まぶたの裏できみが駆けた

 いくらシーズンオフとはいえ、レジェンド達の私生活はそれなりに厳しい制限を設けられている。余計なところで不祥事を起こされたら運営サイドも困るのだろう。問題を招きそうな人間が多々存在しているのは否めないが。ああ、これは勿論あの青いロボットにも当てはまるな。
 硝煙と血の匂いがそこら中に漂う日常から切り離された私の憩いの場所は、老夫婦が営む小さな喫茶店にあった。客に読み古されあちこちが色褪せた雑誌も、店内に流れる昔テレビでよく聴いた名前の分からない音楽も好きだったが、私が何より好んでいたのはこの店のクリームソーダだった。だったんだ。あの男のせいで今では何とも形容し難い気持ちで頼む羽目になってしまったのだが。

「よお! さっきのはナイスキルだったなアミーゴ」

 カシャカシャ義足を軋ませて走ってきたかと思えば、一切の躊躇なく肩を組んで愉快げに破顔する仲間、オクタン。

 鮮やかな緑色を目にして、真っ先に思い浮かべたのは仲間と称した彼だったが、今では彼に対してそのカテゴリーに収められる感情を持っているのかと問われると定かではない。多分、表すとして最も近いものが、恋だ。時として敵になり遭遇する相手に慕情など抱きたくなかった。いっそ、このクリームソーダのバニラのように溶けてなくなってくれればいいのに。半ば不貞腐れながら炭酸がパチパチはじける飲み物をストローで啜った。

「こんにちはオネーサン、相席させてもらうぜ」

 てっぺんの氷菓子が姿をくらませ、グラスの水滴がコースターに吸い込まれた頃、聞き覚えのある声が頭上から降ってくる。反射的に顔を上げれば、悩みの筆頭であるオクタンが真向かいのソファーに腰を下ろしていた。

「野暮用帰りにココを通りかかったら名前が窓から見えてね、ちょっくらお邪魔させてもらったってわけだ」

「な、なんで私だって分かったの」

 自分だって曲がりなりにも有名人、出来る限りの変装は心得ていた。実際、他人にレジェンドの名前と勘づかれたことはない。それは彼も例に漏れず、普段の奇抜なマスクは取り払われ、年相応の青年の格好をしている。特徴的なゴーグルだけが、唯一残されたオクタビオ・シルバの象徴だった。

「あ〜? ンなもん、すぐあんただって分かったさ。普段から名前を目で追ってるんだからよ」

 一瞬、期待の芽が膨らみそうになる。危ない危ない、オクタンはこういう爆弾をさらっと投下する人だ。揺らぎかけた心を必死で抑えつけて、なんとか平常心を保つ。全くもって油断も隙もない男だ。精神統一を図っていると、彼はまどろっこしそうに頭を搔く。

「なあ、そろそろ自惚れてくれよ……いいか? 今から俺様が言う事に、はいかイエスで応えてくれ」

 俺はあんたが好きだ。ライクじゃなくてラブの方で、だ。付き合ってくれ。
 レンズの奥の瞳が真っ直ぐ私を射貫く。まるでクレーバーでヘッドショットを決められた時みたいだ。なんて考えながら、やや震えた声で快諾するのであった。

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