出づる
日が暮れてなお、市場には人が集う。辺りには火が焚かれ、ランプが吊るされ、夜闇の中で輝いていた。
人混みに紛れ、品々を眺める。特に何を求めていたのでもなかったが、きらきらと光る市場に誘われたのだ。まるで羽虫のようだ、と少年は己を笑う。
悪夢を見る病――ナイトメアに関わる騒動がひと段落して数日後、少年は姿を眩ませた。ナイトメアに罹患した子どもたちを、故意に傷つけた罪悪感からだった。償う方法も持たなければ、合わせられるような顔もない。
あれから、獏には会っていない。悪夢を見ることもなくなり、文字は少しずつ読めるようになってきていた。安堵、そして一抹の寂しさと共に、今 少年は知識を求めてさまよっている。
――折角だから、本でも見繕っていこうか。
読み終えた本は、売るか捨てるか。そうして最近は新しい本を探していたところだった。決して大きくはない鞄には、まだ少しスペースが空いている。
市場の一角で足を止める。古本が並ぶ店だった。腰の曲がった老婆が、優しげに目を細めて少年へ声をかけた。
「本をお探しかい。ここにあるのは、誰かの読み古し――それか訳ありのものばかりだが、安くしておくよ」
「……ああ」
まだ、人との会話には慣れない。今までは、会話がなくとも困ることがなかったからだ。
本の表紙をひとつひとつ眺めていく。他の本に埋もれるように置かれた、革表紙の本が目にとまった。
老婆の顔を見ると、彼女は皺だらけの手で本を取って少年へ差し出す。
端が焦げ、ところどころ黒く煤けた赤い革表紙。焦げた跡を認めた瞬間、右頬の火傷痕が引き攣るような気がした。
心臓が早鐘を打つ。震える手でページをめくる。
「……ああ……」
激情が体の内を駆け巡る。これは。この本は。
表紙の裏側に描かれた、顔を出した朝日が海を照らす光景。濃く赤い太陽が、海を金色に煌めかせている。
――父親の絵だった。テラスから素晴らしい夜明けを目にした父が、偶然そばにあった本に描きつけた絵。父は画家ではなかったが、絵を描くことが好きだった。そして、母親もその絵を気に入っていたことを、少年は今まで忘れていた。
『いいか、おまえの名前はな』
父親の声が、少年の脳裏に蘇る。
『父さんが見た、この人生でもっとも美しい景色からとったんだ』
『父さんったら、必ずその名前にするんだって聞かなかったんだから』
母親の声が蘇る。
『うつくしい人になってね。容姿ではなく、心や生きざまのうつくしい人に。ねえ、』
今まで忘れたままだった、彼の名は。
「アルバ…………」
Alba。夜明けを意味することば。ずっと求めていたもの。ようやく思い出した文字と音に、らしくもなく涙が零れ落ちた。
訝しげな老婆にコインを渡し、本を買い取る。この本だけは、少年は生涯手放すことはないだろう。
彼の脳裏に浮かぶ顔があった。これまでに訪れた夢の中で、話す機会があった数少ない“知り合い”の顔だ。
――今更、探してもいいのか。会いに行ってもいいのか。
不安がいくつも浮かんでは弾ける。それでも、今の彼にはどうしても伝えたいことがあった。
※未来、グッドエンドを迎えたその後のこと。宛もなく彷徨う中で、ずっと探していた宝物を見つけた話