▼2025/03/09:氷上で歌う、剣の舞
このタイトルで書く時点でこのブログの読者差さん達は何の話題かピンとくるかもしれない。米津さんの新曲が良くて、MVが豪華すぎるのだ。私は高校生の頃から彼の音楽を聴いているが、まさか羽生結弦君と共演するとは思わなかった。今回の新曲がフィギュアスケートを題材にした漫画原作のアニメの主題歌な為、それっぽいMVが来るかと思いきやド直球で大型ミサイルが放たれたようだ。元々曲自体の長さがフィギュアスケートのショートプログラムで使える長さと言うのは何処かで見聞きして知ってはいたし、米津さんファンの間では『米津さんがフライングシットスピンを習得するのに時間が掛かってMVの公開が遅れているのでは?』など冗談みたいなことが囁かれていたのだが、ガチのメダリストが来てしまった。羽生君は元々、ハチ時代から米津さんを応援して推していたと言う。彼がもう三十歳と知って今の自分の年齢に眩暈を起こしそうになったのはまあ置いておいて、彼は丁度ニコニコ動画のボカロ界隈が大賑わいだった頃の視聴者らしい。きっとリンネとかマトリョシカとかパンダヒーローとかドーナツホールも聴いたんだろう。米津さん自身は今回の新曲を描き下ろした切っ掛けとして漫画『メダリスト』の大ファン(と言うか半ばオタク)である事を挙げ、アニメ化の折に逆オファーしていると言う。って事は米津さんの関係者の何方かが原作者サイドの何方かに『うちの米津がつるま先生のメダリストに主題歌を提供したいと申しておりまして…』とか言ったんだろうか。『うちの米津が』とか人生で一度も言わないようなフレーズである。
一米津さんファンである私は最近、自分を『米民』と称する。某SNSでフォロワーさんの多い米津さんファンの方が使っているのに倣わせてもらっている。米の民と書くのが非常に良きファンとしての自称名称だと感じてのことだ。今回札幌ドームでのライブに参戦して、米民は民度が高いなぁと思った事が非常に多かった。私はアリーナのかなり良い席が当たったのだが、皆さんマナーをきちんと守っているし、演出の為に敷かれた『光物(ペンライト等)うちわ禁止令』は厳守している。スタッフさんの対応も良かったし、今回も非常に楽しく参加できた。私も一米民として金テープ(ライブ中に降ってくる奴)の集中砲火を浴びたた為、自分のぶんを確保したら残りは周囲の方へお譲りした。入場で困っていたらしき高齢のご婦人たちの疑問にも答えた(入場券がどうやったら出てくるのか分からなかったと言う)。退場の時も米民はスタッフさんの指示に従うし、私と同じように金テープの集中砲火を浴びたらしきお姉さんが大量の金テープを持って「欲しい方いませんか〜」と周囲に呼びかけ譲っていた。
ただ、ひとつだけ意見させて貰えるなら今度のライブツアーは温かい時期に開催してほしい。札幌ドームから最寄り駅に行くまでに同じ方向へ向かう人が多過ぎて1時間半ほどかかり、真冬なので遭難している気分になったのだ。結構ガチ目に震えていた。そしてもう少し早い時間帯に開催してほしい。帰宅が夜11時を回ったので。
さて、話題を変えよう。私は現在と或る企業様と就職のお話が進んでいる。今週企業実習が決まっているのだ。あくまでも『ただの実習』であり雇用が前提のものではない。のだが、この前ハローワークのみどりの窓口の職員さんに実習が決まった事を伝えたら『おめでとうございます!』と言われた。まだ内定をもらったわけでもないのにと疑問に思ったが、同じ週に精神科のいつもの通院があったので主治医にその事を言ったら『…ああ。実習もなかなか決まらない人の方が多いですからね』と彼は微笑んでいた。そして『頑張って』と言われる。今回の求人は障害者枠で、かつ就労移行支援事業所などの関係機関との繋がりがある人限定の求人だ。職種は販売。また販売員である。事務職なども考えたのだが、私の場合身体を動かさない仕事じゃないと確実に就業時間中に寝る。一度見学に行った企業様は環境音が非常に静かで動きも無い業務だった為、『これは確実に寝る』と思って応募を止めている。
