▼2025/04/07:街角のショーウィンドウ、まだ着ていない洋服
ずっと、内側に居る子供が負った傷の痛みを間接的に受け取って来た。以前は直接的だっただろう、あの子は私自身だ。いつの間にか肉体だけが歳を取り、と云うよりもあの子供は私がこれ以上傷つかないようにと切り離した一部だったかもしれない。インナーチャイルドと言う言葉を見聞きした事が何度かある。内なる子供は傷を抱えたまま泣いている。あの頃の私は傷付けられてもそれを口に出しては向かう事を知らず、何故ならそれは形だけは十分な愛情をもって育てられていたからで、これが傷だと認識するのも時間が掛かった。過去は過去で切り離して考えるべきものなんだけど、そう割り切るにはあまりにも深く何回も傷ついてしまったものだから、瘡蓋が重なり過ぎて傷の治りは極めて遅い。傷って言うのは抽象的かな。トラウマと表記した方が良いのかも。実際に肉体が損傷した訳ではないんだし。
いじめられっ子だった期間は、まあ、長い方なんだろう。幼稚園の二年間と、小学生になってからの六年間。所謂人格形成に重要な時期のそれなりの時間を他者からの暴言とか暴力に曝され続けたんだろう、多分。多分って言うのは私が勝手にそう思い込んでる可能性も幾分かはあるからって言う保険みたいな感じ。周囲の全員が私の敵側だったかと言えば違うんだし。まあ事勿れ主義で見て見ぬ振りした奴も居るんだろうけど。
子供って良くも悪くも素直だし気まぐれだから(そうあっても許されてしまうから)簡単に誰かをターゲットに定めるし、それをどんどんと巡らせて順番が来たらお前は群れの敗者だとばかりに爪弾きにする。大人から見れば団栗の背比べも良い所なんだって気付けたのはつい最近の話。
前此処にも書いたと思うんだけど、私は発達障害のグレーゾーンみたいな立ち位置に居る。傾向で言えばASDが強いみたいだけど、小さい頃はADHDの傾向もあったと思う。思うに衝動性とか。時間を守れないしその前に朝起きれないし夜に眠れないし、忘れ物はしょっちゅうするし育てにくい子供だったんじゃないかな。其処をお母さんや習い事教室の先生とか学校の教諭陣が如何にか矯正してくれて、いつの間にか時間厳守締め切りも守るし忘れ物は滅多にしない大人になったからびっくり。よく言われる『療育』に近い事をしてくれていたと思う。偶然かもしれないけど、うちのお母さんは元保育士だ。子供の発達に関わる知識は(当時にしては)多い人だったんじゃないか、と最近よく思う。
今現在は『人の気持ちを考えるのが苦手で、つい自分を中心に考えてしまう』って特性と闘ってる。一人っ子だからかな、自分がいつまでも世界の中心に居るんだよね。他の人だって自分の事を一番かわいいと思ってる場合が多い筈なのに(あくまでも可能性として)その可能性を考えないの。慮れない。人の態度とか言語外の気持ちや感情を読み取るのが苦手で、つまり空気が読めないし、冗談も分からないし通じない。純粋な子供みたいだとたまに言われる。いい意味で幼いって言いたいらしい。子供っぽいのと何が違うんだろう。
内側の子供がいつまでも子供なのは、この特性も要因なんだろうか。それとも、他人を慮れるほど傷の痛みが強いままなのかもしれないなって思う。たまに触って剥がしちゃうんだよね、この瘡蓋たち。
通っている就労移行支援のスタッフさんには『まだ生傷なんじゃないか』って言われる。乾いてすらいないって。治療する前に切り離しちゃったからかな。治すのにも痛みが伴うじゃん、消毒液が染みるのとか嫌だもん。
さて、此処まで読んで違和感に気付いた人は居ますか? この話には父親が登場してないんだよ。私の父親。もう居ないんだけどさ、その前にもう会わなくなって何年も経つから本当に居なくなったのか実感が湧いてないの。目の前で焼かれてもないし骨も拾ってない。今頃どうしてるんだか。
