(4)


目の前にコトリと紅茶が置かれた。
私はソファに座り、折原臨也がそれを置くのを見ていた。

ここは折原臨也の事務所兼住宅のマンション。新宿駅近くのビルの最上階の部屋。思ったよりも広く、ソファも高そうで少し緊張していた。

「普通は客にしか出さないんだけどね。君に餓死されちゃ困るからさ」

なんだか愉快そうに見える。いや、実際愉快なのだろう。

「…マック、食べましたから」
「へえ。美味しかった?」

どうでもいい話をするのは何かの心理テストだったりするんだろうか。折原臨也はパソコンが置いてあるデスクの前に足を組んで座った。楽しそうに口は弧を描く。

「…ま、いいか。じゃあ話してみてよ」
「えっと…」

正直に話そうか、まだ決めていなかった。
このデュラララのストーリーは長い。『色々なことが起こるよ』という言葉を考えるのならば物語の全編にわたって繰り広げられ、完結するまで帰れないということだろう、と私は思っていた。
だから家出少女ということにしておいて、なんとか職場や寝床を紹介してもらえないかとか考えたのだが多分ろくな仕事は紹介してもらえない。そうなると、素直に「異世界からきました」と言うのが一番いいのだろうが、信じてもらえるのかが怪しかった。折原臨也に嘘をつき続けるという自信もなかった。それにこの人が好きなのは人間。異世界人は折原臨也の愛の対象なのかも測りかねていた。
オシャレな間接照明が付いているこの部屋はなんだかほのかに薄暗い。相手の表情は読み取れるくらいなので暗すぎるわけではないが、なんだか明るい光が欲しかった。

「どこからきたの?」
「…いきなり核心をついてきますね」
「まどろっこしいのは嫌いなんだ」
「大嘘つきじゃないですか。いつもまどろっこしいことしてるくせに。」

折原臨也のその言葉を冗談だと思い、そう言いはははと笑うとナイフがキラリと光った。ゆっくりとこちらに近づいてくる。まずい、怒らせた…?

「…いや、あの。」

私の座っているすぐ横に彼が膝を落とし、向かい合う形になる。重さでソファが沈む。両手を顔の横にあげていやいやちょっと、と制止するが、彼には効かなかった。

「君はどこからきた?さっきの保険証はなんだ?どこの文字だ?どうして俺を知ってる?」

矢継ぎ早に質問が飛んできて顔にナイフが当てられる。ついでに綺麗な顔も近づいてきてまじまじと私を見た。

「お、お話します。お話します。だから離れて…!」

ナイフがあんまり怖くなかったのは(少し怖かったけど)、物語の中で彼が直接手を下して殺したシーンが無かったからだろうか。本気で殺そうとはしていない事も分かっていた。そんなことよりも綺麗な顔が近づいてくることの方が耐え難かった。
我ながら浮かれているのでは…と心配になった。

ぼふりと彼はソファの私の横へと座り直した。私をじっと見て、話を促しているようだった。

「…信じてもらえるかわからないんですけど…た、多分異世界から来ました。」

私は正直に今日の夕方の出来事を話した。帰宅するとアパートが無かったこと、旅行に行ってもらうと見知らぬ人に言われ背中を押されてここに来たこと。どうしていいのかわからずにネカフェに泊まろうとしたら折原さんに会ったこと。

「フーン…。それが全部本当の話しだとして、なんで異世界だってわかるわけ?建物が違うからってだけ?」
「…」

折原臨也は鋭い。視線を感じるのでとても嘘は付けなかったが物語の事を言ってもいいのか考えていた。この先の話が変わってしまわないだろうか。なるべく話を変えてしまったりすることは避けたほうがいいと思っていた。こうして彼と話していることもこの先どんな影響が出るかわからない。
少しの間考え込んでいると、そういえばと思い出した事を先に聞いてみることにした。

「折原さん」
「なに?」
「ここに助手さんとかいらっしゃいますか?」
「いないけど。」

波江さんは居ない。ということは物語はまだはじまっていない。このタイミングで私が来たことになにか意味があるのだろうか?

