▼2025/04/20:病は季から、日の入りで取り戻す余裕
今日も今日とて就労移行支援へ行ってきた。日曜日も開所しているのは珍しい事なのだろうか? この記述で私が通う事業所名が明らかになりそうだと少しだけ思う。前の病院に通っていた頃、主治医に『ここ最近、つい眠っちゃうんです』と漏らしたら詳しく症状をヒアリングされ、『それ多分鬱症状』と薬を調整された事がある。私が元々躁の傾向が強かった事もあって、主治医は私に鬱を改善するタイプの薬は出したがらなかったのだが、この時は例外だった。
眠り過ぎる、つまりは過眠とか傾眠と呼ばれる症状な訳だけれど、確かに鬱になると気力がなくなり布団から出られない人は珍しくない。しかし現在の病院の主治医にも似たようなことを話した時は
「うーん。これは多分鬱ではないね。だって、矢野さん活力たっぷりあるじゃないですか」
と評された。眠剤が多いのかもしれないし、飲むタイミングの問題かもしれない。ただ、一度眠剤を減らして様子を見ましょうと減薬に至った。この時は今度は早朝覚醒してしまって結局元に戻したのだが、今の主治医は減薬に対してかなり前向きだ。私も一時薬の販売職を目指した事があるので基本的には出来るだけ減薬したい。ただ、規則正しい生活が一番のお薬になるので、眠れないなら程々に眠剤の投与は受けておきたい。
そう、鬱症状になりやすい話だ。私は日が長くなると心の調子や体調を崩しやすい傾向にある。それこそこの時期は人間関係の変化も起きやすいのも要因となってメンタルが崩れやすい。前の主治医は、日照時間が長くなると鬱は減りやすい筈なんだけれど、と不思議がっていた。
今の主治医には訊いた事が無いが、カウンセラーさんには報告してある。今の病院では診察は診察で薬の処方を担い、長めの話はカウンセラーさんが聴いてくれる。その内容は電子カルテに残され主治医も確認して此方の状況を把握しているのだ。ので、私がカウンセラーさんに話した内容は病院全体で共有されている状態だ。前のびょういんは何処までも紙ベースだったからあんなに処方箋が間違っていたのだろうか。
で、鬱症状と今の病院では言われた事が無い。眠り過ぎていたとて、日常生活に影響がないならまあ大丈夫だし、別に一日8時間以上眠るのは寝すぎとは思わないそうだ。私の平均睡眠時間は7〜8時間だから、プラス1時間くらいなら許容範囲内と言う事らしい。ちなみに今でも鬱症状を改善する薬は服用していて、今の良い状態を維持するには必要なものだと言う。就労移行支援事業所にも休む事なく通えているし、自活することも(金銭面を除けば)可能だし、就労も問題ないとの判断によるものだ。まあ、これから覚えるべき事が増えていくと確実に焦りは生じるので『意識して無理しない』のは大切なんだけども。
以前此処に『統合失調感情障害の可能性』とか『気分障害の可能性』があるらしいことは書いたかと思う。統合失調症にプラスアルファされるのは本当に勘弁してほしいのだけれど、私が五歳くらいから消えることを考えてきた事実に鑑みると其処は無視できないのだろう。ただ、鬱か双極性障害なら確実に私は後者だ。こんなにエネルギッシュに仕事へ挑もうとする鬱の人はきっと少ないか、かなり回復していると思うし。
『趣味を楽しめない』とか『自分の好きな物って何だっけ』となることも無い。と言うか、趣味が楽しくて仕方ない。毎日のように何かを作り、読み、書き、学んで、身体を動かすのも楽しい。鑑賞するのも好きだ。創作すること、それが満足のいく出来で本当に楽しいし、時々集中し過ぎてしまう事を除けば普通に元気でパワフルな人間だ。本当に良くここまで回復したものである。
