(7)
習慣とは怖いもので、文字通り住む世界が変わってもすぐには変われないらしかった。
目が覚めたのはいつもと同じ7時。いつもならこれから朝ごはんを食べて、メイクをして会社へ出かける。が、もうそんな日常はこないのかもしれない。
「…夢じゃなかったなあ…」
ベッドで半身を起こしてつぶやく。普通に寝て普通に起きてしまったことがなによりも残念でならなかった。やっぱりここはデュラララの世界で今いるのが折原臨也のマンションだったから。さらに言えば上の階に住んでいるはずの家主が、ベッドルームのテーブルで優雅に朝のコーヒータイムを繰り広げていたからだった。
「おはよう。夢じゃなかったね。あ、コーヒー飲む?」
「…結構です…」
頭を抱えた。自分が契約している部屋とはいえ眠っている女の子が居るところへズカズカと入って来るんですね、この人は。デリカシーとかその辺は期待するだけ無駄かもしれない。
「その服、やっぱり少しでかいね」
そう言われて自分の服装を見た。そう、昨日借りた折原さんの黒い服だった。女性の平均よりも少し小さめな私の体には男物の服は少しダボつく。…折原さんの方が細く見えるのが不思議だけど。
「あ、いえ、本当に助かりました。ありがとうございます。今日少しお時間いただけますか?買い物に行っておきたいなと思うんですけど」
仕事帰りにこちらへ来ることになってしまったし、服は何もない。最低限のメイク道具とiphoneと充電器とイヤフォン、仕事の書類が少ししかない。少し買い物へ行っておたほうが安心だろう。
「それは別に構わないよ。じゃあ今日は説明だけにして本格的に働いてもらうのは明日からって事で」
「ありがとうございます。で、着替えたいんですけど…」
「ん?どうぞ?」
何か問題でも?と言いたげにそう言った彼を無言でキッとにらみつけると、コーヒー片手に立ち上がる。にやにや笑いながらコクリとコーヒーを一口。
「冗談だよ、冗談。じゃあリビングで待ってるから」
そう言って出て行った。今まで出会った人たちにこんなタイプは居なかったのでどっと疲れる気がする。昨日といい今日といい、ただ出て行くだけじゃダメなのか。
手早く昨日着ていた服に袖を通す。下着も替えがなかったため同じものを付けているが、2日くらいどうってことないだろうになんとなく気持ち悪いから嫌だ。現代人は本当にきれい好きだな。
髪の毛も整えておこうと手を伸ばすと、びよん、とハネた髪の毛に手が当たる。ああ、昨日は髪を乾かさないで寝たんだったか…。
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リビングへと続くドアを開けると折原さんはせわしなくケータイを操作していた。こちらに気がつくと、自分の座っているソファの横をポンポンと叩いて私を呼んだ。ニコニコとしていてとてもご機嫌なのだな、というのが手に取るように分かった。
が、そちらではなく向かい側に座る。話をするのに横じゃ話辛い。
「…ま、いいけど。」
そう言って折原さんは封筒を机に乗せ、スッと私の目の前へ差し出す。一般的な茶封筒だった。
「これ、異世界へ引越祝いってことで。何かと入用だろうしね。女の子だし」
「…え?」
受け取ると中身はざっと諭吉さんが五人ほど。いやいや引越し祝いじゃありえない値段だろう。それとも異世界へだったら普通…?いやまてまて、慌てて封筒へ戻し折原さんへ返す。
「ちょ、ちょっといただけません。大丈夫です、少しですが持ってきてますから」
「…使えるの?」
そう言われて、はたと気がつく。そういえば身分証は文字がヘンになってて読めなかったんだった。自分の財布から出した諭吉さんと、折原さんの封筒の中の諭吉さんを並べてみる。
「見た目は大差ないみたい…です。そういえば昨日マック買えましたし」
「偽札とか言われたらどうする?」
一緒に覗き込んでいた顔をえっとあげる。
「ホラ、もしかしたら名前ちゃんには分からないだけでさ。レジの人とかが気付いちゃって偽札で御用。住所不定無職…いやそれ以前に戸籍ナシ。で、めんどくさいだろうねぇ」
ニヤニヤニヤニヤ。
私はといえば言われたことをいちいち想像してしまい、あわあわとする。できるだけ目立たないように生きていこう…。職質なんかされた時にはたまったものではない…。
「まさか警察が俺みたいに「異世界から来たんですー」って言われて「ソウナンダー」なんて信じてくれるとか思ってる?」
「い、いえ、そんなことは…」
でも…ともう一度まじまじとお札を見比べる。とくに異変もないし変なところもない。
「折原さんは何か変だなと思うところあります?」
「ないよ」
さらっとそう言われた。じゃあさっきまでのやり取りはなんだったんだよって話だ…。取り越し苦労か、ただ反応見たさに遊ばれてただけか。
「でも用心するに越したことはないよって話さ。君子危うきに近寄らずって言うだろ。自ら危険なかけはしないほうがいい。お札に限らずね。よく考えてみてよ、俺が面倒みることになったんだからさ」
そうだった。昨日のセルティさんを思い出していた。名乗らず、『運び屋です』とだけ伝えてきたセルティさん。それは一緒に住む恋人の新羅さんの事を思ってなのだろうか。名乗る事で何らかの損害を受けた事があるのだろうか。私はさっぱりわからなかった。そんな事態、陥ったことない。
「…君は幸せにのうのうと暮らしてたんだ。裏社会なんて知らない、表でのうのうと」
目の前にいる折原臨也が少し怖くなる。実際にいま目の前に存在する折原臨也はこの若さで裏社会での自らの地位を築き上げた。
「でも今日から世界は違えど、裏社会の情報屋の秘書だ。わかってるよね」
そう、先ほどと変わらない笑顔で言ったあと折原さんの方のお札をやっぱり私にずいっと差し出す。
「かわりに異世界のお金ちょうだい」
「…へ?」
「ホラその2万。名前ちゃんが帰る時に返してあげるから。じゃ、先に買い出し行っておいでよ。戻ってきたらそのまま上に来て」
そう言って今度はスッと出て行った。言われたことにしょんぼりしてしまった私に気を使ったのかもしれない。
そんなこんなで、私は軍資金を手に入れたのだった。
申し訳ないという気持ちと、この先への不安がまた募る。平和ボケなんて元の世界に居た時には感じたこともなかった。それが今の日本の普通でしょ…おかしいのは折原さんたちでしょ…なんて思いながら電車に乗った。
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