(2)


後ろからの衝撃にトン、と右足をつくと周りがとてもうるさかった。少し向こうの人の話し声とか、機械音、電車の音とか。一気に戻ってきた都会の喧騒にクラクラしながら少し安心する。後ろを振り返ったけれどだれも居なかった。

なんだったんだ。白昼夢かな。

そう切り捨てようとも思ったけれど、リアルすぎる背中の感覚でそうは思えなかった。
とにかくアパートに帰ろう。一歩歩き出したけれど…。

「ここ、どこ…?」

現状は全くと言っていいほど解決していなかった。電柱に書いてある住所には池袋。私の住んでたアパートのすぐ近く。
でもまるっきり建物が違う。やっぱり私は引き続き迷子中なんだ…。
と、思ったところで先ほどの白昼夢を思い出す。

「異世界?」『そうだよ』
『旅行に行ってもらう』
『いってらっしゃい』

その情報から導き出した答えは…

「そうか、私は異世界に旅行にきてるんだあ…ってんなわけあるかい…」

たしかに私はちょっと夢見がちな23歳。未だにアニメもゲームも大好き。でも誰よりも現実主義だったはず。
未だに圏外のiPhoneを握りしめ、とりあえず私は大通りへ出てマックへ行くことにした。
圏外でもWi-Fiなら使えるはずだし、なにより…人がたくさんいるところへ行きたかった。
さっきまでオレンジだった空は、すでに日が暮れようと紺色へと変化していった。





大通りへ出た私は信じられない物をいくつも目にした。
宙を舞った人間と自動販売機。寿司屋の客引きが黒人。
極めつけはアレだった。
馬の嘶く声。にわかに騒ぎだす群衆。目の前を横切ったソレは…。

「…首なしライダー。」

晩御飯代わりに購入したマックのセットを窓際の席で食べながら、検索していた。
ここ数年、池袋で囁かれてきた都市伝説だそうだ。
ソレを私は知っている。知っていた。
もう認めざるを得なかった。

「そうか、異世界へ旅行…。デュラララの世界へ、トリップ、した、のかな。」

認めたところでなにも変わらず時間は流れて気づけばもう9時を過ぎていた。

これからどうしていいのかわからなかった。
食べ終えたセットの残骸をまとめながら、すでに泣きそう。
自分が置かれた状況はまるで夢物語のようで、それでも無理やり理解したのはいいものの、それは最悪といえた。

おそらく、私の住むアパートはない。戸籍もない。会社もない。知り合いもいない。
帰る方法も分からない。
広い都会で女がたった1人、財布に入った2万円じゃ心もとなさ過ぎた。


今日はネカフェにでも泊まろう。そう思い、マックを出た。

「(セルティさんとかに相談できたら1番いいなあ)」

ご都合主義の頭でそう考えていた。物語の中で、多分一番まともなアドバイスをしてくれると思うなあ…。
考え事をしながらトボトボとネットカフェまでの道のりを歩く。大体この辺かなと適当に当たりを付けて歩いていたのだが、無事に発見した。街並みは元の世界とやはりすこし似ていた。でも今はそれがどういうことなのか、さっぱり検討もつかない。

いつ帰れるのかなあとか、これからどうしたらいいのかなあとか、あの人は誰だったんだろうとか、この旅行とやらは分からない事だらけだった。
けれど、一つだけ確信を持って言えることがあった。

ネカフェに入ったその時、カウンターで店員とやりとりをしていたファー付きコートの彼。
折原臨也とは関わり合いにならない方がいい、ということだった。
物語を読めば嫌でも分かる彼の歪んだ愛は、作品として触れるならば美しいものだったが実際、お近づきになりたいか?と聞かれると答えはNOだった。
絶対友達にはなれないタイプ。なりたくないタイプ。

そういうことを考えていたため、彼を見た瞬間ゲッという顔をしてしまったが、あちらがチラリとこちらを見た時には真顔に戻っていたはず。
折原臨也は少し笑って「どうぞ」と言った。順番を譲ってくれるそうだったのでぺこと会釈をしながらカウンターへと進む。
眉目秀麗。本当にきれいな顔立ちをしていた。ちょっとだけ、ウキウキしてしまう。が、すぐに打ち消す。私は死にたくないし、ボロボロにもされたくない。

