memo

▼2023/09/04:過去の自分は殺せなかった

統合失調症と診断されたのは、十七歳の時だ。それ以前からも私は多分、精神的におかしいところがあったんだと思う。
初めて死にたいと思ったのは五歳の頃の話だが、それとほぼ同時期からの私は、私と言う別の人間を演じているような気分を抱えて生きてきた。前に此処でも書いた事があると思う。自分に起きている出来事でもまるで外側から(若しくは内側から)眺めているような気分になるのだ。それは何かをしている時、ふと訪れる違和感のようなもので、瞬間瞬間に『これは本当の私なんだろうか?』と疑問に思う。鏡に映る自分を見ている時も良くこの状態に陥る。特にお風呂場ではそれが顕著だ。『今此処に居る自分は本当に自分なんだろうか』『私は何処に居るんだろう。これは私じゃない別の人間の人生なんじゃないだろうか』と思い始めると一度思考を止める事にしている。深呼吸をして自分の手を見る。この角度で掌を見る事が出来るのは私だけだからと思えるのだ。
過去に二回本格的な自殺未遂をしているが、その直後はそれどころじゃなかったのか、自分が自分じゃない気分に陥る事は無かった。ただ、自分が現実に生きていないまるで夢の中みたいな感覚は続いた。

この思考の始まりは何処だったんだろう。そして、あれだけ死ぬような思いをして生き残ったのに、なぜまだ死にたいのだろう。

ぶっちゃけ、今の人生は楽しい。仕事もプライベートも充実している。まあ、最近趣味の方面で使っていたSNSに危機が訪れたりしてその趣味が出来ない状態なのはストレスだが。けれども多趣味なので、他の趣味や資格試験の勉強でそこそこに忙しく時間が足りない日々を送っている。自分磨きもお洒落の研究も楽しみながら続けている。コスメ関係で月に幾ら使っているのか考えるのは怖いので遠慮したいが。

そんな楽しくて充実している日常を送れているのに、ふとした時死にたくなる。これはきっと思考の癖だ。それも悪癖であり、なのに呼吸と同じくらいに馴染みのある行為。手首を切ろうとも高い所から飛び降りようとも思わないが『死んじゃおうかな』『あー、死にたい』と心の中では呟いてしまう。主に職場でそう思うのは、少なからず仕事がストレスの源になってしまっているからなのか。自分でやりたいと感じた仕事な上、とても恵まれている職場なのに。
前々から感じていた事だが、私は私自身の命を人質にとって、思う通りにならない現実(主に周囲の人達)を脅迫している気がしてならない。なんて幼稚なんだろう。そうも思うから、一度も口に出した事はない。ただ、私は自分の命を軽く見過ぎている気もする。周囲の命も同じくらい軽く見ている。嫌な態度を取られると『死んでしまえば良いのに』と簡単に思う。これは本当に良くない癖だ。本気で死ねと思う訳ではないけれど。
最近、このブログでは書いてこなかった話題だと思う。此処での私は精神病を抱えながらもそこそこ明るく前向きに振る舞ってきたから、読んだ人は驚くかもしれない。でもこれも私だ。死にたいと願いながら、他者にも死ねと思う。私にとって死は常に身近で、隣人にも近い存在だ。一度向こう側に行こうと本気で実行してしまったら、逃げられなくなった。いつだって死は私に手招きをする。その手を取るつもりは今のところはないけれど、また絶望が訪れた時、私はそれを振り払う事が出来るのか、あまり自信がない。
積極的に死にたいのではなく、死にたいような消えたいようなぼんやりとした不安に纏わりつかれるのは、メンタルを病んだ人間にはあるあるなのだろう。その手を取ったとして、残された人達はどう思うのかを考えられるうちに縁を切りたい。でも、死にたいと願わない私になれる自信もなかった。この先、幸せな事と苦しい事、どれくらいの割合で訪れるのか、せめて知りたい。この世界にさよならを告げた方が良いのか判断がつくから。

やりたい事も知りたい事も食べたい物も尽きないのに、誰にも疎まれていないのにこんなにも死にたいのは、結局のところ、これ以上傷つきたくないからなのだ。傷ついて苦しくて辛くてどうしようもなくなる前に、それを味わう前に死んでしまいたい。
だって、私は弱いから。笑っちゃうくらいに弱くて、傷ついたらすぐに立ち上がれなくなるから。死ねば、楽しい事もないけど辛い事もないもんね。

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