◆◇ なけなしの愛でよければ
カルデアに設置されている喫煙室というのは、少し凝った造りをしている。小さな人工庭園の中央に広々とスペースを設けられた、無色透明、ガラスの箱。ストレスに対するリラックス効果を狙ったのであろう、緑の中に鎮座する、煙たい部屋。そこは、私がカルデア内でもよく訪れる場所の三本指に入っていた。
愛用する煙草を咥えて火を点けながら、かの魔術王に人理を消し滅ぼされた頃のことを思い出す。
あの時はカルデア以外の現在が諸共なくなってしまったものだから、食料の調達にはそれはそれは苦労した。そして食料を得るのが難しかったのだから、当然のことに趣向品でしかない煙草が手に入るわけもない。どうしようもない状況で私たち喫煙者は元々ストックしてあった分を少しずつ崩し、しばらくの間はひもじい減煙生活を強いられたものだ。
喫煙所に落ち着いてまず頭に浮かぶことが毎回これであるのは、最早癖なのだろう。それ程までに人理修復に関しての記憶は深く濃く、私の意識にも無意識にも刻み込まれているのだ。
「おっ、なんだ、先客かい」
何か考えるでもなく呆けていたところに、突如として声が割り込んでくる。それまでに一切気配など感じなかったが、その声の主を目にしたところでいつもの如く当然か、と納得した。振り返るまでもなく事実として、今までもこの人の気配に気付けたことなんてありはしない。
「どうも、キャスターさん」
「おう。相変わらずだな、嬢ちゃん」
杖を持たずマントも羽織っていない大分ラフな格好をしたキャスタークラスのクー・フーリンが、紅玉を持つ目を親しげに細めてゆったりとこちらに向かってくる。ランサーの彼と違って結われていない青い髪を足取りで揺らす彼は、私と同じくこの喫煙室の常連であるサーヴァントだった。
私しか居なかった喫煙室には空いている場所など幾らでもあったが、キャスターさんは迷いなく私の方へと足を運んで些かがさつに隣に腰を下ろす。そのまま慣れたように自然に煙草を咥えると、これまた大袈裟なアクションを起こすでもなく自然に、煙草の先を私の方に向けて少しだけ顔を寄せてきた。この人は、どうにもパーソナルスペースが狭い。毎度のことながら、そう思わされる。
知的さが増しているらしいキャスターの彼であっても、元々の性格としてこの人は結構欲に忠実だ。気儘なところも多く、奔放な部分もそれなりにあると言えるだろう。そんな彼がこの仕草を私に向けてくるのは初めてではないが、なんとなしに親密さを感じさせるこの遣り取りが、私は実のところ少し苦手なのだった。
「ん。……ん」
「はいはい、只今」
黙っていても雰囲気のある男から遂には流し目で促されて、元から根比べする気もなかった私は彼の煙草の先に人差し指を近付ける。
“feuer” そう呟けば体に記憶された魔術回路が反応して、指先に小さな火が灯った。自身の魔力の性質からか青く揺らめいている火は、差し出された煙草の先を燃やし、他物質に移っても尚青さを保っている。しっかりと煙が立つのを確認してから指の火を消せば、寄せていた顔を離した彼はしっかりと煙を吸って長く吐くと満足そうに目を細めた。
「本当、いつも言ってますけど、もの好きですよね」
「否定はしねえさ。ま、いつも言ってるが、酒だとかアレだとかそういうモンみたいにコレだって女にしてもらうとまたうめえって話よ」
「立香ちゃんも大変だ」
「マスターは魔術はからっきしだからな。コレに関しちゃあ、アンタが一番だぜ?」
「はい、そりゃどうも。マシュちゃんに同じことを言ったらセクハラですからね」
「ははっ、そりゃ今更だな!」
悪戯に軽く絡んでくるキャスターさんに軽い調子で返しながら、私も吸いかけだった煙草に口を付ける。ゆっくり深く吸って味をしっかり感じてから長く吐いて、増えていた灰を軽く叩いて落とした。なにやらキャスターさんからの視線を感じるが何か言おうとするような様子はないので、特に反応をすることもなく煙を吹かす。なんとなくで吸って吐いてを繰り返していれば、吸いかけのそれはすぐに短くなってしまった。