去年から体調管理の一環として毎日自分のストレスレベルを数字で評価することも始めた。まずは自分のストレス要因となる出来事や物事を書き出し、それが起きた時どんな気持ち(感情とか諸々)になったかも書き出す。それらのストレスを1〜5で評価して書きならべ、最後にそれ等への対処法や緩和方法も書き出す。これに則って毎日自分の気分を評価して手帳に書き記すようにした。ちなみに通常モードは3で、1に近づけばストレスが少なく、5に近づけば状態が良くない感じにした。すると、私は『1』の時より『2』の時の方が上手く生きられていると気付いた。1になってしまうと有頂天と言うか、テンションが高すぎてうっかり失言をしたりする確率が上がるのだ。楽しい物や面白い事にのめり込み過ぎる時は大抵が『躁』なのだろう。あくまでも私の場合はだけど。
なので、最近は調子が良い時ほど口を開かないよう気を付けるようになった。悪い時は場所や相手を選んで吐き出すべき時もあるけど、調子が良いならそれを自覚し、ただ他の人への影響を考えて発言のタイミングや内容を熟慮することにした。空気を読むのが苦手で、相手の気持ちを考えることも苦手、つい自分中心に考える癖のある私にはこれが或る種の処世術になった。会話も相手が話し終わるまで口を開かないようにした。すると、自分の話すターンは今じゃないと思えたのか『もっと話したい欲求』が抑えられるようになってきた。これって普通の人には当たり前なんだろうけど。
今の病院を始めて受診した時、診察時間は2時間を超えた。それだけ私の話を理解しようとしてくれることが嬉しかった。そしてこんな事を言われた。
『発達障害やグレーゾーン(非定型発達)に居る人は、脳の完成スピードが定型発達の人とは違う』
その時の先生のお話では、私の脳はまだ完成したばかりなのではないかとのことだった。今年で33歳になる私だが、恐らく完成したのは本当につい最近のことらしい。だからこんなにも急速に色々な変化があったのかもしれない。でもそれは私の所為でも両親や家族の所為でもない。ただ、そう生まれただけ。その話を聴いて少し嬉しくなった。周りに合わせられないと思ってきた事は間違いじゃない。でもおかしいって訳でもない。ただ、そう言う設計図を持って生まれたのだ。何か、腑に落ちる説明だった。
私の心とか精神って、この脳味噌じゃないと生まれないものだったんだろう。人とは違う形でも、それも悪くないと思える。だって、この私だから作れるものがある。人間皆DNA配列は違えど同じホモサピエンスだ。そんな中でこの脳を持つ私だけが描ける世界があるって、すっごく面白いじゃないの。相変わらず二次創作ばかりだけど、書く事は本当に楽しいし、他の物を作るのも楽しい。これがもしも躁によるものでもまあ良いのかな。時々休めば多分動けるだろうし。休もうと思えるようになったのも脳が完成したからなのかも。
成長と成熟の結果、私は生きることが楽になったし、楽しく生きられている。遠回りをしないと得られなかった知識とか経験のお陰もある。他の人と同じ面と違う面、はみ出すところと足りないところ、全て私オリジナルの人生だ。
うん、まあ悪くないね。
人生で33回目の春、初めてと言ってもいいくらい春の訪れを心から喜んでいる気がする。此処からだ。此処まで来るのにも時間が掛かったけど、結局終わりまで歩き続ける事を私は選んだ。途中立ち止まる事はあったけど、また歩き始めて今がある。目の前が真っ暗になっても、明けない夜が来ても、止まない雨が降っても。何でかいつの間にか抜け出してまた光の方へ向かっている。どうやら私はしぶといらしい。楽園とは思えなくても、寧ろ地獄だったとしても、同じく苦しいならそれも楽しんでみようかなと思う。結局、苦しくないと楽しさとかも無くなるからさ。
まあこれは大分回復してからの感覚なので、今が苦しくて助けてほしい人が居るなら、誰かにヘルプを出そう。もしその相手が私なら、出来る限りで寄り添うから。