『(ムカつく、ムカつくムカつく!)』
名無しはズンズンと足音をたてながら進む。普段から名無しが彼を揶揄い、彼が名無しを揶揄い返す事は多々あったが、今回のは流石にやりすぎだ。彼にここまでされる様な事やったっけか?と最近の記憶を思い起こすが、最近は自分的にも大人しくしていた方なので覚えが無い。今回ばかりは無罪だ。
『(しかもなんか…幸せそうに笑うし…)』
名無しは足を止める。ニヒルないつもの笑みでは無く本当に嬉しそうに笑うものだから、こちらも訳がわからないまま飛び出してきてしまった。はあ、と名無しは溜息を吐く。こんな顔が熱いまま皆がもう集まっているであろうダイニングに行けば揶揄われるのは避けられないだろう。こういう時は彼の所に行くのが正解だろう。名無しは方向転換をすると、その場所へ早足で向かった。
『何だよ嬢ちゃん。ガキは趣味じゃねぇんだ』
『ねえフランキー…』
名無しはフランキーの特徴的な髪を弄る。今日はカブトムシの角スタイルのようだ。フランキーの背中は名無しにとって安全地帯だ。何か有れば彼の背中に飛び付いて隠れる。それが名無しにとってのこの船での逃げ場だった。カチャカチャと何か機械の部品をいじっているフランキーは一端、手を止めると振り向く。
『あ?』
『わたし、もうダメかもしれない…』
『おー、ゾロか?』
いつもの事か、と言ったふうに再び作業に戻るフランキーに名無しは唇を尖らせて彼の首にぎゅっと抱き付く。
『フランキー』
『あ?』
『今日の私可愛い?』
『おう。おれの趣味じゃねえがな』
作業をやめないまま、自然とさらっと言うフランキーに、名無しはにへらっと彼の背中で笑う。
『今日はね、オレンジメイクにしたんだよ』
『あー。通りで。いつもと違えなと思った』
『ふふ、ふふ、フランキーはモテ男だね』
『当たり前ぇだろ。おれを誰だと思ってんだ』
『ゾロはね、ブサイクだって言うの。酷くない?』
『あー…アイツにもいろいろあるんだろ』
『可愛いねって素直に言えば良いのにね』
ムスッと不機嫌そうにする名無しにフランキーはふう、と溜息を吐くと工具を置いて背中に張り付いている名無しを降ろす。
『んな事言ってねえで、そろそろ飯だろ。先行ってろ』
『はーいありがとフランキー!』
フランキーは素直に工場から出て行く名無しの後ろ姿を見送って、時計を確認すると広げた部品を仕舞う作業を始めた。
名無しがキッチンの扉を開くと、もう既に朝食を始めている麦わらの一味達の視線が彼女に集まった。良かった。まだゾロは来ていない。胸を撫で下ろす。
『あら、遅かったわね』
『来たか!名無し!〜っルフィ!てめえ!』
『おはようウソップ、ロビン』
名無しは振り返るナミに微笑んで、ルフィに肉を奪われたウソップに挨拶をしながら席に着席する。ロビンが透き通る声で『おはよう名無し』と返した。名無しはルフィの伸びた腕にしがみついているウソップを眺めて、相変わらずここは戦場ばりに激しい争いが行われていて飽きないな、と思った。
『あれ…また寝ながら食べてるのルフィ』
この争いの原因、台風の目であるルフィは鼻提灯を鼻に浮かべながらも男性陣から食べ物を奪い、流し込む様に朝食を飲み込んでいく。その瞳は固く閉じられていて、寝ながらも女性陣のものに手を出さないのはナミの教育という名の暴力を恐れている為だろう。素晴らしい。ありがとうナミ。
『あ!遅いぞゾロ!』
『グルまゆ。酒』
『テメーで取れ!』
『朝から飲むの?やめときなさいよ』
チョッパーが名無しの背後に向けて声をかけた。名無しはすぐ後ろからの聞き慣れた低い声にビシッと固まる。その声の主は名無しの空いている隣の席にどかっと座ると、あからさまに名無しを凝視する。
