◆◇ 浮氷に爪立て
ガイア・ラグウィンド庶務長。彼と初めて話をした時、あ、この人は傷を抱えた人間だ、と思った。
この世界は、元素力と呼ばれる不思議なエネルギーを主軸に回っている。元素力とはとかく便利な代物で、元素とはわたしたちの生活そのものだ。……だからだろうか。科学や医学というものは、このテイワット大陸においてあまり重要視されない事柄のように思う。ぞんざいな扱いはされないが、特別熱心にもされない。必要以上のことを必要とされない、そういうものなのだろう。
ガイア・ラグウィンド庶務長。彼と初めて話をした時、これはメンタルに傷を負った人間だ、と培った知識が判断した。わたしが西風騎士団に心理士として所属した、一月後のことだった。
「噂はかねがね。宜しく頼むぜ、心理士殿」
なんてことのない昼下がり、暖かな日の光が差し込む一室で顔を合わせた。
事前に渡された簡易的なプロフィールを見るに、自分よりいくつか歳が下らしい。先日面談を行ったディルック・ラグウィンド騎兵隊長の弟だとか、なんとか。
人好きするような笑顔だ。表情も、声も、人当たりが良い。眼帯に隠れる右目と、不思議な形をした瞳孔が印象的だった。
警戒心が強い人間。他人を信用しない人間。そういう人たちは他者に見向きもしないか、あるいは凝視する。ガイアは後者だった。入団したばかりの、心理士だとかいう人間を、よくよく見ていた。
ガイアはたぶん、わたしのことをとても警戒していた。心理士という、人間の動向に造詣を持つ者として。自身が繕うものを、深く抱え込んだものを、察知されはしないか、暴き立てられはしないか、と。
「なあ、先生」
西風騎士団に所属して、1年が経った頃。四度目の定期面談でガイアは言った。
「あんた、何故この仕事をしているんだ?」
時計を見る。まだ時間に余裕があったので、患者からのアプローチに対応することにした。
カルテを閉じて、ペンを手放す。デスク越しにこちらを観察するガイアに、改めて向き直った。
「専門知識を持っているから。自分のスキルを活かせる仕事を探し、この仕事を見つけ、実際に働いて大きな不満もないから続けている、といったところですね」
「へえ。結構明け透けなことを言うんだな、先生」
「建前の方を聞きたいのであれば言いますよ。用意はしてあるので」
「いや、構わない。今ので十分だ。どうやら、あんたのことは信用してもよさそうだ」
自身の顎に手を添えて、ガイアは笑う。薄らとした笑みの中に、鈍く光るのは純然たる打算の矛だった。
他者を意のままに操るには、標的に自分への好意を抱かせることが最も手っ取り早くて効率が良い。そして自身に好意を抱かせるためには、自身から相手に親しみを示し、好意を表明することが、手軽で安定した手段である。
たった四度の面談と1年の中での少ない会話や観察の中で、わかったことがある。彼は聡明だ。賢く、思慮深い。そして彼は臆病だ。彼の警戒心の強さは集団に基づかない。彼は個として強い警戒心を持っている。賢くて臆病な人間は、他者をコントロールすることで自分を守ろうとすることがある。
「お眼鏡に叶ったようで光栄です、ガイア庶務長」
「肩書きは外してくれないか。堅苦しいのは得意じゃなくてな」
暖かな陽の光が、互いの顔を照らしている。差し出された手は、指の先まで冷たかった。
視線が絡む。エキゾチックで端正な顔が笑みをかたどる。微かに深みのあるムスクが香る。……思わず笑いが零れた。
一瞬見えたガイアのぎょっとした顔が面白くて、また笑った。
ばつが悪そうに、ガイアの視線が逸らされる。顔に浮かぶのは気まずそうな笑み。おいたに気づかれた子どものような反応が普段のガイアらしくない。この反応までもが作り物なのだとしたら、きっと偉大な役者にだってなれるだろう。
「悪かった、降参だ。俺が悪かったよ、先生」
「心理のプロを籠絡しようとは、気概だけは認めますよ、ガイア庶務長」
「勘弁してくれ……」
片手で隠したその顔がどんな色をしているのかは、浅黒い肌ではよくわからなかった。けれど、彼にこの姿を見ることを許されたのは確かなのだろう。
差し込む陽の光の中で、微かな埃がちらちらと瞬いている。ガイアの手の隙間から覗いた眼も、ちらちらと瞬いていた。
綺麗だ。この光景が、美しかった。
わたしはガイア・ラグウィンドを見た。ガイア・ラグウィンドを、関心がある人間として、初めて認識した。それまでの彼はただの患者で、さらに言うのであれば、記号の羅列に過ぎない。それが変容する。意味を持つ。
「先生、知ってるか?稲妻には”サトリ”っていうモンスターがいるらしい」
「苦し紛れの皮肉ならもっとパンチを利かせた方がいいですよ」
ガイアは沈黙した。その沈黙は静かで、穏やかで、むず痒かった。
そんなことがあり、ガイアとの距離が急速に縮まったかといえば、別にそうでもない。けれどほんの少し、互いの生活に互いの姿が加わってはいるのだろう。
恋でもなく、愛でもない。僅かな情でしかないそれは、踏み潰すには惜しいだろう。
後に散々酒を酌み交わす間柄になるわけだが、それはまだ知る由もない話である。
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