ヨコシマにタテマエ

 おれには六歳離れた好意を寄せる相手がいる。その人は、鈴を転がすような穏やかな声と、隣にいるだけで心が幸せで一杯になる香りの持ち主だった。花に例えるなら、金木犀。そんな彼女は今日も制服のスカートを揺らして、南葛高校に足を運んでいた。
 それに対して、おれは黒のランドセル。手提げ鞄に突っ込んだ算数の教科書が、自分がまだ子供だという事実を嫌でも突き付けてくる。身長だってあっちが高い。目を背けたくなって、トレードマークである帽子を深く被り直す。
 
「源三くん、おはよう」
 
 突然大好きな音が鼓膜に浸透した。慌てて顔を上げると、陽だまりを連想させる笑みを浮かべる姿が目に映る。名前さんだ。何度も会話をした筈なのに、相変わらず緊張してしまう。おれ、絶対顔赤いだろ。
 
「おはようございます」

 二人並んで歩き始める。少し遅れて挨拶を交わしたが、変に思われたりしていないだろうか。横目で様子を伺う。昨日やっていたバラエティ番組の話をする彼女は、どうやら一切気に留めていないらしい。内心ほっと胸を撫で下ろした。正直、名前さんに嫌われでもしたら、おれは学校どころじゃないだろう。「それでね、あのアイドルったら……」さぞ面白かったのか、目尻にうっすら涙がたまっている。おれが彼氏だったら軽く拭ってやれるのに。そんな仲じゃないもんな。伸ばしかけた手は緩やかに落ちて、定位置のポケットに潜り込んだ。

「じゃあ、また」
 
 いつの間にか、お互いの学校の別れ道に辿り着いていた。帰りは別々なので、名前さんに会えるのは必然的に明日になる。名残惜しさを抱えながら歩を進めていると「源三くん!」彼女はこちらに近づいて、名前を呼ぶ。
 
「学校もサッカーも頑張ってね!  怪我しちゃダメだよ!」
 
 それじゃ! おれの頭を軽く撫でてから背を向ける名前さん。急な事に驚いて、暫くその場で立ち尽くす。子供扱い出来るのも今の内だからな、大きくなったらおれがしてみせる。逸る鼓動を落ち着かせながら、騒がしくなってきた通学路で一人誓うのだった。

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