悟は強すぎるほど強い。それはもう物凄く。1級ですら比べ物にならないその圧倒的な呪力と術式は何百年に一度?とかそれくらい。眼もなんか凄いらしい。万年2級の俺には、何回説明されてもよく分からないけど。

そんな悟に玄関で抱きつかれて、たぶん10分くらいは経過した。何もしない10分間はそこそこに長く感じる。

「悟」
「………」
「悟くーん」
「………」
「お腹空いてない? 飯できてるよ」
「………」
「あ、風呂も沸いてるけど。先に入る?」
「………」

耳栓つけてる、と言われたら信じるくらいの潔いガン無視である。もうこれは立ったまま寝てるんじゃないかと思うほど無反応なので、ちょっと腕から抜け出してみようかと身体をよじったところで、「なまえ」と漸く返事が返ってきた。

「なに?」
「なまえがいい」
「………、うん? ッん、」

こうなるのは偶にあることとはいえ、珍しく疲れた声だ。それが少し気に掛かったところに、会話としてはややキャッチしずらい返答が返ってきたので、間抜けなことにタイムラグが生まれてしまった。
そんな俺を置き去りのまま掬い上げられるように重なった唇。俺と悟の身長差は15cmほどあるから、キスの瞬間こそ悟の腰の心配をして背伸びしてみるけど、執拗に終わらないそれに段々と余裕がもっていかれて、なんだったらこっちの腰の力ごと抜ける。

というか、俺をこのまま殺すことが目的なんじゃないかと思うほど、悟のキスは長い。これは今日だけじゃなく、デフォルトで。俺の一番近いところにある死因は、呪霊を除けばたぶんこの窒息死である。

「……ん、ぅ、…っん……」
「…………は、なまえ、……」

舌が追いかけてきて絡まって、まるで逃げられる気がしない。合間合間に名前を呼ばれてるけど、何か話せるはずもない。どうにか鼻で呼吸をしているもののいよいよ限界がきて、服を掴んでいた手に力を込めた。

「………、はっ……、いつか、死ぬよ俺……」
「うん、ごめんね」

さしてしおらしくもないが素直な謝罪の声とは裏腹に、俺の服の裾から容赦なく手が忍び込んでくる。肌をなぞられると、そこに全身の細胞が集中したと錯覚するくらい、ぞくりとした感覚が背中を駆けた。
さっきの唇もいま俺の腹を滑るその指も、間違いなく俺に触れていて、悟にとっては当たり前の、無限にあるその触れられない隙間が、少しもないような今のこの瞬間が、いつも俺を堪らない気持ちにさせる。

毎日、人ならざるモノと戦って、祓って、他の人間では到底なし得ない数と難易度の任務をこなして、それを当たり前のように積み上げる強い恋人の安否が、一人で家にいるとあまりにも気にかかること。
無事にこの家に帰ってきてくれたとき、ようやく安堵のため息が漏れること。
そして、こうして無限を解いて肌に触れられたら、もうそれだけで耐え難い幸福を感じていること。

悟に伝えるつもりはない。あの眼の前では、どうせお見通しなのだから。

「悟」
「なに。悪いけど待てないよ、」
「ちがう、ベッド、連れてって。……俺もちゃんと悟に触りたい」

悟はぴたりと動きを止めてから、比喩ではなく骨が軋む強さで俺をぎゅうぎゅうに抱きしめた。抱きしめるターンは終わってなかったのか。「痛い」と抗議すると、俺も色々耐えてるからちょっとぐらい我慢してと言われた。高専や任務のときならまだしも、いま何に耐えてるかはよく知らない。

「悟」
「ん」
「おかえり」
「ただいま」
「目隠しとんないの。顔見たい」
「……今はダメ。頼むからもうおとなしくして」

その言葉を最後に担ぎ上げられ、瞬きの間に寝室のベッドに下ろされる。覆い被さられてまた唇が重なって、同時に、服の裾から侵入してきた手が、明確な意図をもって腹筋をなぞる。これから起こることを暗示するようなその手に思わず身震いした。

キスが終わって離れていくその顔に手を伸ばす。頬をなぞって、目隠し越しにこめかみを辿って、俺から触れられたことを確かめる。あの眼が見たいけど、何も隔てず俺を見て欲しいけど、我儘かなあと思って、瞼に指の腹を掠めて離した。

「……ホントにやめて」
「う、ごめん……」
「そういう意味じゃなくてさ」

こういう時の僕が際限ないの知ってるでしょ、という科白とともに、首元に下げられた黒い布。

宇宙みたいに底のない色をしたその瞳につい吸い込まれそうになるけど、目尻が少し赤いことに気付いてしまって。常に余裕綽々、すべてが掌の上、そんな最強の男が俺なんかに触れてその気になって、かつ余裕が無さそうに頬を染めていたから。つい「かわいい」と零してしまって、それがおそらく、いけなかったんだろう。

「へぇ」
「……いや、あの」
「なまえにはやっぱり、かわいい僕に、朝まで付き合ってもらおうかな」
「………」

かわいい僕のお願いだもんね、という念押しのような呪いのような言葉を最後に、悟は容赦なく俺の身体に触れて、責め立てる。気持ちよくて、何も考えられなくなる中で、どうにか悟の身体のどこかに触れようと手を伸ばして、隙間を埋めるように引き寄せた。日頃感じている不安が、恐怖が、この瞬間だけは霧散する。繋ぎとめられるように力を込めると、すぐそばで悟が笑う。

「何を怖がってるのか知らないけど、僕はどこにも行かないよ」
「っ、ぁ、……、んッ、あ、……さとる、」
「とりあえず、今は自分の身体の心配だけしてなよね。ホントに朝までずっと抱くから」

少し触れられて指を挿れられただけで、もう既にこんなにも息が上がっているというのに、これが朝まで続くのだという。殺す気だろうか。どんな呪いだ。悟はもうすっかりWかわいくWなくなっていて、今は捕食者の眼をしているので、きっとどれだけ止めてと訴えても無駄なのだ。

たとえこのまま悟に殺されたって、俺は間違いなく幸せなのだから、別に構わないけど。
気が向いたら埋葬してくれ

そんなことを悟に言ったら、どんな目に合うか分からないから、決して口にすることは無いけれど




title by BACCA
2020.12.05