※モブ友人(男)でます


キスされてから、ふとした瞬間に思い出しては、あんなものは何かの間違いだと記憶から消す努力をした。振り回されてはいけない。
平和な学園生活を送る為に。

彼の家に行った日以来、彼とは会っていなかった。スケートのシーズンに差し掛かり、忙しいのだろう。
連絡は来るものの、返信はあまり頻繁ではなく、1日に1〜2回程度で内容も他愛もない話だった。
連絡は返しておかないと後々面倒な事になりそうだったので返していた。

学校が休みの日が一番心が休まる。
彼に振り回されることも無く、怯える事もない。
週に一度の心休まる日。
今日は休日だが学校の課題で美術館へ行く日だった。
クラスのグループ学習で先生の手配する美術館や劇場へ行き、感想を書くというものである。
男女6人ずつのグループでリーダーを中心に計画を立ててやっていくものだった。
私はメトロに乗り、集合場所である美術館の門の前へ向かっていた。


「よう」

「あ、おはよう。」


グループのリーダーと駅を出てすぐに鉢合わせた。クラスの中で凄く目立つタイプではないが、気さくで優しい面倒見のいいタイプの男子だ。
彼とは基本一般教育の時代から割と仲が良い。
好きな作家が同じだったり、好きなバンドが似てたり、共通点も多かった。


「にしても、休みのこんな朝から美術館見学なんて眠いよなー。」

「課題も面倒だよね、感想と好きな作品見つけるの。」

「しかも美術館指定だしな!」


サンクトペテルブルクは美術館や劇場が幾つかある。選ぶ事が出来ないので、興味のあるものを見れるとは限らなかった。
私たちの向かう美術館は比較的に行きやすい場所にあるので、それが救いだった。

他愛もない会話をしながら待ち合わせの門の前に着いたが、まだ誰も来ていなかった。
待ち合わせ時間まであと10分ほどあった。思いの外早く着いてしまったらしく、二人で話しながら他のメンバーを待つ事にした。
クラスの男子の可笑しな話や、テレビの話、学校の近くに新しくできたパン屋の話。
彼は話すのが上手でよく笑わせてくれた。

そうこうしているうちに他のメンバーも来たので、チケットを買って中へ入る。
皆で回って、全て見終わる頃には3時間が経過していた。大きな美術館なので、見るのにも時間がかかった。
全員疲れているようだったので、すぐに解散になった。
メトロの駅で各々別れていき、最後に一人になった。

時間を確認しようと携帯電話を見ると、メールが大量に届いていた。
何事かと思いメール画面を見ると、差出人は全てヴィクトル・ニキフォロフからだった。


"彼は誰なの?"

"あんな顔初めて見た。"

"ねぇ、彼が好きなの?"


短文で何件も連続で送られていた。時間が空いたと思ったら1時間後また何件も、それが繰り返されていた。
似たような内容のメールが続く。
読んでいるうちに精神が擦り切れていくのが分かる。
そして、最後のメールを開いた。


"家に来て"


家に行ったら何をされるか分かったものではない。明らかに怒っている文面に危険しか感じなかった。
気付かなかったと無視すればいい。そして、グループ学習でみんなで美術館へ行っただけだと言えばいいのだ。
そう思い、携帯を仕舞おうとした瞬間にまた振動が起こる。


"無視したら許さない"


宛ら呪いの様だった。
あの男の事だ、それこそ無視をしたらより酷いことをされる気がした。
観念して、今から向かうと返信をした。
そして一度メトロを降り、彼の家へ向かった。


部屋の番号を押してチャイムを鳴らす。暫くしてエントランスのロックが解除された。
開く扉の中へ重い足取りで進んでいく。
エレベーターが開かなくなればいいのにと思ったが、そんな事故も起こらず、彼の家の前まで来てしまった。
大きく息を吸い込み、吐き出す。
襲ってくる罪悪感と緊張感で心が鉛のように重かった。息を吐いてもそれは変わらなかった。
悪い事はしていない。私は間違っていない。
暗示をかけるようにして、チャイムを押した。

ドアがすぐに開いた。そして腕を引かれてすぐに中へ引き込まれた。
そのまま彼は私の腕を引きながらリビングへと進んでいく。
背を向けられていて表情が伺えないことが逆に怖かった。
リビングに着くとそのままソファへ突き飛ばされる様に座らされた。


「今日は何をしてたのかな?美術館の前にいたよね?あの彼は誰?仲が良いの?まさか付き合ってないよね?」


捲したてる様に話し始めた。
彼はソファに座る私の肩を上から押さえつける様にして立っている。
そして表情はいつもの様に口元は口角が上がっていたが、目は瞳孔が開き、とても笑顔と呼べる様なものではなかった。
その異様な様子に呼吸が出来なくなってしまった。


「ねぇ、聞いてる?答えて。」

「学校の課題で…美術館に…」

「そう。彼とは随分仲良さそうだったけどまさか彼の事好きなの?」


私が誰の事を好きでいるのも私の勝手だと言いたかった。
気さくで、話しやすく、好きな物の共通点もあれば、少なからず友人としての好意はある。
しかし、彼の様子を見てそんな事が言える様な状態ではなかった。
ここは彼の怒りを鎮めて、家に無事に帰る事を考えなければならない。


