彼とは学校で知り合った。
サンクトペテルブルクにある中等教育学校。
基本的に小中高すべて一貫校のロシアには珍しく転校生だった。
スケートをするために来たそうで、あまり授業に参加せず、基本的にはスケートばかりしているが偶に学校にやって来る。
その時は女子達はソワソワしていた。

フィギュアスケートで名を挙げていて、学校を休んでいても許される。
しかし彼は時々その美しい姿を見せるのだ。
銀色の絹のような輝く髪。絵画の様に美しい顔。そして制服を着ていて見えないが、彫刻の様なスタイル。
童話か何かから出てきた妖精の王子様の様だ。
学校ではクラスの男子達と話したりするが、女子はあまり近づかない。と言うより近づけないのだろう…
彼の学内でのファンクラブが目を光らせている。
抜け駆け禁止。そんなもの作って彼の意思を無視して盛り上がっている。
私は面倒事に首を突っ込むのは嫌だし、何より平和にこの学園生活を終えたいので彼に近づくことはない。
なので彼との接点はクラスが同じ以外殆どない。

しかしそんな私が今直面している問題がある。
日直の仕事だ。軽い片付けや戸締り、日誌の作成だ。
いつもなら同じ当番の男子とさっさと終わらせるのに、何故か今日はその彼が居らず、替わりにこのヴィクトル・ニキフォロフがいるのだ。
先生曰く、スケートの練習は休みらしく、普段しないからと言って日直の仕事をすることになったらしい。なんて迷惑なんだ。
決まってしまった事は仕方ない。早く終わらせよう。


「日直は初めてやるんだ…どうすれば良いかな?」


少し困った様に、長い髪を耳にかける。
私よりも長くて、美しいその髪に西日が反射して輝いている。
なるべく話さない様にしようと思っていたが、これは仕方ない。


「じゃあ、日誌は私が描くから、黒板綺麗にして、窓閉めと、机の整頓お願いして良い?」

「うん、わかった」


彼は美しい笑顔を向けた。
こうやって見ていると男の子と言うよりは女の子と一緒にいる様だ。
とりあえず私はさっさと日誌を書き終えて帰ることしか考えていなかった。


日誌を書き終えれば、彼はまだ黒板を丁寧に消しているところだった。
これでは一緒にいる時間が長くなってしまうと、私は彼の方の仕事も手伝うことにした。
机の整頓をし始めた私を見て、彼は驚いていた。


「え?もう終わったの??」

「要点をしっかり書けば先生も怒らないから。」


彼は手のスピードを速めて焦りながら消してくれている。
私も机の位置をさっさと直していく。
彼はなんだか楽しそうにしていた。
日直なんて面倒な仕事を態々引き受けてなにが楽しいのだろう。

テキパキと仕事を終えて、後は日誌を先生に提出して終わりだ。
彼は他になにかするのか、と待ちわびている。
私は荷物をまとめ、日誌を持つ。


「これ、提出して終わりだから。私出してくるから帰って大丈夫だよ。」

「一緒に行きたい!それに、一緒に帰ろう!」

「え??」

「嫌かな?俺、この学校にあまりいないから友達少なくて…良かったら友達になって!」

「ま、待って…なんで私?他にも人は沢山いるでしょう?」

「わからない!でも君とは仲良くなれる気がする!」


手を両手で掴まれて、私の方を見る。
そして首を傾げながら、ダメかな?と問う。
私はとっさに近くに誰かいないか周りを確認した。
こんな所見られたら、ファンクラブの人間に袋叩きにされる。
それだけは避けたい。どうすれば納得してくれるのか、必死に考えた。


「と、取り敢えず手を離してもらってもいい?」

「嫌だ。逃げるつもりでしょう?」

「うっ…誰かいたら困るし…」

「何故?」


さも不思議そうに彼は言った。
宝石の様な瞳を私に向けて、ジッと見つめてくる。
自覚があるのか無いのか、なんとも言えない。
手を握られていては言い訳も出来ない。
2人でいるだけなら日直してたと言えば何とか逃れられる。
まずは手を離して貰わなければ…


「貴方は目立つでしょう?ファンの子に怒られてしまうから。」

「そう…」


彼は渋々手を離してくれた。凄く不安そうな顔をしている。
取り敢えず一安心してため息をつく。
もう一つの問題、友達になる。これに関しては取り敢えず了承しておいて、あまり学校に来ないからなんとか誤魔化せるのではないか。
そうすればこの状況から抜けられる。