そんでさ、最近気づいたと言うか認識したんだけど、私自分で推すキャラクターに見られやすい傾向として『父親に愛されていないと感じている』『父親に憧れつつも追いつけない』『満たされないから破壊衝動とか突飛な行動欲を覚え実行する』って言うのがあって、そう言うキャラクターに出逢うとつい、彼等彼女等を救ってあげないといけない気持ちになる。貴方達は守られなきゃいけないんだよ、だって子供なんだからって。だから推しにして(昔なら嫁かな)救ってあげる妄想をする。で、思ったんだ。
本当は、私自身が救われたかったんだって。守ってほしかったんだって。それがいつまで経っても満たされないから内側の子供の傷は治らないし塞がらなくて、必死で助けを求めてる。それが辛くて消えたくなる。創作上の彼等彼女等を救う事は私自身にしてあげたかったそれなんだ。だから可哀想な子供を好きになるし、状況を改善したくて二次創作を書き始めた。作品中では報われなかったあの子達を、せめて私の中だけでも救いたいし、それで私も救われたい。何かを転嫁し過ぎてるのも分かってるけど、多分この気持ちは当分消えない。
自分の内側に潜り込む事が出来たとして、私は内側の子供を救えないんだろう。少なくとも今現在は。ただ隣に居る事も出来ない。彼女の叫びは辛すぎる。だから耳を塞いで顔をそらして、見えず聞こえもしないふりをする。その繰り返しが今の状況を作ってるのにね。
救われたいと思うのは、まだ生きていたいからなのか。それとも痛みに耐えられないからなのか、可哀想だから? 誰がなんだろう? 私は私しか居ないのに。
所謂発達障害グレーゾーン、もっと言えば非定型発達だけど、他の人とは違う仕組みと設計図と手順書で作られたこの脳味噌が働いた結果が私で、その私自身を正確に認識できるのも理解できる可能性が高いのも私しか居ない。本当の私なんて居ない。そもそも私は私しか居ないから。内側の子供も、切り離されただけで元は私だ。
以前『貴方は解離の症状が強い』と評された。会う時、会う人によっては人格が少しずつ違うらしい。きっと、表の私が強いか内側の子供が強いかで割合が変わっちゃうんだろうな。だから時々驚くくらい簡単に騙されるの。冗談が通じないのは人と関わった経験が少な過ぎてそれを冗談と見抜けないから。解離の症状を指摘した人曰く、本来愛されて育ったんだってさ。ただ、愛情の方向性がちょっとおかしかったし、大人になった今あれは虐待行為の一種だったとはっきりわかる事もある。毒親、って言うのは少し違う。人として少し、何かが足りない人だった。父親に関してはね。愛情をもって育てられたことは間違いないよ。けど、本当は誰よりも自分が愛されていたい人だった、自分がいつでも世界の中心だった。そう言う人が似たような子供に育ててしまったって話。
憎んでいるかと問われると、憎んではいないと思う。ただ虚しくて仕方ない。もっと早くに気付いて、離れておけば良かったかなと思う。あの時代には難しかったけどね。
血の繋がりってそもそも同じ人間って生き物な時点であまり関係ない。だってDNA配列が示すのはホモサピエンスだもん。だから今のお父さんの事は保護者だって認識してるし尊敬もしてる。ただ、この遺伝子を残すのは嫌かな。産まれてくる子供に同じ苦しみを背負わせそうな気がするんだ。
つらつらと書き連ねたけど、取り返しのつかないものってあるけど、やり直しの機会は幾らでも見つけられると思う。向こうに引っ張られないように必死であの腕を振り切って今がある。正しく生きようと、貴方と同じにはならないと、大好きだったそれを切り捨てた。大好きでも害になるものってあるからさ。
大好きだったり大切に敬うべきそれを切り捨てて生きられるなら、躊躇せずに手放して良いよ。貴方の人生は貴方だけのものだから。視点を切り替えて生きるの。罪悪感なんて懐かなくていい。
ただ、もしも貴方の中に泣いている子供が居たら、いつかその傷を受け取る可能性だけ覚えておいて。その子は今肩代わりをしているだけだから。