『(すごく視線感じる)』
名無しは意地でもそっちは向いてやらないぞ、という気持ちでひたすら朝食を口に詰め込む。あのサンジが作ってくれたのだからとても美味しい筈なのに味がしないのは隣の男のせいだろう。
『オイ。風呂にこれ忘れてったぞ』
ゾロはテーブルの上に名無しの化粧ポーチを雑に置いた。ゾロの言葉に張本人の名無しより早く反応したのはサンジであった。
『風呂ォ?!なっなっなっなっなんでお前が??!!』
『俺だってたまには入る』
『そうじゃねぇ!!なんでわざわざ!!名無しちゃんの後に!!さてはお前……っ??!!のっのっ覗いてきたのか??!!!』
『うるせえなお前は』
ゾロの一言がトドメになって言い合いは殴り合いの喧嘩へと発展し、更に朝のダイニングが騒がしくなった。サンジの怒りの足蹴りがゾロを捉え、ゾロはそれをいなし、刀を抜く。いつもの光景。他の一味も慣れたもんだと、それよりもゾロが名無しの化粧ポーチを持ってきた事の方が気になるみたいで、ナミがニヤニヤしながら名無しに言う。
『あら〜随分仲良しじゃない?もしかして…一緒に入ったとか?』
『ゾロもやるな〜』
関心したようにうんうんと頷くウソップと、その横で『おれも名無しと入りたいぞ!』と可愛い事を言うチョッパーとクスクスと笑うロビンに『私も覗きたかったです!ヨホホホホ!』と笑うブルックと、たった今ダイニングにやって来てゾロとサンジの喧嘩に『またやってんのかお前ら』と突っ込むフランキー。そしてこの騒ぎの中まだ眠りながら人の朝食をかすみ取るルフィ。名無しはあまりの情報量の多さに混乱しながらも否定をする。
『ちっ違うよ?!ゾロが後から入ってきて、その…ゾロが…えーと、』
名無しの後からゾロがやって来て、訳が分からないまま壁ドンされた。と言える訳もなく名無しは口籠る。
『歯切れ悪いわね。逆に怪しいわ』
楽しそうにニヤニヤ笑うナミやウソップに名無しは唇をきゅっとする。そしてええーいままよ、と口を開いた。
『ゾロにセクハラされたの』
『なにぃ?!お、おい名無し!』
サンジの攻撃を受け止めたゾロが焦った様子で名無しの名前を呼ぶが、名前は構わずに続ける。
『私…傷付いちゃったかも』
『…お、お、お、』
『落ち着けサンジ』
頬に手を当ててはあ、と溜息をつく名無しの言葉にサンジがブルブルと体を震わせる。ウソップがすかさずサンジに声をかけるが、もはや彼は止まらない。
『マリモオォーーーー!!許せねえ!!!!』
サンジは瞳に炎を宿して怒りの鉄槌を繰り出した。ゾロがそれを受け止める。
『上等じゃねえか!!エロガッパ!!!』
『サニー号壊すなよお前ら』
フランキーが呆れたように言った。
ナミやウソップ達の対撃を逃れて、名無しは女子部屋へと戻っていた。あのまま、ダイニングに留まったら更にややこしい事になりそうなのは目に見えていた。名無しはガシガシと歯磨きをしながら鏡に向き合う。ゾロが彼女をブスやらブサイクやら言うのは日常茶飯事の事なので別にそれについては対して気にしていない。問題はあの壁ドンだ。名無しから彼にふざけて飛び付いたりする事はあったものの、彼からあんな風に絡んでくるのは初めてだった。いつもより真剣な彼の顔が脳裏にこびり付いて離れない。一体何だったのだろうか。名無しはガラガラと仕上げのうがいをして、歯ブラシをナミとロビンの歯ブラシの隣に置く。タオルで口元を拭いて、さあ今日は女子部屋に引き篭もっていよう。と振り返った所でこの部屋には似つかない異質な物が視界に入って名無しは動きを止めた。
『…何してるの、ゾロ』
『傷付いたのか』
『は?』
そこには今の名無しの悩みの種が腕を組んで踏ん反り返るようにベッドに座っていた。唇をムッとさせながら彼の放った言葉に名無しが首を傾げる。少し考えて、あ、さっきの事か。と合点が言ってポンと手を叩いた所で名無しは気付いた。
