01

 オミバシラの手下におかしな瓶に詰められて、田沼を危険な場所に連れてくる羽目になってしまった。それだけではなく、田沼を危ない目に合わせて、もうどうすればいいのかと混乱してしまった時、その場にいた名取さんが声をかけてくれた。

「夏目は強いんだよ。私はそういうのが嫌で、煩わしくて……いや、煩わしいものなんだと思い込んで、とっくに捨ててしまったからうまく言ってやれないけれど、夏目は捨ててはいけないんだ。きついかもしれないけど、夏目にはきっと必要なんだ。必要なんだよ」
「名取さん…」
「私にも、昔はいたんだ。大切な、友、だった人が。でもその人を傷つけて、会えなくなってしまった。もし、あの時あんなことを言わなければ……」

 名取さんのその言葉に、何となく聞き覚えがあるような気がして引っかかりを覚えた。
 ただ、すぐに柊が駆けつけ、急いでオミバシラ封印の準備に取り掛からなければならなくなって、その場では考えている時間なんかなかった。早くオミバシラを封印して、こんなところから田沼を連れ出さなくちゃいけない。

 封印が無事済んで家に帰れば、気が抜けた所為で寝入ってしまった。
 ただそれからしばらくして、また名取さんに会うことになり、あの時のことを思い出して少し考えてみれば、思い当たるのはあの人のことだとすぐにわかった。だって俺にとって、彼女はとても大切な時間をくれた人だったから。

「そうか、あの人の言葉と似てたんだ…」
「ん?なんだ、夏目」
「ああニャンコ先生、ちょっと昔のことを思い出したんだよ」
「また妖モノか?」
「いや、違うよ。とても優しくしてくれた人のことだよ」

 そう、あれは確か、俺が中学に入りたての頃だった。
 中学に上がる直前に引越して、慣れない土地で慣れない学校、慣れない制服に袖を通した俺は、いつもより少し、疲れていた気がする。
 引越したってどこにでも妖はいた。もう人に何かがいるなんてことを言うようなことはしなくなったとはいえ、視えるものは視える。中学に入って環境が変わったところで、結局自分にしか視えない妖に右往左往される日々。そんな俺のことをおかしいと思うのにさして時間がかかることもなく、結局学校でも、引き取り先の家でも一人でいることに変わりはなかった。
 その日は面倒な妖に目をつけられて追い回され、どうにかこうにか逃げ回って、やっと見つけた神社に飛び込んだ俺は、少し疲れていたのもあってか体力も底をつき、そのまま境内で倒れるように寝てしまったんだ。

 微睡みの中、わずかに温かい何かを感じてゆっくりと覚醒していくと、すぐそばに気配があることに気がついて飛び起きた。
 さっきの妖に見つかったのかと思ったけれど、見ればそれは全然違う姿をしていて、俺には人に見えた。

「あ、起きた?こんなところでお昼寝なんかしてたら風邪ひいちゃうんじゃない?今の季節はまだ少し寒いから気をつけて」

 その人はこちらを見るとゆっくり微笑んで、そう告げた。
 どういう状態かわからず困惑していれば、膝に自分のものではない布がかかっていることにようやく気づいた。

「あの……これ…」
「あ、それ私のストール。寒いかなって思って掛けさせてもらったんだけど、いらなかった?」
「いえ、とっても温かかったです!すみません、ありがとうございました」
「はい、どういたしまして。でもびっくりしたんだよ〜。来てみたら知らない男の子が倒れてるからどうしようかと思った!まあ、寝てるだけだったから良かったんだけどさ」
「…すみません」

 謝りながらストールを返せば、その人は笑って受け取ってくれた。こんな風に人と話すのは久しぶりだ。
 そんなことを考えたところで再び恐ろしさを思い出す。もし、この人が人ではないものだとしたら…。

「ね、これ食べない?」
「へ?」
「これ。私の最近のお気に入りのお菓子。あ、ちゃんと小包装だからキレイだよ。大丈夫」

 ずいと差し出されたお菓子の包みは、確かに有名なお菓子メーカーのもので、小分けにされていた。それはその人の横に置かれたカバンから取り出されたようで、そこでやっと少しホッとした。この人は、人間だ。

「美味しいんだよ?ね、一つ」
「…じゃあ一つだけ、いただきます」
「はい、どうぞどうぞ」

 受け取った包みを丁寧を解き、少し眺めてから口にゆっくりと運ぶ。こういうお菓子は出してもらっても、なかなか遠慮して手を伸ばせなかったから、なんだか少しだけ緊張してしまった。

「どう?美味しいでしょ?」
「…はい、とっても」
「ふふ。良かった」

 そのお菓子は甘すぎず、なんだかとても優しい味で、この人みたいだと少し思う。

「さ、私はそろそろ行かなくちゃ」
「え?」
「君、私が来てからも随分長いこと寝てたんだよ?君はまだ…中学生くらい?」
「はい。中一です」
「そっか。ならそろそろお家に帰りなね。もうしばらくすれば気温も下がってくるよ」
「…はい」

