。傑に言ってみれば「押して駄目なら押し倒せって言う言葉があるぐらいだから、ストレートにいってみたら? 何かあったら誕生日プレゼントって誤魔化せば、みょうじなら許してくれるよ。お人好しっぽいしね」と言われたので、誕生日当日に部屋に押しかけて、ベッドに寝転んで漫画を読むみょうじに跨った。

 誕生日プレゼントを強請れば、何でもいいって言うから。俺のことだけ考えればいいと思ってなんとなくキスをした。みょうじにとってファーストキスなのかどうかが気になったのは何故なのか、それは自分でもよく分からなかったけど。次の日からみょうじが時々ちらりと俺を見るので、気分が良くなった。次は、何にかこつけてキスをしてやろうか。



Look this way!

(ねえこっち向いて!)


Happy birthday!
2021.12.7