「海野のお兄さんイッケメ〜ン!!」
「イケメンでオタクな人っていたんだ……」

 海野の兄が話題になった日のこと。その話題はすぐにおさまるかと思いきや、さらに別の方向に伸びていった。

「お兄さん、なんて名前なの?」
「ナマエ」
「へぇ〜! 何してる人?」

 きゃあきゃあと盛り上がる女子たちを横目に、矢口は微妙な笑みを浮かべつつ自分の作品に手を入れていた。日本のいわゆるサブカルというジャンルにはあまり関心を持っていなかったのと、海野の兄に関しては写真を見て一旦の興味はおさまったのだった。
 しかし、次の海野の言葉によりその手はピタリと止まる。

「あー……イラストレーターしてる」
「えっ、うそっ凄い!」
「イラストレーターだけで食ってけてるの?」
「うん、まあ。ソシャゲのキャラとかも描いてるし」
「マジで!?」
「絵見てみたいです!」
「ちょい待って」

 キラキラと目を輝かせる白井と城田に海野は少し眉を寄せてスマートフォンをいじり始める。しかしそこに嫌悪感はなく、その表情は気恥ずかしさから来るものだった。
 白井や城田たちが盛り上がる中、矢口は自身が握っていたパレットや絵筆を周囲のものが汚れないようにそっと置き、そして静かに女子達の群れへと忍び寄った。

「うわ、矢口」
「ごめんね? でも海野さんのお兄さんの絵、気になって」

 近寄った矢口に振り向いた部員達はどこか居心地悪そうな表情を浮かべる。矢口はそれを感じ取るも、ニッコリと笑って有無を言わせない雰囲気をつくった。その様子に海野を始める女子達はどこか諦めたような様子になる。

「まあいいけど。……あ、あった。これ」

 小さく溜息をついた海野は、同時にスマートフォンの画面を矢口達に見せる。

「──ッ、」

 矢口は他人、それもプロの作品が気になり海野達に近寄った。橋田たちと美術館に行った日以来、たくさんの作品に触れていきたいと思うようになり今回もその一環だった。しかし海野から兄の絵を見せられた矢口は、賞賛等で騒ぎ立てる女子達の声も気にならず──まるで自分以外周りに誰もいない気にさえなっていた──無意識に心臓あたりを服の上から軽くおさえ、考えるよりも先に口が動いていた。

「……これ、なにで描いてるの?」
「ペンタブ」

 水彩とかアクリルとか、アナログでもたまに描いてるみたいだけど、という海野の声に矢口の心臓がトクトクと僅かに早くなっていく。そうしてまた、後先考えずに口を開いたのだった。

「あのさ……お兄さんに、会えない?」





 今まで自分好みの絵を見つけては出来る限りスクラップブックに保存してきた。しかし、それらを描いた人に会えたことは一度もなく(森先輩は……なんか、別だ、別)。しかし同級生、同じ部活の人の兄というさして遠くない人ならば一度は会ってみたいというもの。当の本人の妹からは、最初隠さず嫌そうな顔をされたが。

「兄貴。漫画貸して」
「おー」
「あとこれ、この前言った矢口」
「おー……お??」

 これって言われたよ、と思ったのも束の間、先程までこちらを微塵も気にせず液晶ペンタブレットで作業していた海野のお兄さんは驚いた様子でバッとこちらに振り向いた。写真見てるから知ってたけど、同性から見ても普通に顔が良い。

「え、なに、ほんとに来たの?」
「本当に来た」

 来るの嘘だと思ってたの?? という疑問は隅に置き、部屋を見渡す。失礼ながら思っていたよりずっと綺麗だった。見えないだけで本の数は多いのだろう、扉がついているタイプの本棚でびっしりと壁が埋められている。一角、画材やスケッチブックで不恰好な山ができている所もあったが、そこは自分からすれば逆に好感が持てた。

「適当に漫画持ってくわ」
「え、待って。この……矢口君は??」
「矢口が適当にやるんじゃない」
「お前が一番適当だなぁ」

 本当にな、と兄弟のやり取りを見て思う。海野さんが俺とお兄さんの間を取り持ってくれることを若干期待していたが、若干だ。あまり期待はせず、自分で何とかしようと意気込んではいた。

「──じゃ、これ借りてくから」
「はいはい」
「じゃあな」

 漫画を数冊手にした海野さんがお兄さんの部屋から出て行く。完全に扉が閉められたのを横目に、俺はお兄さんへ体と目を向けた。お兄さんは俺達が来たことで集中力が切れたのか、俺がいることで作業する気になれないのか、先程まで触っていたペンタブからは完全に意識が逸れていた。

「えっと、矢口八虎です」
「……どうも?」

 お兄さん、もといナマエさんが名乗ってくれたことを皮切りに、何故ナマエさんの所へ押しかけたのかを話す。藝大を目指していること、絵を始めてからまだ時間が経ってないこと、部活の時間で見たナマエさんの絵に惹かれたこと──諸々を掻い摘んで。

「なるほど?」
「デジタルの絵も勿論素晴らしかったんですけど、画材を使った……アナログ? でも描いてるって聞いて。よかったら拝見できたらなって」

 そう言うと、ナマエさんは画材の山をチラリと見た。不快感や機嫌を損ねてなさそうな顔、そして腰を上げて画材の山に向かっていくその背中に心の中で「よっしゃ」と呟く。

「いいけど、アナログは学生の時のやつがほとんどだよ?」
「見させていただけるだけとても有難いので」

 寧ろこの人の学生時代の絵を見れるなんて、と願ったり叶ったりだ。一体どんな絵を描いていたんだろう、とF6サイズのスケッチブックを手に取って確認するようにパラパラと捲るナマエさんの姿を見ながら心が踊った。

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