memo

▼2025/09/06:教養と遊びは両立することがある、知識で武装し無双せよ

相変わらず妙な記憶力の良さを発揮している日々だ。お陰様で来店されるお客様の事を結構記憶していて、この前接客したご婦人方に『いつもお二人でいらしてますよね?』と訊いて驚かれた。私としてはその方々と幾らかお話しているので、それなりに記憶してそれをそのままアウトプットした形なのだが。覚えられている事を気味悪く思う方もいらっしゃるのは知っていたので情報は小出しにしたんだけど、『確かシニアのワンちゃんと暮らしていらっしゃいますよね?』と訊けば『そうそう! よく覚えてるわね〜』と好意的にとらえて貰えて良かったと思う。
元々視覚からの情報に強いのと、聴覚もそれなりだし過敏気味なので、両方の情報を統合して覚える事が多い。と書くと『統合失調症とは?』となるがまあ、服薬をきっちりしている結果と思っておく。

こうなった要因は、読書して情報をインプットする→書いてアウトプットする、の繰り返しを趣味で行なっていたが故だと思う。幼稚園の頃から読書が大好きで、小さな頃から身近に沢山の本や画集がある人生なのだけど、購入して貰う事は勿論、大きな図書館にはよく連れて行ってもらってた。三歳とかかな、縄文時代の人々の生活を模したミニチュアのの展示があって、あれを見た時から私は小さく作られた作り物の世界が好きだ。で、今でも覚えている小さな頃の記憶が結構沢山あって、それに付随して嫌な事を思い出す機会の方が多いんだけど、時々『これは忘れないようにしよう』と決めるくらい良い経験もある。
学生時代も図書館には入り浸っていて、毎日読書してた。いじめられっ子だったのもあって、静かに本を読んでいれば何も言われない空間は心地好く思える。おまけに速読なもんだから、朝借りた本を休み時間のたびに読んで放課後には返しに行くこともしばしばだった。
最速はアレかな、京極夏彦先生の『百鬼夜行シリーズ』を一日で4冊読んだ時。高校の頃で、たまたまクラスマッチで早々に負けてしまって時間が空いたから呼んでみようと借りたら面白すぎて驚いた。姑獲鳥の夏から鉄鼠の檻まで一気に読んでしまって、司書の先生には『本当に読んだの?』と訊かれる。まあそりゃあそうだと思う。分厚すぎる事で有名で、通称『レンガ本』だもの。
中学の図書館は、人生で過ごしたどの図書館も勝てないマニアックな蔵書が大好きだった。エジプトの死者の書の翻訳版もあればアジアンスイーツのレシピ本もあって、『17歳のカルテ』の原作とかクラフトエビング商會の本、セリアリーズの『魔女の血を引く娘』とかキノの旅シリーズが全巻揃っていたり、マイナーな外国児童書も沢山あって、今でもたまに行きたくなる。で、私読んだ本は大体内容を覚えてしまうので次は楽しめないかと思いきや、次に読む時は読みたい所だけ読むとか考察したいからじっくり読むとか、緩急らしきものが付けられるようになった。
今は映像作品でも同じような事をしている。ドラマも好きだけど、映画はもっと好き。同じ映画を繰り返し観に行く事もしばしばで、原作小説に手を出したりその逆も良くやる。原作通り製作するのは大変だし、それだけでは魅力に欠ける事があるのは重々承知のうえで、原作を映像にしたからこその良さを見つけると号泣してしまって映画館を出る時にはメイクが流れ落ちている事もたまにある。
で、考察をするとなるとある程度記憶力が必要になると思うんだけど、記憶力が良いから考察好きなのか、考察するのが好きで記憶力が上がったのかは、完全に『鶏が先か卵が先か』の話になってしまう。両方とも言えそうだし。
仕事にしろ趣味にしろ、私の記憶の仕方は『色』に結びついていることが多い。脳内の情報や記憶を仕舞ておく引き出しには『記憶に基づいた色のインデックス』がついていて、それをヒントに情報を出したり整理してるんだと思う。店にある膨大な数の商品も『色』と『パッケージの文字』で覚えていて、微妙な違いを見つけられるのはJANコード以外に色で識別する癖のお陰な気がする。
となると、視覚(特に色覚)に強くしてくれた両親(実父含め)には感謝しないとなと思う。私の絵画への興味を絵画教室へ結び付けてくれたから今があるのだし。5歳から19歳まで絵画教室に通っていた事を今の職場の人に言ったら結構驚かれたし、初対面の人はそれなりに興味を持ってくれるから、其処から接客に繋げる事も多かった。