 今から思えば、少し遅れて返事を返した俺の顔を見て、何かを感じ取ったのかもしれないその人は、少しだけ目を細めて俺にまた一つ、お菓子を握られた。

「風邪をひいたら大変だから、またここへ来るならもう少し温かい格好でね」

 そう言ったその人は、それじゃあと荷物を手に持った。もしかしてこの人は、俺が起きるのを待っていてくれたんだろうか。
 そう思えば、胸に込み上げる何かで、何故か涙が出そうになり、それを誤魔化すように声を出した。

「あの!」
「ん?」
「あの、俺、夏目って言います。夏目貴志です」
「夏目貴志くんね、オッケー。それじゃまたね、夏目くん」

 何でその時、初対面で、もう会うかもわからないような人に名前を言ったのか、それはわからない。でもその時、この優しい人には知ってほしいと、そう思ったのかもしれない。

 次の日、その神社へ行ってもその人は現れなかった。次の日も、その次の日も。
 また会えるんじゃないか、何となく少し期待してしまった分、勝手に裏切られたような悲しい気持ちになり、その翌日からは行くのをやめた。

 ただ、俺が妖から追われてしまうのはいつものことで、結局その後神社に逃げ込むのもいつものことだった。
 そうして、自分の意志ではないにしろその神社へ駆け込めば、その人は、そこにいた。

「お、夏目くん。また会ったね」
「……はあ、はあ。そう、ですね」
「あら、マラソンでもしてたの?ほら、こっちにおいで」

 その人は前見た時と変わらぬ笑顔で、自分の隣をトントンと叩く。
 全速力で走った後であまり頭も回らない俺は、言われるがまま指示される場所に腰を下ろした。

「飲みかけで良ければ紅茶があるんだけど、飲む?」
「い、いえ、結構です」
「あはは、そうだよね。飲みかけじゃあね〜。よし、ちょっと待っててね」

 そう言ってカバンから何かを取り出して立ち上がったその人は、そのまま神社の階段を降り、しばらくして再び戻って来た。その手には缶ジュースが握られており、それで状況を理解した俺は一瞬で青ざめた。ジュースを、買わせてしまったんだ。

「す、すみません!そんなつもりで断ったわけではなかったんです!あ、お金返します!」

 本当は百円だってもらえない立場で、頼めるかはわからないけれど、頼んでみよう。

「え?!何か気を使ったつもりが気を使わせちゃった?むしろごめんね!いいのいいの、私が勝手にしたことだから気にしないで」
「いや、でも…」
「私バイトもしてるしさ。周りの友達ともこれくらいおごったりおごられたりするのって普通になっちゃってたから…。そうだよね、中学生にとってみればジュースおごられるなんてあんまりないことだよ。いやいや、すっかり失念してました。だから今後は控えるので、今回ばかりはもらってやってくれないかな?私には飲みかけの紅茶があるからこれ以上飲み物いらないし」

 逆にお願いしますと頼まれて、何が何だかわからなくなって固まっていれば、プシュっという音が聞こえたそれを手に押し付けられた。

「さ、もう封も開けてしまいました。どうか人助けだと思ってもらってやってくださいな」

 そんな風に言われれば、もう断ることもできなくなっていた。

「すみません…。いただきます」
「はい、ありがとう。お金もお願いだから返さないでね!あ、お菓子も食べる?」

 そのジュースも、その後にもらったお菓子も、やっぱりその人と同じように、とても優しい味がした。

 話を聞けば、その人は近くの大学に通っていて、毎週この曜日だけは、空き時間がある関係でここに足を運んで気晴らしをしているのだという。例年そういう時間は友達と過ごしていたんだけど、今年に限って友人達と合わず、一人で学校にいるのもつまらないからこうして一人でここに来ているらしい。

「ここ、そこに桜の木があるでしょ?実は隠れお花見スポットなんだよー」

 確かに、腰を下ろした位置からは咲き誇る桜が散る様子が美しく見えていた。俺は今まで、一人でゆっくりお花見をしようなんて思ったことはなかったから、それはとても新鮮な光景に見えた。

「私、しばらくは毎週ここにいるだろうから、また会えたら話し相手してね」

 その日の去り際にそう言ったその人がまたねと言って去っていく後ろ姿を、俺はその日も見送った。

 それから俺は、妖に追われなくても、毎週その曜日になれば神社へと通った。そこでその人と過ごす時間はそう長いものではなかったけれど、その何でもない話をするだけの時間が、俺にとってとても大切になるのは、そう時間はかからなかった。

 それからたぶん、三ヶ月くらい経った頃。あの日はしとしとと雨の降る、なんだか嫌な天気の日だった。
 雨の中、妖に追いかけられ、傘もさせずに神社のすぐ近くまで逃げてきた時、雨で足元が濡れていた所為もあってか妖に捕まってしまった。