「えっと、初めてなんですけど。」
「身分証はお持ちですか?」

財布をあけて保険証カードを出したが、とてもじゃないが読めなかった。なぜか読めなかった。

「こ、れなんですけど」

少しめまいを覚えながら差し出すと、店員さんも不思議そうな顔をした。
「これは…?ほかはありませんか?」
基本的に身分証明は保険証カードですませていた私はあいにく持ちあわせていなかった。
いや、多分持っていたとしても使えないんだろう。元居た世界のもの、私に関わるものはこうなっているのかもしれない。ぐにゃりと歪んで読めない文字の羅列をうつむきながら見た。

「すみません…ないです…」

後ろの黒い影の彼がすごく気になった。
店員さんは「身分証がないとご利用になれないんですが…」と言っていた。そうですか、わかりました。とだけ早口で告げ、店を出た。
普段なら粘ってみたり、お願いしてみたりするところだけど、今回は事情が違った。

早足で歩いて話しかけられないようにしよう。とりあえず24時間のファミレスかどっかで時間をつぶそう。
きっとどこかあるはず。今日はそれでしのごう。明日は大丈夫、なんとかなるよ。大丈夫。
きっとこれは夢で、もうすぐ覚めるんだ。大丈夫。大丈夫。

言い聞かせながら歩いて、信号で立ち止まった。そのとき。

「ねえ、家出?」

黒いコートの彼はどうやらあとをつけてきていたようだった。
なんだかそんな気がして早歩きをしていたのだけど、意味が無かったようで彼は平然と笑っていた。
私はといえば、はあはあと肩で息をするくらいには体力を消耗していた。

「行くとこないんでしょ?」

ああ、今ならなんだか分かる。物語に出てきていた彼の信者と呼ばれる女の子たち。
彼女達もこんな気持ちだったんだろうな。希望もない今を生きていて、そこに折原臨也という光がさした。
溺れる者は藁をもつかむ。そんな気持ち。

「…ちょっと旅行中で。」

泣きそうになるのをこらえながら俯いて、そう絞り出した。

「そう。変わった旅行だね。荷物も少ないし。」
「突然だったんです。会社から帰ってたら、アパートがなくて。」
「…は?」

信号はいつの間にか青になってたけれど、歩きだせなかった。
藁を逃したくなかった。関わりたくないからといって、また1人になれるほど強くはなかった。

「旅行に行ってもらおうと思うって言われて、背中押されて、ここにきました。」
「…」

顔をあげると目の前には、眉目秀麗な情報屋さん、折原臨也が立っている。
信じられない状況だったけれど、認めるほかない現象や人達、それに池袋に具現化した妖精を見た。

「折原さん…例えば、嘘だというような状況下で、真実でしかありえない物を見たら…見てしまったら…信じますか…」

声は震えてたどたどしかったけれど、その質問は届いたようだった。
彼の目はよくわからない淀んだ光を持っていて、口元は片方上がったまま笑っていた。

「抽象的すぎてよくわからないけど。俺は自分で知り得たものしか信じないね。」

だんだん彼の輪郭がぼやけて滲んできた。今私の目には涙がたまっているのだろう。目の前の彼の表情さえ見えない。

「…そうですか。じゃあ、わたしも、そうすることにします。」

混乱しきった私の脳にそう言った。にこっと笑顔を作ったとき、頬を涙が流れていった。口元を手で抑え、わっと泣き出してしまうのをこらえた。
人の往来の激しいところで泣くのはやっぱりどの世界でも恥ずかしものなんだなと思った。

「…チッ…あー…」

折原さんは携帯を確認して舌打ちをした。

「とりあえず、ここを離れよう。おいで。」

そう言って私の左手を引いて裏路地へ入っていった。
泣いてぼんやりしている働きの悪い頭で、(ダラーズの掲示板に何か書かれたかな)と思っていた。
折原臨也は知る人ぞ知る有名人だ。あんな人がたくさん居たところで女を泣かせてなんて書かれるか。
少し申し訳なく思っていた。仕事に支障とかでなければいいけど。

そうこうしていると、少し行ったところで彼がタクシーをとめた。

「のりなよ。」

そう促され、私も乗ることにした。
普通なら見知らぬ男についていくのは良くないことだけれど…。
折原臨也は人間としてはとても最低だが、男として女に興味はないだろうと思った。そういう意味では安全かもしれない。
もうなるようになってしまえ、と半ば自暴自棄にもなっている。でもここで折原臨也に出会えたことは私にとって良いことだと、そう素直に思えた。
めちゃくちゃになったっていい。それは異世界での話。現実世界の話じゃない。
そう思うことにしたのだった。

だって私はいつか帰る、ただの旅行者なのだから。





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