で、友人のブログをきっかけに思い出した事があるんだけど。
『遊べる本屋』ことヴィレッジヴァンガードが大量に閉店するらしい。初めてあの店に行ったのは小学生高学年の頃で、実父が何でか連れて行ってくれた事で存在を知る事になった。小学生の私には少々刺激が強い店内だったことを覚えてる。床から天井まで色に溢れたガチャガチャした洞窟みたいなお店だった。独特の筆跡で書かれたPOPとか、普段目にしないタイプの漫画とか書籍が沢山あって、あのお店で出逢った書籍が今も何冊か本棚にある。嶽本野ばら先生とか、三原ミツカズ先生とか。ゴシックロリータにハマったのはその直後の事で、田舎の中学生だった私には魅力的だし『外の世界』の情報を得られる貴重な場でもあった。
専門学校に入る為に北海道に戻って来てからも、札幌のヴィレヴァンに通っては色んな本を読んだ。その時たまたまイヤホンで音楽を聴いていなくて店内BGMで耳にしたのが、今も聴いているキタニタツヤさんの楽曲で、すっかり気に入った私はまだインディーズ時代のCDを購入した。その後何曲もハマる曲を生み出してくれたキタニさんの存在を知れたのはヴィレヴァンがあったからで、ヴィレヴァンを教えてくれた実父に少しくらいは感謝しないとなって思う。初めて行った時に購入したのは外国産のポテトチップスだったのがちょっとおかしくて笑っちゃうけど。
去年の末くらいに発表されて、直ぐにダウンロードして聴き始めた『ずうっといっしょ!』が無かったら思いつかなかった二次創作小説が何本もあるんだよね。

何か、あの人との過去全部を恨む必要はないんだなって最近考えるようになった。過去が無かったら多分今の私じゃないし。愛されてたのは確かだし。愛があればなんだってしていいわけじゃないけど、無いよりはマシというか。
素直に恵まれていると思えるくらいには愛してくれてたんだよね。やりたい事は何でもやらせてくれる人でもあった。
許すと許さないが混じり合って『今』があるんだなって思うよ。

そう言えば今日、職場での面談だったんだよね。うちの会社は障害者雇用だと支援機関を通さないといけなくて、月一で面談がある(就労移行支援じゃなくて就労定着支援)。で、今の私はかなり安定して働けているらしい。何と言うか、色んな事を俯瞰して見られてるらしい。離人症とは別で、『自分は今何を感じて、思って、考えた結果行動したのか』を考える事が出来るようになってきた。行動って『考えて』『判断する』のプロセスの結果でしょ。そうすると其処に至るまでに何かしらの理由がある事が殆どだと思う。無意識にしている行為の心算でも、意識の下で考えて判断しないとそれに移せないと思うんだよね。私も、商品を整える作業をしてる時は『無意識』に『新しい物は後、古いものは前』に並べてる。賞味期限切れとか怖いし、あってはいけないって知ってるから。でもそれって『賞味期限切れの商品を誤って販売した場合のリスク』を考えた結果じゃん。となると考えてる筈なんだよね。行動の前に考えや理由が無い事って、多分私にはあんまり無いんだよ。少なくとも仕事上はね。
これをいろんな場面に適用できるようになってきたのかな。疲れている事を自覚したら休むなり、ストレッチするなり、カフェインを摂取するなりする。少し回復したら『何で疲れたのか』を考えて分析する。理由が判ったら『じゃあどうするか』を考える。で、行動に移す。その繰り返しで巧い事力を抜けるようにもなって来たし、逆に入れるべき場面ではギアを上げる事が出来るようになった。
勿論今の店が忙し過ぎないからってことはあると思うから、やっぱり環境を整えるのも大切だけども。でも、自分なりの身体と心の疲れや不調を早めにキャッチして対処出来てるのは自分で自分を褒めるべきだと感じてる。今までがむしゃらに働き過ぎて壊れちゃったから、自分のケアをきちんと出来てるのは褒められていい。

そんで、プライベートにも少しずつ応用するようにし始めた。自分の限界を知った上で、常に7割くらいの行動しかしないようにしてる。無理しない、って言うのは頑張らないとは全然違う。サボるのは相変わらず苦手だけど、力を抜くとか予定を次の休みに持ち越すって事を自分に許せるようになった。
頑張ってない自分を許すのが難しいから、自分をケアする自分を許す方が私には合ってる。あと、何だかんだ毎日頑張ってるのも確かなんだよね。朝起きてご飯食べてお弁当作って身支度して、ちょっと英語の勉強もして。結構色んな考えと判断と行動があると思う。現代人は鬱っぽくなりがちなのは、考え過ぎて判断が続き過ぎて疲れ経ってるんじゃないかな。そう思うと風呂キャンセルって意外と身近な事なんだろうな。お風呂って考えて判断して行動するの連続じゃん。おまけになるべくなら効率よく行きたいし。
健康さえ損なわなければ、時々くらいサボるかサポートアイテムもガンガン使えば良い(ドライシャンプーとかね)んじゃないかぁ。周囲への配慮さえ忘れなければいいと思うんだけどねって夜。


←前へ | 次へ→