「友達の件は別に構わないわ」

「本当に!?」

「その代わり、さっきも言ったけどファンの子達が怒るから学校とか人前であまり話しかけないでくれると助かる。」

「うん!」


彼はニコニコと嬉しそうにしていた。
これで何とか乗り切れたと思い、荷物を持って教室を出ようとした。
すると彼は私の腕に抱きついてきた。
私は突然の事に驚き、持っている荷物を落とした。
彼は何をしているのだ。先程言ったことを理解していないのか…


「あの…今言ったことわからなかった?」

「え?話しかけてはいないよ?」


そういう事か、と理解した。
世界大会とかに出ている分、学校生活での友達の距離感というものが他の人と違うのだろう。
これは天然なのか…ちゃんと言わなければならない。


「あのね、話しかけないでって言うのは、貴方と仲良くしてると思われたら怒られるから話しかけないでって事なんだけど…」

「うん、だから話しかけてないよ?」

「だからと言って普通腕に抱きつかないでしょう?」

「何故?君は今日も廊下で友達と腕組んでいたでしょう?友達とはするものじゃないの?」

「同性とはするけれど、異性とはしないから」


彼は凄くショックを受けている様で、眉は下がり泣きそうな顔をしていた。
そしてそっと腕を下ろしてくれた。
まるで私が悪人の様だ。心が痛い。
いや、これも平和な学園生活の為。心を鬼にしなければ。


「あの…学校以外だったら会って話してくれる?」

「うーん…まぁそれだったら、バレないようにすれば…」

「本当に?」


彼は今まで項垂れていたが、顔を上げた。
また目がキラキラと輝き始めた。
その顔がまた凄く眩しいし、更に罪悪感が強くなっていく。


「メールアドレスと電話番号教えて!連絡して待ち合わせしよう!」

「え…うん…」

「あ、でも駅前のカフェとかでも学校の子に会うかもしれないよね…うーん…」


彼は私から携帯電話を奪い、自分の番号を登録し、更に私の番号を自分の携帯に登録した。
そして、顎に手を当てて考えたあと、あ!っと言って目を輝かせた。


「俺の家に来たら、周りの目を気にせず話せるよ!ね、うちに遊びに来てよ!」

「えっ…それは…」


流石に、今初めてまともに話した人間の家に行くのは…と葛藤があった。
しかし、学校ではファンクラブの子に見られたら終わる。駅前でも会う可能性がある。
そうした時に一番安全なのは確かに家であろう。
最悪、家にはご家族もいるだろうから2人っきりは避けられるし、ここは取り敢えずOKしておけば後で都合が悪くなったと言ってキャンセルもできるだろう。


「はぁ…わかった。いいよ。その代わり誰にも言わないでね。」

「うん!」

「じゃあこれでお終い。日誌返してくるから、今日は別々に帰ろう。」


教室から出ようとしたら、彼がまた私の服の袖を掴んだ。
何事かとまた振り返ったら、頬に唇が当たる。
そして機械的なシャッター音。
何が起きたか分からずに、彼の方を見たら、彼の携帯の画面には、私が頬にキスされている写真が映っていた。


「え…あの…」

「ちゃんと家に来てくれなかったらこれを僕のSNSに投稿するね!」

「はぁ!?」

「友達を疑うのは心苦しいんだけど、君は言い訳や嘘を考えてるときに顎に手を当てるから…今もそれやってたから心配で…」


彼はもう私がどうやってこの状況から逃げるか、しか考えていない事を知っていた。
そして弱味を握り、私が逃げられないようにしたのだ。
携帯を持ってふふっと笑っている姿は妖精の様なのに、やっている事は悪魔の様だった。


「折角できた友達に裏切られたくないし、それに君とはずっと仲良くしていたいから!」


よろしくね!とそれはそれは美しい笑顔で言っている彼への見解の甘さを後悔した。
何処からが計算かなんとも言えないところだ。
上手く逃げる予定が、自分で彼の策略にハマってしまった。
この男との付き合い方は気を付けないと自分の平和な生活を壊しかねない。


「家に来てくれるの楽しみにしてるね!」

「…変な事したら許さないから…」

「え?変な事?友達同士なんだから楽しく遊ぶだけだよ。」


彼の家に行く事が急に恐ろしくなった。
何をしてくるか。彼が策士ということが分かった。今後は常に気をつけておかないといけない。


「楽しみにしてるね。」


そう呟いて彼は笑顔で手を振って帰って行った。
疲れがどっと溜まり、嫌な汗が出てきた。
こんな事で負けてはいけない。私の平和な日々の為に。
私は彼の去っていった方向を睨んだ。



2017.2.9