◆◇ 辛うじて原本が残ってた「絶唱」の紙片2


 アサナギさんに手を引かれて、夕暮れの気配をみせ始める街を歩く。
 冬の冷たい空気に晒される中、アサナギさんに繋がれた手はほのかに温かい。ほのおタイプである遥の高い体温とは違う、けれど遥のように自分よりずっと大きな手がこうしてわたしに触れているのは、不思議な感覚だった。
 アサナギさんは楽しそうにわたしに話しかけては、わたしから返された言葉にまた笑顔を深める。たまに何気ないことを問いかけて、今度は冗談を言ってみたりして。そんな風に会話を楽しみながら、わたしたちは歩いていた。

「へえ、そうなんだね。と、いうか……。ルカちゃん、ちょっと回答NGの質問多くない?」
「まあ、色々と事情があるので……」
「そうだよね、多かれ少なかれ皆そういうものか。じゃあいつか答えてもらえるように、今のうちにしっかり親睦を深めておかなくちゃね」
「そういうのもNGでお願いします」
「おや、ちょっとは近づくのを許してくれたのかな?はっきり伝えてくれるようになって、嬉しいなあ!」
「アサナギさんはとても明るい方なんですね」
「そうなんだ、嫌味にも愛嬌を感じて仕方ないくらいには、ね」
「わぁ……」

 わたしがどれだけ短い言葉で返しても、アサナギさんは難なく会話を続けてみせた。かといって過度な鬱陶しさを感じることは決してない。会話のテンポはよく馴染み、一緒にいるこの空間に居心地の良さすら覚え始めるのだから驚きだ。彼にはそういう、一種のカリスマが備わっているのだと思う。
 迷いのない足取りで進んでいくアサナギさんについて行きながら、展望台を探して周囲を見渡してみる。けれど、まだそれらしきものは見当たらない。思わず、わたしは彼に尋ねた。

「展望台は、どのあたりにあるんですか?」
「ふふ。内緒、だよ。その方が感動もひとしおだろう?」

 わたしからの問いにアサナギさんが答えてくれることはなく、彼は、質問なら俺のことを聞いて?と甘く微笑むだけだった。
 知る人ぞ知る、といった名所はぱっと見ただけではわからないことが多い。向かっている展望台も、きっとそういう類の場所なのだろう。街の中心だから少し外れて、人通りが少なくなってきた道を二人で歩いていく。
 何度か、近道だからと薄暗い路地裏を通った。誘拐事件が多発している街の路地裏、というのは流石に危険だと思ったものの、段々と赤っぽくなり始めた空を前に急かされては強くは拒めない。今のところ一度も危うい場面に遭遇することもなく、歩みを進められていた。
 アサナギさんが何度目かの路地裏に入り、わたしも今までと同じように後に続く。すると、途切れることなく会話をしていたアサナギさんが不意に、口を噤んだ。
 ぞわりと肌が粟立つ。まさか、その先に何かあるのだろうか。

「……あ、れ?」

 若干緊張を抱えながらも、比較的に薄暗い行先に目を凝らした。
 けれど、何もない。拍子抜けした自分の声がわずかに響くだけで、そこは今までに通った路地裏と何ら変わりがなかった。さっきの、一瞬の寒気は一体何だったんだろう?そう不思議には思うけれど、何もなかったことにはやはり&する。───その安堵も、長く続きはしなかったけれど。
 アサナギさんに取られていた手に、彼の指がするりと絡んだ。そしてその指が、わたしの手の隅から隅まですべてを確かめるように蠢く。咄嗟に手を引き抜こうと力を入れたけれど、しっかりと全部を密着させるように握り込んだアサナギさんの方が、一足勝っていた。

「あの、アサナギ、さん」

 恐る恐る声を掛けながら、隣に立つ男を見上げる。そのヒトはとっくにわたしを見ていたらしく、しっかりと定められた視線の先には、間違いなくわたしの姿があった。
 熱い視線だ。わたしが氷なら溶けてしまう。焼かれてしまいそうな熱さ。そんなことを思わせる、視線。

「ルカちゃんは、さ」

 吐息に乗せるように名前を紡がれる。唇の動きがやけにゆっくりに見える。声が、わたしを甘やかしたくて堪らないと語っている。
 すべてを呑み込んでしまいそうな男は、その熱を一層強くして問い掛けた。

「ルカちゃんは、俺を、どう思ってる?」

 夕日が差しているからだろうか。アサナギさんの瞳は鮮やかに煌めいていて綺麗だった。綺麗で、鮮血のようで、不快で、不穏だと思った。
 何かがおかしい。その"何か"に、わたしはほとんど気づいている。たぶん、もっと前から気づいていた。
 わたしはただ、目を逸らしていた。信じたかっただけなんだ。信じて、そういう普通の感性があると保っていたくて、あの日から欠けてしまった情緒を埋めたかった。目を、逸らしていた。
 どっちみち、今の状況に逃げ場はない。わたしは自分の愚かさで、虎穴に連れ込まれる道に進んだのだから。
 身をかがめてわたしの目を覗き込む彼を、どう思っているか。甘やかな空気に気おされることを拒んで、わたしはしっかりと意思のある視線でアサナギという男に向き合った。

「アサナギさんは」
「うん。俺は?」
「最低最悪の誘拐犯」
「おや」

 途端、空気が変わる。
 彼は、笑っていた。笑っているけれど、そこにはあの熱も甘やかさもありはしない。

「ああ、ふふふ。……やっぱりキミには効いてなかったんだね」

 彼の瞳は、鮮やかに煌めいている。
 空が雲に隠された、今もなお。

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