「このっ、離せっ!」

 そう叫んだ時、背後から声がかけられた。

「夏目くん?」

 少し振り返れば、もちろんその声の持ち主は綺麗な柄の傘をさし、たった一人でおかしな格好をして叫んでいる俺の姿に頭を傾けるその人がいた。
 見られた、直後にそう思った。これでこの優しい時間をくれたこの人からも奇人認定されてしまう。
 でもそれより、まずはこの場をどうにかしなければ。視えないこの人に、視える俺の所為で迷惑をかけることになってしまう。それだけは、絶対ダメだ。

「離せ!って言ってんだろ!」

 そう思った瞬間に拳を握り、思いっきりそいつの顔面に叩き込んだ。急な反撃を避けられなかったその妖が、目を回して倒れたのを確認して振り払った。

「すみません!今だけ、今だけでいいですから一緒に来てください!」

 心からの想いを込めてそう言ってから、その人の手を引いて神社まで走った。

「はあ、はあ。こ、れじゃ日頃の運動不足が、バレバレだ、ね…」
「すみません、いきなり…。あの、俺もう」
「いや、まあいいから。とりあえずこれでふきなさい」
「…いや、」
「ん。拒否権なし!」

 もう、今後この人には会えない。あんな姿を見られて……いや、この人に直接拒否を示されることが、何よりも嫌だった。
 なら、こちらから近づくのをやめる、考えるのをやめる。それが一番傷つかなくてすむ方法だ。
 ただ、最後に少し、もう少しだけ、この人と一緒にいたい。そんな気持ちが少しあったのも確かで、俺は黙ってその人の指示に従った。

「夏目くん、傘は?」
「…学校に、忘れちゃって」
「あらら、それは仕方ないなあ。そんなにビショビショだと風邪が心配だから、拭いたら帰るんだよ?」

 いつもと変わらぬ様子で優しい言葉をかけてくれるその人に、泣きそうになってしまう。
 でも、なんで……。

「何で、聞かないんですか?」
「ん?」
「何で、ずっと朝から雨は降ってたのに学校に傘を忘れるんだとか、何で、一人であんなところで叫んでるんだとか、何で……」

 そこから先は声が詰まって、顔を背けてうな垂れた。せっかくこの人が聞かないでいてくれるのに、何で俺はこんなことを言ってるんだろ。馬鹿だ、ホントに。

「ね、夏目くん」
「……」
「夏目くんはさっき、私には視えない何かから、私のことを守ってくれたんじゃないのかなって、私は思ったんだ」
「…え」

 思わず、声がかすれた。

「あ、ごめんね。答えなくっていいから」
「いや、えっと…」
「おかしなこと言ったついでにもう少し変なこと言うと、実は私、妖怪、みたいな存在?信じてるんだ。昔、とっても大切だった人がいたんだけど、その人にはそういう存在が視えていてね」

 視える?俺と、同じ?まさか、そんな…。

「他の人はあまりそのことを肯定的にとらえていなかったんだけどね、自分に視えないものは存在しないなんて、そんなの理屈が通らないと思うんだ。それに私にはその人が嘘をついているなんて思えなかったから、だから彼が言っていることを信じるって決めたの」

 もし、その人が俺と同じように視える人ならば、それはとてつもなく、本当に幸せなことだったに違いない。こんなに優しい人が信じてくれるなら、他のどんな人に疑われたって構わない、そんな気がする。正直、とても羨ましかった。
 ただ、彼女の遠くを見つめた目が、悲しげに閉じるのを見た。

「でもその人にとって、人とは違う何かが視えるっていうことは、あまり良いことではなかったの。でも私は、その人の視ている世界がどんなものなのかずっと知りたかった。同じ景色を、見てみたかったの。ある時、それをポロっと零してしまったことがあってね……。その言葉は、彼を、傷つけて、しまった」

 その表情があまりにも悲しげで、俺は何も言うことができなかった。
 いつも笑っていたその人の顔が沈んだのは、その時が最初で最後だった。

「ああ、違う違う。こんなこと言いたかったんじゃなかった。だからね、夏目くんがさっき何をしてたかってことは別に何でもいいんだ。夏目くんに何が視えてるとかそういうのは抜きにして、夏目くんがとても優しい子だってことだけわかってれば、もうそれで十分だから。だからもう、そんなに悲しそうな顔しないで?」

 何かを言いたかった。何かを伝えたかった。
 でも、結局俺の口から漏れたのは、もうのみこめなかった嗚咽だけだった。

「大丈夫。きっとすぐに、夏目くんの優しさに気づく人がたくさんできるよ」

 結局その日はろくに話もできず、俺が泣き止んだ頃にこのままじゃ風邪をひいてしまうから帰りなさいと諭され、帰ることになった。
 俺はその時はまだ知らなかった。それが彼女に会える最後の日だったということを。

*←→#
back top

ALICE+