※高専時代







──おれ、悟のこと好きなのかもしんない

──はあ?

──なんか、傑とか硝子とかより、悟が特別な感じなんだよな

──……っき、しょいこと言ってんなよ。オマエもともとソッチの気があんの? 引くわー

──どうだろ、分かんないな。今まで誰かをそんな風に思ったことないから。ごめんな、別に言うつもりなかったんだけど、呪術師やってるといつ死ぬか分かんないしさ



アイツに好きかもしれないと言われたとき、俺はあまりに餓鬼だったから、およそ友人に言うようなことではない言葉が、口をついてでてきた。同性だからってだけじゃなく、俺は愛とかそういうものとは無縁だったし、そんなもの役に立たないと思っていたからだ。
アイツは俺の言葉をさして気にするわけでもなく、夕日が沈みかけた教室から、窓の外、そのずっと遠くを見ていた。俺は自分から拒絶したくせに、なまえのその横顔がまるで俺の言葉を何とも思っていないように見えたのが、妙にムカついたことを覚えている。





──悟はさ、俺が死んだらどうする?

「……はは、笑えねー……」

目の前には、首から下を包帯でぐるぐる巻きにされてベッドに横たわるなまえ。顔に殆ど傷がないことが妙に非現実的で、そこだけ見れば今にも目を覚まして喋りだしそうで。だけどぴくりとも動かない横たわったままのなまえによって、すぐにこれが現実なのだと引き戻される。

「……炎の術式を使う呪霊だったらしい。私が着いた頃には、もう全部終わった後だった」

傑が悔しそうに言う。補助監督から緊急の要請を受けて到着した時には、現場にはなまえだけが倒れていたらしい。その姿からして、頭と心臓だけを呪力で守って、それ以外の呪力を、呪霊を祓うために使ったんだろうと、傑は言う。

呪力の渦巻く炎で焼け爛れた皮膚を全部治すことはできず、自然治癒に委ねることしかできないのだと、さっき硝子に説明を受けた。
W諸説あるけど、皮膚の熱傷は人体の34%が生死の境目で、それ以上だとまず助からないとされていて、それは人間である呪術師だって同じ。ただ、普通の人間では受けられない治療を受けたから、一応まだ生きてるってだけ。W

硝子からそれらを聞いた時に漸く、「もしかしてなまえはこのまま死ぬのかもしれない」という事実へと理解が追いつき、それと同時にぐつりと腹の底から怒りがこみ上げた。呪霊への憎しみ、駆けつけられなかった自分への憤り、そして五体満足で無事に帰ってこなかったなまえへ、どうしても苛立ちの矛先が向いてしまう。たぶんきっと俺が、どうしようもなく餓鬼だからだ。

なんで無理矢理祓おうとした。
逃げろよ。
刺し違えるとか馬鹿かよ。
死んだら何も残らねぇだろうが。
だからこそ生きていれば、何とでもなるのに、何やってんだよ。

逃げることはできなくても、祓おうとするんじゃなくて、例えば時間を稼いでいたら、傑だって間に合ったかもしれないし、俺だって助けに行けたかもしれない。生きることを最優先に考えることは、呪術師をやっていると、難しいことではあるのだ。そんなことくらい知っている。だけど、死なずになんとかできる可能性があったんじゃないかってことが、どうしても頭を過る。

意味のないたらればが何度も何度も脳内を巡る。考えても仕方がないことと理解しているのに、それでも考えずにはいられない。この数分間で、脳の血管がいくつか千切れていそうだと思った。

呪霊と対峙した瞬間に、格上の相手かどうか分からないほど、自分の力量を理解してない奴じゃなかっただろ。少し戦って危ないと感じたとき、生きることをもう少しだけでも考えていたら、状況はもっとマシだったんじゃないか。軽傷とまではいかなくても、硝子が治せる範囲で済ませられていたら、今頃意識だって戻って、こうして見舞いに来た俺だって、ボロボロな姿を見て笑ってやったのに。

なんでこんな無茶した? オマエいつも冷静だっただろ。俺に好きだと言った時だって、俺にそれを拒絶された時だって。なんで、なんで、なんで。

「……そういえば、あの時何か、言ってたな」

二人きりの病室に、自分の声がやけに響いた。俺が死んだらどうする、という馬鹿げた質問に、なんて答えたかは正直、覚えてない。俺が言ったことなんか今はどうでも良くて、何か他にも言われた気がして、なまえの言葉を記憶から手繰り寄せる。目の前で眠るそいつからは今はもう息遣いすら殆ど感じられないから、このままこいつの声を聞けなくて、そして今まで毎日のように聞いていた過去の声すらも自分が忘れてしまうことが、とても恐ろしかった。

そういえば、人間は一番最初に声を忘れると、何かで読んだ気がする。だからだろうか? その声も、言葉の端っこですら、すぐに思い出せない。あれは、いつ、どこで、何を言われたんだったか。

──そういえばオマエ、前に俺のこと好きだっつったよな
──ああ、うん。言ったね
──……俺に好きになってもらいたいとかは、無えのかよ

ああそうだ。好きかもしれないと告げられてから、俺はどうすれば良いか分からなくて、しばらくはなまえとうまく話せなかった。けどなまえはあまりにもいつも通りだったから、あの日言われたことを確かめるみたいにそんな会話を投げかけた。今になって思えば、なんて無責任な問いかけだと思う。その時の俺には、なまえを好きになるつもりは無かったからだ。