今回の実習では実際にお店で働く事になる。久しぶりに店員側としてお客様の前に立つのだが、以前より全然緊張しない。何せこっちは二年以上お客様の前に立ち続けておりますので。声を掛けるのも掛けられるのも怖くない。最近の私の強みの一つは『物怖じせず笑顔で声を掛けられる事』だ。緊張もあまりしなくなった。お客様の方も此方に完璧を求める人はそんなに居ないと気付いたからである。お客様は気持ちよく買い物が出来ればそれで良くて、その時の店員の対応が悪くなければ(つまり最低限笑顔で目的の品物を提供できれば)それで良いのだと分かった。
勿論完璧を求める事は出来る。明るい笑顔で朗らかに、きちんとした敬語で対応し、最高の対応が出来ればそりゃあ理想形だ。でも私はそれを追求し過ぎた余り、前職を辞めることになっている。『完璧な接客が出来る最高の販売員』になろうとして無理を重ね過ぎた結果だ。楽しい仕事だったし、辛い事も込みで大好きな仕事だった。自分を指名してご来店くださるお客様が複数いらっしゃるとか、販売員冥利に尽きると言うもの。でもそれらは総て他の色々なものを犠牲にした上に成り立っていて、そのうちの一つに『私の心の安定』が含まれていたのだ。常に完璧で最高で居なければならないと思い行動し続けていた結果が去年の二月に訪れた精神科医からのドクターストップだ。
今はもう、自分に完璧を求めないことにしている。完璧じゃない自分を、何も生産出来ない事もある自分を許せるようになった。完璧じゃなくても、最高じゃなくても私は存在していて良いし、そもそもこの世界に存在している事は私が望んだものじゃない。
誰も、産まれたいと願う事は出来ないから。
勿論、生き続けたいと思うのは私自身なんだけど、何だろう、自分が『此処に居て良い』じゃなくて、産まれちゃった以上生きて行くしかないし、死ぬのは怖い。以前は直ぐ『消えたい』とか『此処に居ちゃいけない』とか思ってたけど、望んで生まれていない上にやりたい事は今のところ尽きる気配も無いので、生きることにした。そして創作する人間あるあるなのが『何も書いたり作ったりしていない自分が許せない』だと思うんだけど、私は現在『何かを生み出す事は義務じゃないな』と思っている。それを仕事にしているのなら兎も角、私は個人的な趣味として創作に親しんでいる。楽しむ為に創作をしているんだから、自分を苦しめる程やらなくてもいい。それでフォロワーさんが『最近更新ないな…他の人の方が投稿頻度高いしな…』と離れて行ったとて、またいつか投稿したら戻ってくる可能性もあるわけで。何よりも優先したいのは『私の心が安定して、健康を損なわない程度に楽しめる状況』なのだ。趣味に命を懸ける事に向いていない人間なのだ、私は。
と言う訳で、最近だと何も生産せずぼけーっとする時間も増えたし、生産するのではなく興味がある分野の情報を摂取するとか、作品にしない心算の妄想に浸るとか、ひたすら自分の『愉しみ』と『楽さ』を優先して行動している。結果、とても楽になったし生きているのが楽しい。
何歳になったからこうなっていなきゃいけないとか、この歳でそれするの? とか、普通はこうでしょ? とか、あまり思わなくなった。だって、私以外の誰かは私じゃない(注、ゲスの極みは関係ありません)。私の人生は私以外に歩めないし、較べたところで比較対象も困るだろう。ただ、『こんな感じで生きていきたいなぁ』と言うふわっとした感覚だけ持って生きている。まあ、時にはしっかり将来を見据えた方が良い場合もあるけど。でもふわふわっとしている部分としっかりした部分、両方あると私は生きやすい。
最近、長年のブログ仲間の方が非常に悩んでいる様子を読んでは画面の向こうに行けたらなぁと思う事が増えた。彼女の状況を良くする術を思い付く事は残念ながら難しいけど、話を聴く事は出来るし、文字じゃなくて声で話せたらいいのにと思うのだ。オフラインの友人達よりも長い付き合いの彼女は現在、凄く苦しんでいる。でも画面に浮かぶ文字に表されていない本音とか、彼女自身が書きたくないであろう事を考えた時、どんな言葉を掛ければ良いのか悩んで、結局何もしない事が多い。貴女の現実を変える事が出来なくて本当にごめんなさい。
…まあ、此処で謝罪するのも私の自己満足なんだけども。辛い時に貴女の言葉に救われた私は、貴女を救えるだろうか。本気で悩み、苦しんで、それでも生きている貴女を誇りに思いますとだけ、此処に書き残しておく。もし余裕があったら、あったかいお茶を淹れてゆっくり味わってみてください。