「なあ嬢ちゃん」
「はい?なんですか」
「お前さん、確かマスターとそこまで歳は離れてないって言ってたよな?いくつだ?」
「今更何故そんな質問が出てくるんですかね……どうかしました?」
「質問を質問で返すのはなっちゃいない、が……まあ御尤もな疑問だわな」
「はあ」
「単純に、ただの興味だ。それ以外の他意はねえよ」
次の煙草を手に取った途端の問い掛けに、そこにある真意はなんとなくだけれど察せられる。自分の指に挟まれたまだ火の点いていない煙草を一度だけ流し見て、それから間を置くこともなく私は答えた。
「十九歳ですよ。立香ちゃんとはふたつ差です」
「問い返しする割にはあっさり答えんだな!」
「ええ、隠してませんからね」
私が答えたことに拍子抜けしたのか、キャスターさんはやや勢い良く突っ込みを入れてくる。それに当然だと頷きながら、私は煙草を咥えて先程と同じように火を点けた。その様子をよく見ていたキャスターさんの表情は呆れているのか、それとも面白がっているのかよくわからない。けれどそこに良心的な非難の色はなく、それがない限りは私にとって彼の表情の真意はそう気になるところではなかった。
そういえば、私はいつから煙草を吸っているのだろう。そう考えてから、私はふとその疑問がとてもあやふやであることに思い至る。
いつから、の “いつ” がまず “どれ” を指しているのか、それすらもわからないのだ。今世の今までを一本の筋として記憶しているかといえば、それも否。所々に無意識のまま “前” のものが組み込まれていることも珍しくはないし、自分の記憶に絶対の自信はなかった。
別のところに意識を向けていながらも滞りなく動作を続けているのだから、今の体でもそれなりに長く吸っているのだろう。産まれる度に体は別物になるのだから、私は前まで体が憶えていた動きや癖なんかはフィクションのように絶えなく続いたりすることがなかった。意識の記憶をアテにするよりも体の記憶の方が事実を語ると理解したのは、一体いつのことだっただろうか、なんて。
「嬢ちゃん」
何故だかきつい声で自身を呼ばれて、不意に視界が開けた。自分の肩が跳ねていたことに気付いて、いつの間にやら思考に沈んでいたのだと察する。私を呼び戻した声の主に目を向ければ――紅い瞳がこちらを見下ろして、いる。
「すみません、キャスターさん。ぼんやりしてました」
「嬢ちゃん、俺が他所で何て呼ばれてるか、知ってるか?」
咄嗟に謝罪を入れたが、どうしてだか、彼はほとんど被せるように全く脈絡のない言葉を返した。些か困惑する私を他所に、キャスターさんはテーブルに肘を着くと顔も体もこちらへ向けてしっかりと紅い視線を注いでくる。
こうやって、逃がさない様に捕まえるような眼には今まで何度も遭遇してきたけれど、粘度のない鋭さすら感じさせるものはそうそうなかったようで、体は少しの緊張を覚えていた。
「光の御子、ですよね」
「おう、そうだ。俺の親父は太陽神ルー、つまり俺は半分とはいえ神の血を引いてる、ってことだな」
「はい、それは知ってますけれども」
「まあ、つまりだな。あーなんていうか……一応俺も半神だからな、純人間よりもみえたり感じたりするとこがあんだよ」
「……はい」
「嬢ちゃん、お前さんさっき……何を考えていた?」
曇りのない、裏も打算もない、澄んだ問い掛けだ。その問いから薄らと漂う緊張感に畏怖するよりも先に、私はそんな根拠のない確信を抱く。
いつもの軽妙な姿をすっかり潜めてしまった彼からの視線は、驚く程真摯に私を貫いていた。もっと前の今より未熟な私であったならば根拠のない確信など信じられなかっただろうが、今の私は昔とは違っている。人類最後のマスターである藤丸立香と共に、彼女の現場サポートとして幾つもの特異点を生き抜いてきた。その中でこの所謂勘と呼ばれるコイツは、幾度となく私を救ってきたのだから。
