(6)


ついた先は同じマンションの一室。折原さんはガチャリと鍵を開け「入って」と促す。玄関を抜けると、折原さんの部屋と同様、落ち着いたモノトーンの家具に揃えられたリビング。きちんと観葉植物まで置かれている。
先ほどの部屋よりは少しこじんまりとしているものの、1人で住むには広すぎると感じるくらいだった。

「ココ、最初は待合室みたいにして使ってたんだけどね。めんどくさくなっちゃってさ。ハウスキーパー入れてるからキレイでしょ?一応ベッドもあるし住めると思うよ。」

そう飄々と言って、呆然とする私を尻目に手近にあった1人掛けのソファへ座った。

「い、いや、折原さん、いいんですか、こんなところ本当にいいんですか。」
「何が?職場に近い部屋が一番いいんじゃない?」

あっけらかんとしている折原さんを見ると、やっぱり格差社会を感じる…。私なんか薄給でなんとか一人暮らししているというのに。お金ってあるところにはあるんだなあ…。

「じゃ、あとは好きにして。仕事の詳しいことは明日話そう。」
「お、折原さん…色々すみません。ありがとうございます。」

早々に去ろうと立ち上がった折原さんにそう言って深々と頭を下げた。ついさっきまで関り合いにならないほうがいいとか思っていた自分が嘘のよう。折原さんが居なけりゃ路頭に迷って死んでいたかもしれない。いやそれだけじゃすまなかったかも。とにかく感謝してもしきれない、と思っていた。

「…君さあ。もう少し警戒は解かない方がいいんじゃない?」

予想と違う言葉が降ってきて「へ?」と顔をあげる。

「最初はばりばり警戒してまるで野良猫みたいだったのに。今や人に慣れすぎた飼い猫だよ。よくないなあ。」

そう言われて少し乱暴に手首を捕まれ、そのままポイッと投げられる。ボフンと背中に柔らかい衝撃。よく自分の位置も理解しないまま、視界が暗くなった。
投げられたのに背中も痛くない事からここがソファで、折原さんの顔がすぐ上にあるので覆いかぶさっているのが折原さんだということを理解するのに5秒はかかった。

「…は!?」
「第一声がソレ?」

気付いてしまってからはもう目を白黒させるしかなかった。警戒を解くな?それはどういう意味だ。いや待って。この人はきっと女の子には困って無いはず。だから私みたいなのに手を出したところでなんのメリットもない。ない。いやまてよ。なんでも言うこと聞く奴隷が欲しかったのかも!?私みたいに逃げ出したところで行くあても、警察も頼れないような奴隷がほしかったりしたのかも!?じゃああれか。変態か。折原臨也は変態魔王か!

「…今絶対失礼なこと考えてるだろ。」
「い、いいえっ?考えていません。」

文字通り、真正面からしらを切った。エスパーか。それとも私が顔に出やすいだけなのか。
少し冷静さを取り戻した私は相変わらず覆いかぶさっている折原さんの胸を掌でぐいと押した。

「ど、どいてください。」
「女の子なんだからさ。もう少し気を付けなよ。」

そう言って意地の悪い笑みを浮かべたあと…

ちゅ

わざわざご丁寧にリップ音をたてながらほっぺにチューをひとつ。そうしてひらりと起き上がり、こう言った。

「もうすこし警戒したり、力をつけたりしてくれないとさ。仕事頼みづらいじゃん。あはは、変な顔。」

そう言って「じゃあねー」と出て行った。突然去って行って嵐かよ…とソファで体を半分起こしたまま思った。先ほどチューされたほっぺに手を当てる。ちょっと熱かった。

というか力仕事もあるのか…。役に立たない気がする。混乱しきった頭を奮い立たせようとするもすこし疲れたのか、いつにも増して動きは悪かった。

なんだか広い部屋で1人になると寂しい。ぐるりと見回すともう午前1時を指す時計が目に入った。
そうか、もう日付が変わったのか。折原さんにもらった携帯を見たところ、元の世界と同じ9月25日という日付に間違いはないようだった。

シャワーを浴びようと立ち上がる。

この世界は私を本当に歓迎してくれているのだろうか。

異物は腐敗を誘発してしまうことがある。そんな異物をうっかり取り入れてしまった場合、体は異物を取り除こうと働く。それは攻撃だったり、排出だったり様々なわけだが…。
この世界にとっての異物は私だ。
せめて、私をここに誘導したあの人にもう一度話が聞けたら…。

そう思いながら手早くシャワーを浴び、リビングの隣にあるベッドルームに倒れこんだ。
広いダブルベッドにふわふわの高そうな布団。精神的にも肉体的にも疲労した体はすでに限界。目を閉じるともう底なしの夢の世界だった。
私はそうして髪の毛も乾かさずに眠った。




▼▲


「…アリス、ね。」

折原臨也はそう呟いた。手には携帯電話、画面にはダラーズの掲示板。




------
タイトル:アリスの情報求む HN:ラビット
本文:今日、異世界のアリスが池袋に迷い込んだらしい。
そいつは未来のことを知っていて、金になるとか。
20代前半のセミロング、中肉中背の女らしいんだけど知ってるやつ居ない?

→なにそれ。ウケる。頭おかしい人?

→つか20代前半のセミロング中肉中背とか結構いるだろww

→なに?アリスって未来人なわけ?ロト当ててくれるとか?

------




今のところ害のありそうな書き込みは無いにしろ、このラビットというやつは調べておく必要がありそうだと思った。

「ま、君が何者でもいいけどね」

軽く調べたが彼女、苗字名前の存在はない。戸籍もなければ同姓同名だって存在しいない。働いていたという会社もなかった。先ほど話した印象から彼女はとても素直な性格なのだろうが、疑いは消えることはなかった。
世の中にはうまく嘘をつく人間というものも存在する。最も、俺はそんな人間だって平等に愛せるわけだけど。

なんにせよ、面白いオモチャを手に入れたことには変わりなかった。

「じっくり人間観察させてもらうよ」

にやりと笑うと窓ガラスにも口元が映る。そうしてその窓ガラスにまるで笑いだけが残っているように見えたのだった。



ALICE+