白日、夢の残滓。


人を、殺す夢を見た。

私を抱きしめた彼の背中に手を回してサバイバルナイフを突き立てる。
深く皮膚を抉ったのかぬめりとした感覚が指先を伝った。
そうして私の前に崩れた、折原、臨也。

彼を見下ろす前に、目の前が真っ暗になって、──目が覚めた場所もまた暗闇だった。

夜の無音の自室の中にカーテンの隙間から漏れる、街灯の微かな明かりだけを浴びていた。自らの体を抱えて浅く短い呼吸を続ける。夢の中の彼はあのまま死んでしまうのだろうか。
背中がゾッとして唇の震えが止まらない。頭が上手く機能しなくて声すら碌に出ない。夢か現実かわからない私が、暗闇の中で吐き捨てた言葉だけが、私の中に蹲っていた。

「これじゃあ足りない」


♂♀


眠気は感じるのに目が冴えて仕方ない。結局再び寝付くことは叶わないままシャワーで誤魔化して学校に行った。起きているはずなのに、夢の中を歩いているような現実味の欠如をずっと感じていた。

あっという間に一日の最後の授業も終わり、判断力の低下した頭で辿り着いたのは新宿。気がつけば見慣れたマンションでその扉に鍵を挿して立っていた。自分がいる場所を自覚するのと同時に、前に掲げた手の中からガチャリと音がした。どうやら無意識の内に鍵を回していたらしい。

「遅かったね。インターホンから随分経ったけど」

惰性で扉を開いて脱いだ靴も揃えずに廊下を抜けると、いつも通りの黒い服を着た臨也さんが私を見てそう言った。いつも通りに彼の白い肌に浮かぶ青白い血管が、いつもより際立って映えていた。今日見た夢のせいで幽霊にでも会ったように錯覚した。

「寝不足で、ちょっとぼーっとするみたいで」
「ソファで寝てもいいけど、遅くなっても俺は送らないよ」
「そう言って、いつも寝室まで運ぶかタクシー呼んでくれるじゃないですか」

私がここに入り浸るようになって随分と経つ。エントランスがオートロックだからとはいえ合鍵を持たせてもらえているのは、私が彼の懐に近づくことを少しでも許してもらえたようでなんとなくむず痒い。
彼は私のことを駒のようには扱わない。今はそうだと言うだけでこの先もそうとは言い切れないのが臨也さんだが、とりあえずはそれでよかった。

いつも私が寝落ちしてしまうソファに通学に使っているリュックを下ろした。そしてその脇のポケットから学校帰りに買ったそれを取り出す。銀色の刃先が安っぽい光を反射した。


彼の方を見ると、私のことなど気に止めずにパソコンの前でカタカタと音を並べていた。それが仕事かチャットか、ただの捻くれた趣味なのかはわからない。

空中を歩いているみたいなふわふわとした心地のまま、覚束無い足取りで一歩一歩を踏みしめる。
彼の傍らに立って、握ったそれを彼に突き立てた。
彼のキーボードを叩く手が止まった。

「……なんの真似かな」

振り返って私の手を掴んだ彼の薄い唇が動くのが、やけに鮮明だった。それが、弧を描くのも。

「今なら、臨也さんを殺せるかなぁって…………、冗談です」

彼の手が緩んで、するりと逃げた私の手から力が抜けた。プラスチックの音がして一瞥すれば、たった今臨也さんに突き立てたナイフが転がっていた。

「マジックナイフか。懐かしいね」

椅子に座ったまま腰を折ってそれを拾い上げる臨也さんを意味もなく目で追った。柄を握るのと反対の手のひらでナイフの刃先を押したり戻したり繰り返している。内蔵されたバネの独特な軋む音が耳の中にこべりついた。

「ぐさり、…………なんちゃって?」

おもちゃのナイフを逆手に持って彼が自身の左胸、心臓の位置に突き立てた。光る刃先が黒い柄の中に沈む。私の手の中にあった時とは違って、それはいつも彼が持ち歩く本物のサバイバルナイフを連想させた。

「ははは、どうしたの。顔が真っ青だ」

「、ちょっと目を閉じてください」

私の意図が読めないというように彼がその目で私を見た。普段の彼の所業をちっとも感じさせない、無垢でまっさらな顔。
人間の行動が自分の予測を超えた時の愉快そうな顔、平和島さんに出くわした時の嫌そうな顔、食事に嫌いな野菜が出た時の不満そうな顔。私が見れる、彼の、表情。
その中の、彼の珍しく少し驚いた顔。でもすぐに揶揄するようないつもの笑い顔に塗り替わる。

「いいけど……キスでもする気かな?」

「するわけないでしょう」

「残念」

肩を竦めて茶化してから、すぐに大人しく目を閉じた彼を見た。彼の赤い目が瞼に隠れて、長いまつげがその縁を象っている。嘘みたいに整った顔だけれど、ちっとも人形みたいじゃない。正しく、これは生きている。
恐る恐る、怖々と、吸い寄せられるがまま彼の頸動脈を包むように両手を添えれば、力を入れずとも確かな温度と脈の震えを感じた。

「……これじゃあない」

小さく呟いて彼の首から手を離す。彼も目を開いて、見えなくなった赤色も戻ってきた。時折爛々と閃くこの赤色も、彼が死んだら色を失うのだろうか。

代わりに私が目を閉じれば、網膜に残った瞳の色が瞼の裏で血のように流れて広がって。目を開けばそれは霧散した。

「やっぱり、私に臨也さんは殺せないですね」

臨也さんは私に何も言わなかった。
私の中に朧気に燻るものの正体を、臨也さんは知っているのかもしれない。

気が抜けた途端に眠気が戻ってきた。体を引きずるように臨也さんから離れて、いつものようにその高そうなソファにダイブする。すぐに傍らに気配を感じて寝返りを打つようにして見れば、ソファの背から臨也さんが私を覗き込んでいた。

「おやすみ、名前」

「おやすみ……なさい……」

この私の前にいる人は、いつかふらりと消えて私の知らないところで死んでしまう。彼を見失った私には、その冷たさすら感じることができない。


折原臨也を殺す夢を見た。

私は、彼の死に顔が見たいのだ。きっと。

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