『ちょっ、そこ、ナミのベッド!!殺されるよ!』
名無しは顔を青褪めて、ゾロの腕を取り引き摺るようにして外に連れ出した。ゾロの力なら簡単に彼女の手を振り解ける。だけどそうしないのは彼がその必要性を感じてないからだ。ゾロは何となく彼女の頸を見つめながら素直に名無しに着いていく。
階段を登って甲板を暫く進んだ所で名無しが足を止めて、髪を揺らして振り返った。彼女の花火を咲かせた様な瞳と目が合う。ゾロはこの瞳が好きだった。いつでも色とりどりの花火を咲かせて、どんな時でも揺るがない、そんな彼女の瞳が好きだった。
『とりあえず、座って』
名無しは半無理やりにゾロを甲板に座らせると、自分も同じ様に向かい合うように体育座りで座った。そしてふう、と息を吐くと名無しがぽつりと言う。
『あれはその…ブサイクって言ったでしょ。それのやり返し』
唇を尖らせて、いじけたように俯いた彼女のつむじを、ゾロは眺めながら少し苛ついた声で言う。
『最近ぐるまゆと仲良いじゃねえか』
『はい?そりゃ仲間だから。当然でしょ』
真意が読めないゾロの言葉に名無しが首を傾げる。ゾロは彼女の言葉にピクっと瞼を動かすと、不思議そうにしている彼女から目を逸らす。
『アイツに優しくすんな。つけ上がるぞ』
『サンジくんはそんな人じゃないでしょ…』
『ブルックにもああいう事言うな』
ゾロがそっぽを向いて言い放った言葉に、名無しは一瞬きょとん、として今朝からの自分の行動と、彼の不可思議な行動を思い浮かべて、ある推察が思い当たった。
『…ああ〜…なるほど。今朝の見てたの?…もしかしてゾロ。嫉妬してるの?』
名無しはあからさまに顔に嬉しさを滲ませて、ゾロに滲み寄る。ゾロは嫌そうに顔を歪めて、彼女から距離を取ろうとする。
『してねえ』
『してるじゃん』
『してねえっての』
『してる』
『しつけえ!』
ついに立ち上がり、この場から逃げようとするゾロに名無しは立ち上がって彼の前に回り込む。ニヤニヤ顔を張り付けて彼の顔を覗き込む彼女にゾロは『…ぐっ』と声を漏らす。
『ふふ、ゾロは嘘が下手だね』
先程のニヤニヤ顔とは打って変わって頬を染めて目を細めて笑う彼女にゾロは『…うるせ』と小さく声を漏らした。
『あ、』
『?!おい?!』
ゾロの表情を確認する事に夢中になっていた所為で背後に迫っていた階段に気付かなかった名無しが足を踏み外した。ゾロは慌てて彼女の手を取って自分に引き寄せる。その衝撃で二人して甲板に倒れて、まるで名無しがゾロを押し倒した様なポーズになってしまう。名無しが『び、びっくりした』とゾロの上で呟く。
『てめーは何してんだアホ』
ぶつけた後頭部を摩りながらゾロが文句を言う。名無しは顔を上げて彼に『ありがと死ぬ所だった』と礼を言うと、暫く彼の顔をじっと見つめる。
『…んだよ』
彼女は気付いているのだろうか。少しゾロが首を傾げればその唇にキスを出来そうな距離に。ゾロは今の感情とは逆に更に眉間に皺を寄せた。
『ふふ、仲直りだね』
『…ばーか』
ゾロの照れ隠しの言葉に花火が咲く様に笑った。
『何やってんだおめえら?』
突如横からの聞き覚えのある声に名無しとゾロが振り向く。そこには柵に乗って朝食の残りであろう肉を、片手に頬張っている船長が心底不思議そうな顔で座っていた。
『ルフィじゃねえか。いつからいたんだお前』
同様に落ち着いた声色で返すゾロ。ルフィは口に入っている肉を呑み込んでから、んーっと首を傾げる。
『名無しはブサイクなのか?』
『最初からじゃねえか』
ゾロの鋭いような緩い様なツッコミに、名無しがクスクスと笑った。
end