◆◇ 辛うじて原本が残ってた「絶唱」の紙片1
「疲れた……物凄く、疲れた……」
「うん……これは流石に俺も疲れた……」
時刻は夕方。わたしたちは疲労困憊の状態でポケモンセンターのドアを潜った。
自分が全身でぐったりしているのは明らかであるし、滅多なことでは疲れない遥ですらも顔に濃い疲労が浮かんでいる。とにかく疲れた。一秒でも早く泊まっている部屋に戻ってベッドにダイブしたい。そう思うくらいに、わたしと遥は心の底から疲れていた。
「子供、元気すぎる」
「無邪気も過ぎれば毒だね」
「本当にね……」
困ったように力なく笑う遥の言葉に力なく同意すれば、無意識のうちに深いため息が吐き出される。このため息ももう何度目だろうか。正確にはわからなくとも、数えるのが面倒なくらいには吐いているだろう。たぶん。
昼食を終えてカフェから出たわたしたちがこの夕方まで何をしていたかといえば、ポケモンバトルである。
ポケモンセンターまでの帰り道、男の子とすれ違い様にぶつかってわたしの腰から外れてしまった遥のモンスターボール。ころころと地面を転がるそれを目にした少年は、勢いよく顔を上げて叫んだ。
「目と目が合ったらポケモン勝負!」
その言葉に、断る方が手間だなと思ったので、わたしはそのバトルを受けたのである。今回に限ってはそれが間違いだった。
その少年はトレーナーズスクールの生徒だったようで、トレーナーズスクールのバトルフィールドまで引っ張られた。騒ぎを聞きつけた生徒たちがギャラリーとして集まり、予想外に注目を浴びてバトルをすることになる。思わず遠い目になったわたしの背中を遥は労わるように撫ぜ、そしてバトルのために原型へと姿を戻した。
世にも珍しい色違いのポケモンの登場に子供たちは大興奮。少年とのバトルが終わったかと思えば、オレもオレもと列ができ、逃走もできない我々に残された道は一つしかない。そう、全員の相手をすること。正直途中で教師が止めてくれるのではないかと期待したのだけれど、止めてくれなかった。結局本当に希望者全員とバトルをした。疲労困憊になるのも当然である。
「昨日行方不明者が出たのに、子どもは元気だね」
「民間には情報が規制されているみたいだし、昨日のこともあまり知られていないんじゃないかな」
「そうなんだ。でも、やっぱり女の子は1人もいなかったね」
「狙われるのは女の子だもの。そりゃあ、親御さんも警戒するよ」
見た限り今日トレーナーズスクールにいた生徒は男の子だけで、女の子の姿は1人も見かけることがなかった。流れてくる情報が少ないとはいえ、親が娘をスクールに行かせないくらいの話は出回っているらしい。
男の子たちは皆困るくらいに元気いっぱいだったけれど、なんとなく、今の街の空気には息が詰まっているのかもしれない。バトルをしてはしゃぐ彼らを見守る教師の表情には、そういう事情を抱えた上で安心したような笑顔があった。
わたしたちが疲れ切った体を引き摺りながら受付を訪れれば、いつものように笑顔のジョーイさんが迎えてくれた。彼女の様子は昨日とも、一昨日とも、変わらない。
「おかえりなさい、ルカさん。本日の宿泊はどうされますか?」
「只今帰りました。今日も泊まりでお願いします。明日には発つので、10時にチェックアウトしますね」
「かしこまりました!回復の方は如何いたしましょう?」
「お願いします」
宿泊に必要な手続きを軽く済ませて、回復のために遥を戻そうとボールを手に取る。
遥にはまず原型の姿に戻ってもらわなければならないのだけれど、彼はわたしを見つめながら何やら難しい表情をしていた。
「どうしたの、遥」
珍しい様子に首を傾げて問えば、遥は困ったように眉を垂らす。
「少し、心配でね。ほんの数十分だけとはいえ、ルカと離れるのが不安なんだ」
「ちゃんと人目につく場所にいるから大丈夫だよ」
「万が一のことだってある。何が起きても、俺は気づけないし動けない」
昼間のときのように真剣なトーンで語る遥の瞳は、まっすぐにわたしの瞳を見つめていた。まっすぐに伝わってくる心配と不安に、少しまごついてしまう。
確実に、遥はわたしよりもこの不穏な状況を正しく理解している。それに彼はわたしよりもずっと長くものを見てきたし、ずっと多くのことを経験してきた。だから、遥のその心配も不安も杞憂では済まないように思えてしょうがない。
「そんなに言われると私も怖くなってくる……」
「ね、俺の回復はしなくていいから」