キャスタークラスのクー・フーリン。彼との付き合いは長いのか短いのか、私にはよくわからない。けれど、立香ちゃんやマシュちゃんと共に冬木に飛ばされた時から、明確な関係性がなくても現在まで縁が続いているのは確かだった。
私は彼のマスターではないし、彼と同じサーヴァントでもない。私は立香ちゃんのサポーターであってサーヴァントである彼のサポーターではないし、私たちは本当に、ただ英雄様と一職員でしかない。互いに唯一でもない、一年近くだけレイシフトを共にしている、喫煙室での束の間の話し相手、それだけだ。けれど、それだけでも彼が私を庇護下に入れる者として認識していることをなんとなくはわかっていた。
改めて意識的に煙草を吸って、吐く。黙って私の返事を待ちながら、キャスターさんも同じように煙草を吸って、吐いた。
「自分がいつから煙草を吸い始めたのか、思い出そうとしていたんです」
「へえ……そんで、いつからだったんだ?」
「わかりませんでした。でも確か、三年前には始めていた気がします」
「三年ってお前さん、マスターよりもちっこい時点でか?」
「意外、ですかね?」
「そりゃ大いに意外だな、不良娘サンよ?」
さっきとは違い、今度は正真正銘呆れの表情だった。キャスターさんの目元がやわらいで、どうしようもない子でも見るような色が一瞬だけ浮かんで、消える。そういえば、この人も過去に子供がいた父親なのだったとふと思った。彼はその存在を知りはしなかったそうだが、若い色男の姿をしていてもやはり彼は過去に生きて座に迎えられた英雄なのだ。多くの記憶も記録も持つ彼は、どうしたって普通の人とは存在が異なっている。
不意に、キャスターさんの手が私に向かって伸びた。突然のことに軽く肩が跳ね、私の顔に迫った男性の手に反射で距離を取ろうと身を引く。けれど気付いたのが遅かったらしくキャスターさんの手はしっかりと私の顎を掴んでしまって、一瞬で体に大きく震えが走った。震えを感じただろうに顔色を変えないキャスターさんは今度はもう片方の手を伸ばしてきて、私の口から煙草を引き抜く。代わりに突っ込まれた甘いものに拍子抜けして呆けた時には既に、彼の両手は何事もないようにすっかり離れていた。
「あまい」
「ガキンチョが配り歩いてたんでな、お前さんも食いな」
口の中の甘いものが、歯にあたってはカラコロと音を立てる。煙草でスモーキーになっていた中に放り込まれた甘さは変に混ざり合ってお世辞にも美味しいとは言えない。キャスターさんもその味を知っているのか、彼は奪った煙草を魔術で燃やしてみせると悪戯に笑った。そしてまた、いつもの軽妙さで告ぐ。
「ま、本質なんざ気にしちゃいねえがよ。お前さん、もうちょいと能天気のツラはしといた方がいいぜ?タチが悪いのに捕まったら、そりゃあもう厄介だからな」
身内には甘いサーヴァントだ。そう、思わずにはいられない言葉だった。。
クー・フーリンという英雄が冷酷極まりない側面を持つことは、勿論知っている。それでも彼の全てが冷酷だなんていうことはなく、その反面の甘さは自分の気に入りの者(みうち)に与えられるということも、私は知っていた。私がそんな甘さを向けられるなど、擽ったいにも程がある。私にそれは勿体ない。けれど、突き返しても意味がないのはもう充分に経験済みなのだ。
私の煙草は奪って燃やしたというのに、キャスターさんは二本目を咥え始めている。何やら愉しそうにこちらを見てくる彼に、私は早速忠告(アドバイス)に従って笑ってみせた。
「点けましょうか?キャスターさん」
人差し指の腹上に小さく火を灯して少し大袈裟に首を傾ければ、キャスターさんは一瞬きょとりと間の抜けた顔をする。そしてそれからすぐに好戦的に笑うと、先程よりもぐっと顔を寄せて煙草の先を差し向けたのだった。
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