夜の冷たい風が吹く。昼間は暑いくらいだったのにな、と溜息をつけば後ろから和さんに声をかけられた。

「和さん」
「今日もお疲れさん」
「ッス」

 帰るか、という和さんの言葉に頷いて前を向こうとした時、ふと校舎内の一つの教室の電気が点いていることに気付いた。そこが職員室なら勿論、職員室でなくとも普段はどこであろうと全く気に留めないが、今は何故か気になる。

「準太?」
「あー……あの、ちょっと忘れものしちゃったみたいで。取ってくるんで、和さんは先帰っててください」
「そうか。そんじゃお先」
「はいっ」

 和さんが数歩離れるのを見届けて、小走りで校舎に戻る。和さんとのやりとりの途中で電気が点いている教室がどこだったかを思い出し、次いでふと一人の人物が思い浮かんだ。……いるかな。
 練習後で疲れてるはずなのに、走ってる間は何故か体が重く感じなかった。



 体が重くないと頭では思いつつも、やはり肉体的には正直に疲れを感じているようで。いつもは走っても何とも感じないはずの距離が、今は少し息が切れる。少し呼吸を整えてから部屋の扉を開ければ画材の独特の匂いが鼻に届く。目をそう動かさなくても、教室内にはさっき思った通りの人物がいた。制服ではなくて作業着なのかツナギを着ている。そして机にスケッチブックを開いたまま突っ伏していた。

「(一人だったのは予想外だったけど……)おーい」

 肩を揺さぶれば、その顔の眉間に皺が寄った。寝ている相手を起こすのも忍びないが、場所と時間が時間だ。そろそろ校舎から出ないとまずい。

「ナマエ、見回り来ちまうぞ」
「う……」
「起きろー」

 声は上がるも起きないから、肩を揺するだけでなく頭を軽く叩いたりした。するとそう経たずにその上半身は起き上がり、寝惚け眼のナマエと目が合う。

「……あれ、高瀬だ」
「はよ」
「おはよう? 何でいるの」

 起こしてやったのになぁと思いつつ、外から電気点いてるのが見えたと正直に言えば、ふーんと平坦な返事が返ってきた。……何か一気に体が重くなった気がする。

「よく外から美術室だって分かったな。俺も分かんないよ多分」
「……あっそ」

 何かナマエがいる気がして、と喉まで出かかった言葉は、何だか小っ恥ずかしくなって飲み込んだ。その代わりにふと浮かんだ疑問を、画材を片付けているその背中に投げかけた。

「いつもこんな時間までいんの?」
「まあ、大体」
「へえ」
「たまに寝落ちして先生に怒られる」
「うわ」
「今日は高瀬が来てくれたけど」

 画材を片付け終わったナマエがこちらを振り返って笑う。そのままツナギを脱いで軽く畳めば片付けは終わったのか、帰ろうかと教室の鍵を片手にナマエが近寄ってくる。

「他の奴らは?」
「とっくに帰った」
「ふーん……」

 熱心だなぁと単純に思った。そんな熱心に絵を描く彼の作品を教室から出る前に横目で見る。前に見た時より絵の具が乗っているキャンバスは、なにか実際にある物を描いてる訳ではなさそうで。キャンバスに色が重なっているだけのそれが何を表現しているのかは分からなかった。

「俺って芸術センスねーのかな……」
「え?」
「何でもねーよ」

 思わず出てしまった言葉に首を振りながら、早く帰ろうぜと教室から出る。体の重さは変わらないし、腹も減った。早く家に帰ろうと思いながらナマエを見れば、彼は教室の鍵を閉めていた。今は暗くて見えないが、明かりのついた教室内で見たその手は絵の具が肌に染み込んでしまうんじゃないかと思うくらい付着していたのを知っている。

「……」

 だから何だと言うわけでは………………あるのか? 何と言うか、そうだな、そう……こう、なんか、好きだなと思った。……手が。手がな。

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