教室内が賑わう昼下がり。一日の学校生活の中で最も長い休み時間である今は違うクラスの生徒も出入りしている。
 そんな中、ナマエは昼食もそこそこに自分の席でシャーペンを手に持ち、机の上に広げている紙に何か書いていた。

「(締切今日じゃんやばいやばいやばい)」

 内心頭を抱えながらナマエは手を動かし、時折机の上にあるメモを開いては閉じ、さらに稀な頻度で片手にあるパンを思い出したように齧っていた。

「(今何時だろ)」
「ナマエ、今暇?」

 ナマエがタイムリミットを確認しようと時計を見るために頭を上げたとき、一人の男子生徒がのそのそと近づいてきた。時計を確認したあと、ナマエは自分の名を呼んだ声の主の方へ顔を顰めさせながら向ける。

「これが暇そうに見えるか」
「だって紙白いじゃん」

 近づいてきた生徒はナマエの前の席を勝手に借りて座った。ナマエはそれには気にしない様子で、うるせぇと軽口を返しながら目線を紙に戻す。ナマエは今、自身が所属する放送委員の仕事をせっせとこなしているのであった。今度放送する内容の原稿を書き進めていたのだが、冒頭でも言ったように締切は今日である。締切ギリギリまでやらないのはナマエの悪癖だった。

「いつまでに仕上げんの」
「今日の放課後」
「残念。ご愁傷様」
「勝手に諦めないでくんない?」

 こいつは何しに来たんだ、と緩み始めた空気にナマエはまた思い出したようにパンを齧る。その様子を見ていた生徒は物を乞うように片手をナマエに出した。それに気付いたナマエは怪訝そうな顔をしたあと、残り僅かなパンをそっと庇うように自分の方に寄せる。

「……あげねぇからな?」
「違うし。ナマエに食べさせようとしてあげただけだし。あと数分で昼休み終わるし」
「さりげなく現実を突きつけないでくれ」
「もっと言うことあるだろ。なんでそこにしか反応しねぇんだよ」

 隠さず舌打ちをした生徒にナマエは、最近の子はキレやすくてやだわー、と棒読みで返す。その様子が気に入らなかった生徒はナマエが原稿に夢中なのを良いことに、普段部活の時にしか見せないような素早さでナマエの手の中にあるパンを奪った。まさか本当に奪われるとは思ってなかったナマエはぱちくりと目を瞬かせ、奪ったパンを片手にこちらを見る生徒を見た。

「もう食べたんじゃないの」
「食べた」
「足りないんか。運動部は大変だな」
「足りてないわけじゃないから」
「?」

 じゃあ何で奪ったんだ、とナマエは怪訝そうに生徒を見る。今度は生徒の方がナマエを気にしない様子でパンを一口サイズに千切り出した。

「……」
「……」
「お前今何て言った」
「足りてないわけじゃないから」
「そうです正解です。言ったそばから食ってんじゃねーよ」

 いっそ清々しいとまでに言動が一致しない生徒に、ナマエはその頭へ手刀を見舞った。しかし威力はないのか、生徒は表情変えずにいてっと呟いただけで終わった。

「はい、あげる」
「元から俺のパンなんですが」
「あーん」
「……」

 聞く耳持たない様子の生徒にナマエは──反論するより会話を終わらせて原稿を再開した方がいいと判断し──早々に諦め、口をかぱりと開けた。その口に生徒は一口サイズに千切られたパンを運ぶ。

「おいしい?」
「ん」
「お茶飲む?」
「ん」
「俺の飲みかけだけど」
「自分のある」
「はい」
「……」
「はい。あ、飲ませてほしい?」
「お前何しに来たの……」

 脱力した手で生徒の手から彼のものであろうペットボトルのお茶を受け取るナマエ。鞄の中に入れてある自分のお茶を思いながら、手にしたお茶を一口飲み込んだ。その様子を、パンを千切りながらじっと生徒は見つめる。

「何って、構われに」
「金田一のところに行って、どうぞ」
「ダーリン冷たい」
「さっさと彼女つくれよハニー。せめて俺が暇なときに来てくれ」

 溜息混じりに言いながらナマエは生徒にお茶を返し、シャーペンをカチカチとノックする。チラッと時計を見れば、昼休み終了まで五分を切っていた。

「(あ、これ無理なやつ)」

 まあコイツが来なくても流石に結果は同じだったか、と開き直りながらナマエは未だ前に座り続けている生徒に目を向けた。生徒はナマエと向き合うよう椅子に跨る形で座っており、先程からゴソゴソと制服のポケットを漁っている。そして目当てのものが見つかったのか、お、と小さく呟いた。

「忙しそうなダーリンにあげる」

 はい、と言って生徒から渡されたのは二粒のキャラメルだった。彼のことだから塩キャラメルなんだろうと予想しながら、ナマエは素直にお礼を言った。

「ありがと」
「どーいたしまして。こちらこそごちそうさま」
「?」

 パンのことについて言ってるんだろうとナマエはすぐに思ったが、それにしては生徒がお茶を見つめながら言うものだからナマエは首を傾げた。傾げたが、特に深くは考えず相槌を打つだけにした。その様子を見た生徒は一瞬小さく笑い、そろそろ予鈴が鳴るからと席を立つ。ナマエも原稿を片付けようと机に目を移した。

「あ、国見」
「?」

 思い出したようにナマエは生徒、もとい国見を呼び止める。まだ近くにいた国見は不思議そうにナマエの方へ首を向けた。彼の手には中身がないパンの袋があり、その袋をチラリと見ながらナマエは再び口を開けた。

「それ捨ててくれてありがと。あと、帰り時間合ったら一緒に帰ろうか」
「オッケー。俺の方が遅いだろうけど待ってろよ」
「何もオッケーじゃない。時間合ったらっつったろーが」
「耳圏外です」

 べっと舌を出しながら国見はゴミ箱に袋を捨てつつ自分の席へと戻る。椅子に座り、次の授業で使う教科書を出そうとしたが、出しながら耐えきれないとでも言うように机に突っ伏した。

「(あー……好き)」

 その耳は、赤い。


back

ALICE+