「そうですか、ありがとうございます…。あと、すぐ帰れそうにもないと思うので働くところと住むところを斡旋してもらえたりとか、しませんか。」

ソファの背もたれにもたれかかり、ナイフを弄んでいた折原さんはピタリととまってこちらを見る。

「しっかり全部、洗いざらい喋ればね。さっきの質問には答えてないし、なんで俺を知っているのかについても答えてない。その上先に俺に質問して答えさせてる」
「…そうですよね。わかりました」

もう逃げられそうに無いことを悟った私はそうしてここが小説の世界であることを話した。すこしオブラートに包んだ形で話したが十分伝わったようだった。
そもそもこの場所へ来てしまったら逃げ出せないことくらい分かっていたはず。それでも来たのは助けて欲しかったから。

「へえ…。君はそんな小説の世界に迷い込んだってこと?」
「多分そうなんだと思います…。自分がいちばん信じられないんですけど…。」

「まるでお伽話だ」と彼は言い、天井を仰いだ。私はといえばなんだかスッキリしていた。誰にも言えない事を1人で抱えるというのは意外とストレスらしい。

「…君が知ってる俺はどんなやつ?」

そう問われ、驚いて顔を上げる。折原臨也はどんなやつ…か…。とてもむずかしい質問な気がする。今後を左右しかねないんじゃないのかな…。

「これは色々私情とか入ってしまうので…。」
「いいよ。君が知ってるのを知りたい。」

「素敵で無敵な情報屋さん?」

そう言うと彼は笑った。思ったよりもかわいい笑顔で少しホッとする。彼も人間なのだ、と感じる笑顔だった。

「あと…人間が好きで愛してる。とか…」

当たり障りのないことを並べた。深く喋ってしまうと何か不都合が起きた時に困る。この先、彼がしようとしていることは決していいことではない。それは分かるけれど、先ほども言ったとおり私は物語を変えてしまうことは避けたいと思っている。だとするとなにもしないで居ることが1番いいのだろう。
でも、キャラクターたちと関わらずにはいられない気がしていた。あのネカフェで折原臨也に出会ったのは偶然じゃない気がする。空を舞った自動販売機も人も、寿司屋の客引きが黒人なのも、首無しライダーもタイミングが良すぎた。まるで池袋の街が、「君の街とは違う街だよ」と教えてくれているかのようだった。

そして私をここに送り込んだ人は言っていた。『君もよく知るところだ』、と。

「ま、それ以上話したくないならいいけど。君はどこまで知ってる?小説ってことはストーリーがあるんだろ」
「…そうなんですけど、私が知ってる話とこの世界は違うかもしないですし…」
「未来について話したくない?じゃあ俺について知ってること教えてよ」

彼はソファの肘掛けに頬杖をつきながら言った。話術にのってしまわないよう、手にぎゅっと力が入った。

「ご両親と双子の妹さん。ご両親は多忙で海外におられるんですよね。妹さんたちの名前は折原九瑠璃ちゃんと折原舞流ちゃん。」
「うん。正解だ。…君みたいな、いかにも一般人ですって顔した女の子は俺のことなんか知らないだろうし、君が言ってることは本当なんだろうねえ。」

折原臨也はおかしそうに笑っていた。案外あっさりと信じてくれたみたいだった。とはいえ油断ならないこともわかっている。

「…ほんっと面白いよねえ」

そう言って折原臨也はソファから立ち上がる。まるで舞台俳優みたいに大きく両手を広げた。

「あははは!この世界はさ!時々予想もつかないことをしでかすんだ。君みたいな人間が俺のところにやってきたのは偶然じゃないと思うよ」

折原臨也の“病気”を間近で見た。内心、(良かった、異世界人も人間愛の対象だったみたい…)と思っていた。彼が化物の類をよく思っていないのは小説から十分感じ取れていた。それゆえ化物のような強さを持つ平和島静雄がきらいだということも。

「この世界を代表して歓迎するよ。苗字名前ちゃん。君はこの物語にふさわしい傍観者さ!」

「ぼ、傍観者…?」

「君は君の知ってる小説のストーリーに自分が影響しないようにと考えてる。それは正解だよ。だって君は本来存在しなかった人間だ。そうだろ?」

確かに小説のなかに私や私に準ずるキャラクターはいなかったように思う。

「何もしない傍観者がちょうどいいんだよ。そしてそれが必要だったんだ。この池袋という街が、君を呼んだんだ。」

窓際まで移動した折原臨也はニンマリと笑って窓の下を覗き込む。そうして私の方へと向き直り、こういった。

「だから身をまかせて旅行を愉しめばいいのさ。傍観者さん。」

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