◆◇ 新連載(仮)1話
ふ、と目が覚める。わたしの目覚めはいつだって唐突だ。
開いた瞼、露わになった眼が真っ先に映したのは、何故か遥か高くにある天井だった。
おや、可笑しい。わたしの部屋の天井はこんなに高くないし、何なら仰向けになればいつも目線の先にLEDランプがぶら下がっているのだけれど。
そこまで考えて、肌寒さに体が震えた。横になったまま目線を下げてみれば、なんと体に何もかけていない! この春先の朝方に、正気か? そう思うも、正気云々の前になんだかちょっと可笑しなことになっているな? と気づき始めていた。
背中に感じる冷たさと硬さ。それが不快になってきたこともあって、思い切って上体を起こす。そのままぐるりと辺りを見渡してみれば、頭の中には大量の疑問符が湧き上がってしまった。
「いや、なんで神殿……?」
思わず呟いてしまう。それくらい驚いたし、不思議だったのだ。
いくつも立ち並ぶ円柱、広々とした空間、美しい大理石。何故か、わたしは神殿の中に居た。パルテノン神殿!?と一瞬期待したが、よく考えなくてもパルテノン神殿に天井はないので違う。識ちゃんがっかり。
謎の状況に頭を捻る。可笑しいな、わたしは昨日、自分の部屋のベッドで眠りについたはず。と、なると、これは夢? やけにはっきり感覚があるけれど、明晰夢だろうか?
また肌寒さを感じて、思わず腕を摩る。そうすれば、自分の格好が可笑しいことにも気づいた。
白のワンピースである。染み一つない純白の、ノースリーブの、ワンピースである。そりゃあ肌寒いわけだ。もちろん着替えた覚えはない。
神殿に純白のワンピースって、意図的な何かを感じたりするけれど。なんかここ神殿の最奥にあって祭壇みたいな造りをしているし、わたしが座っているのもなんか意味深な台の上だし……。
なんか生贄みたいだなあ、でも生贄が盛んだったのは古代メソアメリカ文明でこの神殿はギリシア古代建築っぽいから何とも判断できないなあ、というか趣味が悪い夢だなあ。
頭を動かしながらも、この状態で得られる情報がなくなってきたので、そろそろ動こうと床に足をつけた。何故か裸足なので、大理石の冷たさが全身に寒気を走らせる。両足を床につけて、よっ、と立ち上がった、その時だった。
体が、動かない。立ち上がった姿勢のまま、動けない。手指の先から足先に至るまで、動かせない。
声帯も震えない、眼球も動かない、まばたきもできない、呼吸すら、できない。
襲いかかる混乱に、体が何も反応できない。まるで石になってしまったような、感覚。あまりのおぞましさに恐怖と不快感が溢れるのに、それを逃す術がない。
まずい、まずい、これはまずい。警告のランプが脳裏で激しく点滅する。
……そんな中で、それは目の前に現れた。
空気が震えて、ずっしりと重くなる。プレッシャーが質量を持って襲ってくるような、激しい重圧。
「逃げるの?悪い子」
空間そのものに響くような、頭に直接流れ込むような、不思議な声。
それは、怒りだった。
彼の存在は、今、怒っている。
3メートルはありそうな巨体、神々しいまでの白。黄金の輪は輝き、血潮のような瞳は鋭くわたしを貫く。
体を動かせたならば、きっと激しく震えたし、重圧で立ってもいられなかっただろう。
緊張で喉が渇いていく。謎の現象で呼吸もできなくて、段々と視界が狭まっていく。
「あ、やりすぎてた。ごめんね」
「うえっ、げほっ、ごほっ!!」
意識が遠退き始めたら、聞こえてきたのは軽い声。突然酸素が肺に流れ込んで、思いっ切り咳き込んだ。
口元に涎が垂れる。拭おうと思うも、腕は動かない。
呼吸ができる。眼球が動く。まばたきもできる。でも、立ち上がった姿勢のまま動けない。
「加減が上手くできなかったんだ。きみが逃げようとするから」
ふとまばたきをすれば、そこには人が居た。
神々しいまでの白い髪、瞳は血潮のようで、鋭くわたしを貫く。
そのヒトは美しい手をこちらに伸ばして、すらりと長い指でわたしの口元を拭った。わたしの唾液が美しい指先を汚して、光を反射する。
指先が薄い唇に近づいて、その中から現れた桃色の舌が、わたしの唾液を舐った。
ひく、と喉が引き攣る。美しさに呆けていても、それは許容できることではなかった。けれど、そんなことはこの神々しい生き物には関係のないことなのだろう。
わたしの唾液は舐め取られ、その指先は彼の唾液で濡れている。それがまたこちらへ伸ばされて、ぞっとした。
生理的嫌悪、そして、後戻りができなくなるような、特急レベルの嫌な予感。
逃げようとしても、体は何一つとしてわたしの意志には従わない。そうしている間にも指先は迫っていて……そして、唇に、触れる。
それだけには留まらなかった。
その指は唇から割り込み、口内に押し入り、舌に触れる。彼の唾液を残さず食べさせるように、執拗く、執拗く、舌に指を擦りつける。空いた片手が、わたしの手と合わさって、指の間に割り込んでくる。頭が可笑しくなりそうだった。
「ほら、飲んで」
長い指が舌を刺激する。その度に唾液が溢れて、ぐちゃぐちゃと品のない音を鳴らす。
わたしの口の中では彼の唾液と自分の唾液が混ざり合っていた。吐き出したいのに、体は動かない。けれど喉は動くものだから、一つ間違えれば飲み込んでしまいそうだ。
絶対に飲み込むまいと堪えていれば、口の端から混ざり合った唾液が零れる。
ああ、そのまま全部零れてしまえ。
……そう、思ったのが悪かったのだろうか。
零れた唾液が顎を伝ってぱたりと床に落ちる。その瞬間、またあの重圧が全身を襲った。
「悪い子」
怒りのこもった声が呟いて、絡んでいた手が離れる。その手はわたしの頬を覆うように顔を掴んで、無理やり大きく上を向かせた。
唾液が喉に流れ込む。得体のしれない神々しい何かと混ざり合ったものが、侵入してくる。
悪寒が止まらない。嫌だ、いやだ、いやだ!! ……そう思っても、体の正常な反応は逆らえない。
ごくん。喉が、上下する。
もう後戻りはできない。そう、思った。
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