──好きになってくれる可能性あんの?
──……まあ、オマエが特級にでもなれたら、考えてやるよ
──あー、特級かあ

なまえには、俺や傑ほどではないけど、才能があった。一級にはいずれなれるだろうと他人事みたいに思っていたから、だからこそ、特級にはまずなれないことぐらい、お互い分かっていた。
俺は、なまえを特別に思う覚悟はなかったくせに、なまえの特別が自分以外になるのは何故か嫌だったから、できるはずもない条件をぶつけてずっと俺のことで頭がいっぱいになればいいとか、そんな幼稚なことしか考えられなかった。

──俺はたぶん、悟や傑みたいになれないから、特級呪霊を祓えたら、とかにしてくれると嬉しいんだけど

そう言って、珍しく笑ったその顔がやけに綺麗で、少しだけどきりとしたことを、今になって思い出している俺は、目の前に横たわるなまえよりももっと馬鹿だ。



「まさかお前、あんな条件、本気にしたんじゃねえよな」

あんなただの雑談、例え話、あいつが鵜呑みにしてるわけない。俺に好きになってもらうために、命をかけるような、そんな暑苦しい奴じゃない。そんなはずないから、だから、言わなきゃ良かったなんて、思うだけ無駄だ。
だけど一度思い出すと後悔ってもんは際限がなくて、心臓と肺の、いや全ての臓器の入り口が軋んで、うまく息を吸えないし吐けない。俺は怪我も何もしてないのに、まるで自分が酸素を取り上げられて、身体の端から細胞が死んでいくみたいに感じる。




W悟はさ、俺が死んだらどうする?W

「……あの時は、何て言えば正解だったんだよ」

なんて言えば、戻ってくるんだよ。俺は馬鹿で餓鬼だから、分かんねーから、教えてくれよ。


▽▲▽▲▽


なまえが目を覚まさないまま一週間が経った。毎日、訓練や任務が終わると此処へ来て、包帯でぐるぐる巻きにされた手にそっと触れてみることが、習慣になっていた。体温も分からないくらい分厚く包帯が巻かれていたから、逆に触ることに躊躇しなかった。何にも隔てられずに触れてしまったら、その温度を直に知ってしまったら、なまえの最期を肌で感じてしまったら、その感触と冷たさを、この先一生忘れられないかもしれないから。

「この間まで、忘れることが怖かったのに。……相変わらず馬鹿でクソか、俺は」

お前は此処にいないのに、自分だけがお前を覚えていることが、今は怖くて仕方ない。

「……寝込み襲うなって、言われそーだな」

何を言っても言葉は返ってこないから、聴こえているということにして、毎日話しかけていたけれど。それも段々と虚しくなって、体温を微かにしか感じないその手に触れるのも、少ししんどくなって。

「これぐらい許せよ。忙しい特級様が、こんな毎日見舞いに来て、ちゃんとずっと我慢してやってたんだから」

まるで眠っているみたいに綺麗な顔を覗き込んで、初めて、その唇に自分のそれを重ねた。触れるだけのそれは、体感で3秒くらい、くっつけていたように思う。もし起きているときにこうしていたら、いつも冷静で表情の変化に乏しいなまえの、慌てる顔や照れる顔が見れたんだろうか。そう思うと、なんて味気ないファーストキスだと苦笑したけれど、はじめて触れたその柔らかさは、俺の知らない感触で、どうしてか心臓の音が少しだけ速くなった気がした。何かの呪いにかかったのだろうか。
試しにサングラスを外してみても、よく視えるはずのその眼は、何の術式も見つけられない。それどころか、視界が滲んで何も見えない。お前がどんな表情で眠ってるのかも、お前に繋がれた心電図がどんな数値を示しているのかも、歪んでぼやけて、まともに映さない。

──悟はさ、俺が死んだらどうする?
──……なんだそれ。何て答えてほしいんだよ
──質問で返すのはずるくない? ……でも、そうだな、


「……『ちょっとだけでいいから、泣いてくれたら嬉しいかもな』」

自分の声で、あいつの言葉を呟く。ああ、そうだ、愛だの恋だのがよく分からなかった俺は、なまえの気持ちを何回だって確かめてみたかったし、俺を好きだと言ったあいつの、望む答えを知りたかった。

「……ばかなおまえのために、ないてやるよ」

拭いても拭いても溢れて止まらない涙が邪魔だったから、いっそ制服の袖を押し付けた。俺はたとえ目隠しをしても目を瞑っても、すべてが見えるはずなのに、今は何も視えない。俺がこの先どれだけ強くなったってなまえは帰ってこないし、俺が今から馬鹿でなくなったって、なまえに何か伝えられるわけじゃない。

俺がどれだけなまえを好きになっても、なまえがそれに応えるわけじゃない。やっぱり、愛なんてくだらない。どれだけ心を砕こうが、こうしてちっとも役に立たないんだから、馬鹿らしいだろうが。
僕は君でさよならを知る


教えてくれなんて頼んじゃいないのに





title by BACCA
2020.12.20