「でもこういう状況なら尚更、コンディションは万全にしておかないといざというときに困るよ?備えられることは備えられる内に備えておうべき、って遥が言ってた」
「ルカは昔から昔から変わらず真面目で優秀だなぁ……」
結果、折れたのは遥だった。複雑そうな表情をしながらもどこか嬉しさが出ているあたり、相棒とはいえ保護者の側面の強さを感じさせられる。わたしの教えの元は大体が遥だ。わたしはその教えを、よくよく守る。
しぶしぶ原型になった遥をボールに戻して、それをジョーイさんに預けた。彼女の手で裏へと消える遥を見送って、さてどう暇を潰そうかと考える。ぼんやりしていればやっぱり視界にちらつく誘拐注意に張り紙。勘が鋭い遥の不安。昨夜の出来事。街中に漂う緊張……。
不意に、何かが──誰かが、肩に触れた。入り込みかけていた意識が上昇して、少し勢いづいたまま振り返る。
「やあ、ルカちゃん。こんなところに佇んで、どうしたの?」
「アサナギさん……」
そこにいたのは、今朝と何一つ変わらない様子のアサナギさんだった。
思わず反応で名前を呼んだわたしに、彼は嬉しそうに甘い笑みを浮かべる。やっぱりその顔は落ち着かないなあ。なんてどこか座りの悪さを感じつつ、この数日で若干それにも慣れてきたように思えるのだから不思議なものだ。
「あれ、もしかして1人なの?あのナイトくんが不在なんて意外だな」
「遥は今回復中なんです」
「ああ、成程。じゃあ俺と少し出ない?展望台はもう行ったかな?あそこから見る夕日は格別なんだ。時間も丁度いい頃合いだし、ルカちゃんにも是非見てもらいたいって思っていたんだ」
「展望台、ですか……」
アサナギさんが流れるように自然にわたしの手を取る。少しだけ強く、誘いの体現のように手を引かれる。思わずあっさり頷いてしまいそうな空気感に包まれて、もしかしてこの人の職業はホストなのでは?と割と本気で考えた。
とはいえ、今はそんな空気に流されていいほど平和な状況ではない、というのが答えだ。こんなときに、暗くなるのがあっという間であることを承知の上で、のんきに展望台で夕日を眺める人なんてそういないだろう。いくらアサナギさんがついているとはいえ、人が少ない場所に向かっていくのは自殺行為のようなものだ。遥に約束した手前、そんなことをするわけにはいかない。
「あの展望台からの夕日、本当に綺麗ですよねえ。ルカさん、明日には発ってしまわれるのですし、少しだけ行ってみるのもいいと思いますよ!お一人では勧められませんが、アサナギさんと一緒なら安心ですから」
「あれ、ジョーイさんいつの間に……」
「ルカちゃんは俺が守るよ。大丈夫、誰にも誘拐なんてさせやしないさ」
「遥さんには私からお伝えしておきますね。でも、遅くはならないように。そこはアサナギさんがご一緒でも譲れませんからね」
「ふふ、わかってますよ。ルカちゃんは俺に任せてください」
そんなことを、するわけには……するわけ、には……。か、完全に、行く流れになっている。
話が聞こえていたらしいジョーイさんの帰還によって、急にわたしの行く気の無さがアウェーになってしまった。アサナギさんは余程ジョーイさんからの信頼を得ているらしい。
未だにアサナギさんの手に取られている自分の片手をなんとかしようと指先に力を入れる。が、アサナギさんから驚きの声が上がって逆に強く手を握り込まれた。
「え、あれ、ルカちゃん、明日には発っちゃうって本当なの?」
「ああ、はい。一応、明日の昼前には発つつもりです」
「それなら本当に今しかないじゃないか!
じゃないか!行こう、ルカちゃん。のんびりしていたら先に日が沈んじゃうよ」
わたしの手を握ったまま、アサナギさんは歩き出す。はやくはやくと駆け足気味に、けれどわたしの足下を気遣いながら、アサナギさんはわたしを引っ張っていく。
振り返れば、笑顔のジョーイさんが軽やかに手を振っていた。顔を前に戻せば、こちらを見ていたらしいアサナギさんと目が合って微笑まれる。その顔を見ていたらなんだか肩から力が抜けていった。そうして初めて、相棒の不在に緊張していた自分に気がつく。
引っ張られるままに動かしていた足を、自分から動かして進めてみた。目敏いアサナギさんは、すぐに気がつく。
「ふふ。……ありがとう、ルカちゃん」
穏やかにそう言った彼は、とても美しく笑っていた。艶やかにすら感じるその表情はとても、とても綺麗だったのだ。
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