カチ、カチ、
普段は気にも留めない秒針の音が脳内で大きく木霊する。遠くでバイクのエンジン音が聞こえたかと思いきや、しばらくするとそれを追いかけてるであろうパトカーのけたましいサイレンも聞こえてきた。
ああ、眠れない。
無理やり閉じていた瞼を開ければ、普段はアイボリー色なのに夜の闇で黒く染められた天井が視界に入った。
どうして寝ちゃいけない授業中は頻繁に睡魔が襲ってくるのに、肝心の夜にはこないのか、これを解明できた人はノーベル賞間違いなしだと思う。
そんなくだらないことを大真面目に考えてしまうくらいには目が冴えてしまっている私は、別に喉が渇いているわけじゃないけど一階にあるキッチンへお茶を飲みに行くことにした。この前テレビで眠れない時は一度気持ちを切り替えることが大事だ的なことを言ってた気がする。その言葉を信じ、深夜2時の静まり返った廊下を寝ている家族が起きてしまわないようソロリソロリと抜き足差し足で歩いていると、弟がいる部屋のドアから光が漏れていることに気がついた。お、おお?起きてるのかな?いやまさか日付が変わる前には毎日ちゃんと寝ているアイツのことだ、多分電気を消し忘れたとか、そんなところだろう。
念のため、コンコンと二回控えめなノックをしてガチャリとノブを回す。すると、そこにはヘッドフォンを装備し机に向かっている弟の姿があった。曲を聴いているのか、私が入ってきたこと気づいてないようだ。


「そりゃっ!」


気づかれないよう後ろからそろそろと近づきヘッドホンに手をかけ一気にそれを外す。「ぅわ、」とらしくない声を出す蛍に思わず笑ってしまったが、ギロリと鋭い目つきで睨まれたので慌ててごめんと謝った。普段は覇気がないくせに、何つうガンの飛ばし方だ。どこで覚えたんだろう、お姉ちゃん悲しい。


「…ウザいんだけど」


「メンゴメンゴ。てか、こんな時間までアンタ何してんの?」


「……課題」


「エッ!普段はちゃんと締め切りの前日までには終わらせてる蛍が!?めっずらしー!」


態とらしく驚くと机の上にあった数学のテキストで頭をぶたれ、思わずアダっ!と間抜けな悲鳴を上げてしまった。少しは手加減てものをしてほしい。
いやあ、この様子からすると課題の存在忘れてたんだなあ。しっかりしてるように見えてたまーに抜けてるんだからプクク。と、思うが口には出さない。


「…で、姉ちゃんはこんな時間に何してるの?さっさと寝たら?夜更かしなんかしてたらブスが悪化するよ」


「ひでえ!いや、寝たいのは山々なんだけどなーんか目が冴えちゃって眠れないんだよね〜」


身長がメキメキと伸び続けている蛍は普通のベッドだと少し小さかったらしく、一年前に買い替えてもらってたロングサイズのシングルベッドにゴロンと寝転がる。あーいいなあ。私のより少し大きい。これなら寝返りうち放題だなあなんて考えながらゴロゴロしていると、はぁ、と深いため息をつき蛍は部屋を出て行った。トントン、と階段を降りていった音がした後に、キッチンで何かしているのかカチャカチャと食器の音が微かに聞こえてきた。え、なになに?何してんの?
ソワソワと待つこと数分、マグカップを二つ持った蛍が現れ思わずギョッと目を見開いた。何というハートフルな展開。まさか、ここ数年私を見れば蔑むことしかしてこなかった蛍が私のために飲み物を…?やだ泣きそう。


「はい、飲みなよ」


ずい、と差し出されたマグカップは私が愛用しているものだ。去年の誕生日に友達からもらったお気に入りのマグカップをそっと覗き込む。
するとそこには、柔らかな白色のホットミルク…ではなく、真っ黒な液体が香ばしい匂いを放ちながら渦を巻いていた。えっと、これは、ホットコーヒー?


「待って待って!なんで眠れないのにホットコーヒー飲まなきゃいけないの?!」


「僕が課題で眠れないのに姉ちゃんだけのうのうと寝るって考えたらはらわた煮えくり返りそうだったから。それ飲んでこのまま一睡もできないまま朝を迎えて学校に行けばいい」


「本当いい性格してるなオマエ!」


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