「…違う」

「…今何考えてたの?間があったよね?」


肩を掴む指先に力が込められたのが
口調のみが穏やかで、肩に掛かる手や空気は重かった。


「友人としては好きだけど、恋愛感情ではない。」


そう言うと彼の手が肩から背中へ回り、抱きしめられた。
彼の長く美しい髪が頬に触れている。
やはり彼に触れられるのは心臓に悪い。
この様な経験が多くない私にとってはとても気を使う。
そして、あの御呪いが効いているのか、こんな時でも彼の香りが近くて思い出してしまう。


「他の男と仲良くしないで。」

「え?」

「君の笑顔が俺に向かないのは知ってた。けどあの男に向いてるのを見ると許せなかった。」


更に腕の力が強まる。少し苦しいくらいの締め付けに、抵抗が出来ないまま話を聞く。


「君が他の人の物になるなんて気が狂うかもしれない。」

「…貴方がなぜ私を好きか知らないけれど、貴方なら私よりもずっと素敵な女性とお付き合いできるでしょう。」

「名前がいい。名前じゃないと嫌だ。君だけが俺の事をスケーターではなく一人のクラスメイトとして扱ってくれた。」

「貴方のファンみたいに騒ぎ立てていればよかった。」

「ねぇ、誰にも言わない。大切にする。俺の物になって。」

「貴方のは一時の気の迷いだよ。初めての経験だから特別に感じているだけでしょう?もっと素敵な人が現れる。」


そう言うと、抱きしめられていた腕が緩む。
やっと解放されたかと思った途端、ソファに倒された。
両手首をソファに押し付けられ、身動きが取れない様馬乗りされる。
上から見下ろされる。身の危険を感じて、背に嫌な汗が流れた。


「何故分かってくれないのかな。気の迷い?こんなに愛してるのに。」

「離して…」

「俺がスケーターじゃなくて、人に知られてなかったら、好きになってくれた?」

「脅す様な事する人は嫌だ。」


辛そうに眉を寄せ、眼を細める。
眼をそらせずにその表情を見ていた。
少し鼻先が赤くなり、彼が眼を閉じた瞬間に頬に水滴が落ちた。
それが彼の涙だと気付いたのはその水滴がもう一度頬に落ちた時だった。
酷く動揺した。泣かせるほど追い詰めていたのかと。


「…ごめんね。」


そう言って彼は私の上から体を退かせた。
そして、私の手を引き体を起こしてくれた。
未だに目は潤み、ブルーの瞳がキラキラと輝いていた。
私は唖然としてしまい、彼の顔を繁々と見てしまった。


「もう、話しかけないよ。メールもしない。あの画像も消す。また他人に戻ろう。」

「え…?」

「夢の様な日々だったよ。初めて人を好きになって、楽しくて、ドキドキして。でも君の嫌がる姿は見たくない。俺は君の事を友達としてみる事は出来ないから…一番最初の状態に戻ろう。」


彼は涙零しながら、笑顔を作っていた。
無理矢理笑っているのが分かるくらいだ。
胸が抉られているみたいに痛い。
よく考えてみれば、彼が目立つから、ファンクラブの人間に睨まれるのが嫌だからと、彼を拒否し続けていた事の残酷さに気が付いた。
自分の事を押し付けて、彼の好意を踏み躙っていた。
好きな人からぞんざいに扱われるなんて辛いに決まっている。
自分が好かれているから優位に立っていると思い込んでなんて失礼な事をしたのだろうか。
彼が気持ちを伝えてくれたのだから、それに応えなければいけ無いと思えた。


「その…ごめんなさい。自分の保身の事しか考えずに、貴方の好意を無下にして。貴方が何をしたわけでもないのに、貴方を否定してるみたいに言ってしまって…」

「いや、俺がすぐ諦めれば良かったんだ。こっちこそ気持ちを押し付けていただけだ。もう、関わら無いよ。」

「あの…貴方の事は嫌いじゃない。この前ここで話した時は楽しかった。ただ、私は貴方と付き合う事で色んな人から注目を浴びたり、色々と言われる事が怖いくて…だからあんな態度とってしまってごめんなさい。あと、今日みたいなのは怖いからやめて欲しい。」


彼と目を合わせるのが恥ずかしくなってしまった。
思わず俯いて自分の足元を見た。恥ずかしさで頬が熱い。


「それじゃあ付き合う事は嫌じゃないんだね?」


聞き間違えか、さっきまでの重苦しい感じではなく、いつもの様な明るい口調で聞こえた気がした。
顔を上げるとそこには、目を輝かせこちらを見ている彼がいた。
先ほどの涙は何処かへ消えていた。


「そんなの簡単だよ、誰にもバレなければ良いだけのことさ!二人だけの秘密にしよう!」


彼はニコニコ笑いながら私の手を取った。
突然の変貌に、惚けてしまった。


「そうしたら名前が気にすることもないし、付き合っても何の問題もないよね!あと今日みたいな事はなるべくない様にするよ、君次第だけど!」

「え、あの…」

「あのおまじないがこんなに効いてくれると思わなかったよ。」



そう言って彼は携帯を取り出し、ボタンを押した。すると先程の様子が一部始終流れた。
言質を取ったという事か、私は何も言えなくなってしまった。

彼は朗らかに笑い、私の頬にキスをした。
そして、私を柔らかく抱きしめる。
その腕に拘束されながら、とんでもない男に好かれてしまったのだと実感した。
逃げようとしても、あらゆる手段を使って逃げられなくするであろう。


「俺の物になってくれるでしょう?」


耳元で聞こえる声に心臓を掴まれながら大きく溜息をついた。
そして返事よりも早く唇を塞がれ、またあのおまじないをかけられるのだった。


(2017.3.16)10000hit thanks