えいがろぐ
観た映画の感想を好きに書いてる。
めっちゃ個人の感想だしネタバレもする。


▼ ベンジャミン・バトン 数奇な人生


自分にはまだ早い、もしくは、自分はこの映画を適切に見て聞いて感じられることは一生ないのかもしれない。でも、数年後に改めて観て、自分が何を思うかを確認したくなる。
2時間45分と長めの作品だったし途中で退屈になったりしたけど、これは「人生」を描いているのだからそれも然りだな、と思ったりした。
演出として、登場人物の表情が暗くて見えないことが度々あって、そういうの好き……って思ってる。デイジーが暗闇の中で踊っているシーンは印象的で、すごく美しかった。
デイヴィット・フィンチャー監督の作品はいくつか観てて、画面構成がすごく印象的だったり綺麗だなって思ってたけど、この作品の画面の美しさは監督の作品の中で一番かもしれない……好きだ……。
ちょっと引っ掛かったのは、時間の巻き戻りと肉体の関係性?いや、肉体の質量と巻き戻りの関係性かな?そこが気になった……。
産まれた時点では、体の質量は赤ん坊で、体の機能は老人で、精神は赤ん坊だった。年齢を重ねるごとに体の質量は成長に比例し、体の機能は巻き戻り、精神は成長していった。終盤では体の質量は赤ん坊で、体の機能は巻き戻り続け、精神は退行した。……いや、なんで?どうして体の質量のグラフが山形になるの!?どうして……どうして……。精神が山形になるのはいいよ、だって精神は体の機能に左右されるからね……でも体の質量の山形はなに……ぼくには理解できなかった……。
不可解ポイントはとりあえず置いておく。
作中ではベンジャミンの人生に刻まれていった言葉がいくつもあって、それはとても、自分にも向けられたような、響く言葉たちだった。それでも自分がこの作品を真に、飲み込めていないのは、やっぱり作中のメインは「愛」だったからなんだろうな、と考えている。
愛する人と同じ時間を生きられない。と言われても、存在している時間は同じだし、生きている時間だって異種族みたいな違いもない。じゃあ何が問題なのか?Q:肉体の時間の流れが真逆であること、それによって生じる不具合は? 自分はそれに答を出せない。
自分は肉体に重きを置いていないので、性別という概念にも興味がなく、肉体への執着も希薄だから、この作品で描かれる想いや苦悩がわからないのだな、と思った。
自己分析はとりあえずストップ。
作中では"現在"がずっと嵐だった。それが何故なのかずっと気になっていたのだけど、最後にデイジーが死んだ後、嵐で生じた水が撤去されて仕舞われていた「始まりの時計」を呑み込んでいって、めちゃくちゃ脱帽した……。時計が仕舞われていたのは小さな狭い倉庫で、その中に水が流れ込んでいく。時間=胎児を羊水が満たしていくようで、これでやっと、彼は還ったのだと思わされた。凄い。凄すぎる。大好き……。
感想はこれくらいかな?また3年後くらいに観てみような〜!

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