恋のはじまり



「あ、夢主ちゃんいらっしゃ〜い!」
「白石さんこんばんは。とりあえずビールお願いします」
「はいよ〜☆」

行きつけのこじんまりとした居酒屋。自宅近くにひっそりと佇むこの場所は私のお気に入り。カウンター席がメインのその店に、仕事帰りに月2回ほどお邪魔するのがルーティン。

「あれ、今日は大将1人?」
「ご覧のとおり今日は暇でねぇ」

外は雨。駅から少しだけ住宅街の方に歩く立地だからか、雨の日は客足が遠のくらしい。お客さんは私以外にいないようだ。

「いやー、今日暇なんだよねぇ〜!」
「はいはい。白石さんも飲みたいのね。飲んでいいよ」
「ピュウ☆さっすが〜!ありがとうございま〜す!」

暇な日のルーティン。私の伝票に白石さんのビール代をつけて、飲みながらお話をする。私も一人暮らしで話し相手がいないからちょうどいいのだ。

「あ、今日はもう杉元上がらせちゃったけど」
「いや、別に杉元さん目当てじゃないし」

実のところ、この店に通うようになったのは、失恋して傷心な気分の時に「新規オープンしました!」と外で健気にビラを配っていた杉元さんと出会ったからだった。顔に傷があるのでギョッとしたが、爽やかな笑顔にキュンとした。俗にいう一目惚れというやつだと思う。

「お姉さんが初めてビラ受け取ってくれたんです!」
「え……、そうなんだ……」
「よかったら一杯飲んでいきませんか?大将の料理も旨いっすよ!」
「じゃあ、少しだけ」

そんな初めての会話をよく覚えている。
狭い階段を登っていって、暖簾をくぐるとカウンター越しに大将と目が合う。

「あらやだ杉元、ナンパしてきたの?」
「いやいや、ちゃんとお客さん!」
「初めまして、大将の白石由竹です。独身で彼女はいません!」

なんだか和やかで不思議な雰囲気のお店だった。一見怪しい大将ではあるが、お酒好きという大将の料理の腕は確かで、お酒に合う絶妙なつまみが揃っている。まさに私が求めていた店だった。
店に通うのはもちろん大将のご飯を食べたいから、という理由はもちろんだが、杉元さんに会いたいと言う気持ちが全くなかったわけではない。顔を覚えてくれていた杉元さんはよく話しかけてくれる。もちろん杉元さんからすれば客の一人なんだろうけど、私にとって杉元さんは特別な存在になろうとしていた。
もちろん、そんな気持ちはとっくに封じているのだけれども。

「そう言えばさ、この前杉元さん駅前で見たよ」
「あ、そうなんだ。アイツ目立つからな〜」
「女の子と二人でいた。手、繋いで」

白石さんなら何か知っているだろうと思って話題に出してみる。大丈夫。杉元さんへの想いはとっくに封じている。私はただの客。身分をわきまえろ。

「あー、ずっと片想いしてたらしいぜ、幼馴染さんじゃないかな。最近付き合ったんだとよ」
「そうなんだ」

わかってはいたが、いざ本当のことを聞くと胸がザワザワする。動揺に気付かれないようにビールを口に含む。偶然目にしてしまったあの日の光景がフラッシュバックする。お客さんに向けるよりも、もっと優しそうな笑顔。改めて現実を突きつけられると思ったよりもダメージがあるものだ。

「うちの店、杉元目当てのお客さんもいるから客足落ちないか心配なんだよね〜」
「ホストじゃないんだから、別に影響しないでしょ」

そう言いながら残りのビールを飲み干す。どんな顔をしているかわからなかったから、なんとなく白石さんと目を合わせられない。白石さんはちょっとした表情でも気づいてしまうから、杉元さんを好きだった、と気付かれたくなという気持ちがあったのかもしれない。

「次、何にする?」

空になったグラスを下げながら、白石さんは私の目線に合わせてメニューを見せてくる。

「日本酒なんかもおすすめですぜ」
「あー、いいですね、日本酒かぁ」
「もう今日はお店クローズにしちゃおうかな」
「え、なんで」
「俺もたくさん飲むから」
「私の財布の火を吹かせるつもりなの?」

舌出して笑いながらも白石さんはいそいそと店の扉のオープン表示をクローズに変えてしまった。

「ま、飲みたいならこの白石由竹が付き合いますぜ」
「……じゃあ、これ1合」
「そう来なくっちゃ!」

とりあえずここまでの伝票ね、と白石さんは私に二杯分のビールと一人分のお通しの代金が記載された伝票を渡してくる。

「ん?」
「こっから先は来月から出るメニューの試食会ってことで、酒も含めてお代はいらないよ」
「ありがとう」
「なんか元気なさそうだしね!話なら俺が聞くぜ〜」

ああ、やはり今にも泣きそうな表情だったのだろう。さすが気を遣える男だ。とはいえ、何から話せばいいかわからない。白石さんは「これ、一番高いやつ」と言って限定の日本酒を手に持ち、私の隣に腰掛けた。それから日本酒を丁寧にとっくりにそ注いでいく。とっくりから溢れて受け皿へと溢れ出した日本酒と同時に、私の涙が溢れ落ちたのがわかった。

「夢主ちゃん?」
「あ、ごめんなさい……なんか涙が」
「んー、もう。泣きたい時は泣きなさい?」

日本酒を置いた白石さんは私の背中をポンポン、と心地よくさすってくれる。その優しさに涙が止まらなくなってしまった。

「私ね、多分杉元さんのことが好きだったんだと思う」
「……まあ、そうだろうね」
「気づいてたんですか?」
「見てればわかるさ」

そんなにわかりやすかっただろうか。周りのお客さんにもバレていたんじゃなかろうか。そう思うと途端に恥ずかしくなってしまった。

「やっぱりわかりやすかったですか?」
「んー、いや、そうでもないと思うけど」
「じゃあなんで……?」

ふと隣の白石さんをみると、しまった、と言う顔で私を見ている。何か変なことを言っただろうか?白石さんは自分のお猪口にある日本酒を一口飲んで、続けた。

「俺が夢主ちゃんをずっと見ていたからだよ」
「大将だもんね」
「そうじゃなくて」
「……え?」

白石さんはいつになく真剣な表情をしている。こんな真剣な表情の白石さん、秘伝のタレを仕込んでいる時しか見たことのない顔だ。

「ちゃんと見てるぜ、俺は一途な男だからな」

ドキッ
この胸のざわめきはなんだろうか。

「ま、俺は弱った心に漬け込むような悪い男にはなれないんでね。気長に待ちますよ」

そう言うといつも通りの笑顔を見せ、「これが新作ですぜ〜」と日本酒に合うというつまみをすすめてくる。いつも通りの白石さんだ。
私はというと、次第に顔が熱くなっていくのがわかる。この熱さはお酒のせいだろうか。それとも何かが芽生えたのだろうか。

それからしばらく恥ずかしくなってしまって、この店へ足が遠のいてしまったのは、また別のお話。



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ろぐ