「ナマエさんってどこの大学出たんですか?」
「金美」
「カネビ」

 ナマエさんを目当てに海野の家を訪れて何回目かのとき、借りた画集を眺めながらふと出た疑問をそのまま口に出せばナマエさんはすぐに答えてくれた。俺が来ることに慣れたのか、液タブからは目を離さずに。

「金沢にある美大」
「へぇ」
「金沢21世紀美術館、行った?」

 あとで学校のサイト見てみよう、と思いながら相槌を打てば、記憶に新しい美術館の名前。橋田の顔がぽんっと浮かぶ。

「……予備校で同じ奴が」
「あそこ面白いから、学生の内に行っときな」

 館内レストランのビュッフェも美味しかったし、と続けるナマエさん。最初の時より幾分か雰囲気が柔らかくなってくれた気がする。まあ初日は突然、貴方のファンです! って言ってるような奴が家に押しかけて来たんだから、固まるのは致し方ないというか当然の反応なのだから、寧ろ今も良くしてくれることがとても有難い。前回なんてペンネームとポートフォリオサイトを彼の方から教えてもらったのだ。腹が嬉しさで満たされるような、そんな感覚になったのを鮮明に覚えている。
 そのポートフォリオサイトを眺めてたらいつの間にか空が白み始めてた時は驚いた。時間が経つことの早さと、時間を忘れるほど見入るナマエさんの絵に。

「ナマエさんはもう油で絵描かないんですか」
「……油か」

 時間と場所がなぁ、というナマエさんに、先日この部屋で見た彼の学生時代のポートフォリオを思い出す。……あの作品の数々はもう残ってないのだろうか。撮影と印刷の工程で大分色とか変わってるだろうに、それでも魅力は詰まっていた。是非とも実物を見てみたい。

「油絵のあの、キャンバスに絵の具を置く感じとか、練った絵の具に艶が出る感じも好きなんだけどねぇ」

 言いながら椅子の上で伸びをするナマエさんを見て、そろそろ休憩かと思い自分も腰を上げる。ナマエさん自身の言葉を聞いても「いつか実物のナマエさんの油絵を見たい」と変わらず思いながら彼の後ろに立って液タブを覗き込めば、やはりゾクゾクするくらい魅力的な世界が広がっていた。ゲームのパッケージだと言っていたその絵は、俺だったらジャケ買いしそうな勢いになる。残念ながら対応するゲーム機を持ってないことと、今の自分の経済状況でそれを買う余裕がこれっぽっちもないので断念する他ないのだが(歌島とか持ってねーかなー……)。
 気を抜けば惚けてしまいそうな絵を眺めていれば不意にナマエさんが後ろ、つまり俺の方に振り向く。

「矢口君、予備校どう?」
「……ぼちぼち?」
「ぼちぼち」

 小さく笑って頬杖をついて下から覗き込むように見てくるナマエさんに体が自然と後ろに逸れる。思ったより距離が近かった……。

「もう受験まであんま時間ないもんね」
「……ハイ」
「わりと定期的に俺のとこに来る余裕なんてあんの?」

 その言葉にピタリと思考が止まる。頭が真っ白になった。……もしかしてこれは、遠回しに拒絶されている?

「あー……もしかして俺、此処に来るの迷惑です?」

 だってそうだ、俺がやってることって押しかけもいいところ。最近はナマエさんも気にせず作業するとは言え、仕事の邪魔をしていることに変わりはない。あ、どうしよう。不安だ。あまり考えないようにしていた所為だ。こんなの考えれば迷惑だなんて明らかなのに。

「いやそうじゃないけど」

 ぐるぐると頭を駆け巡る、不安を具現したような靄がバッサリと晴れた。いつの間にか無意識に視界から逸らしていたナマエさんを見れば、彼は机の上にあるB5サイズの紙を取っているところだった。

「まだ俺のとこに来る余裕があるなら、これ一緒に行かないかなって」

 はい、と手渡されたそれは、聞いたことのない人の個展のチラシだった。聞けばナマエさんの知り合いの人が今度開くらしい。

「都合良い日があったらだけど」
「い、行くっ、行きます!」

 思わぬ誘いに慌てて返事をすれば、ナマエさんは一瞬驚いた様子で見てきた。直後クスリと笑われながら「急に顔が固まるから吃驚した」と言うものだから、不安が杞憂だったことに安堵したり、確認できない自分の表情の変化に羞恥を感じて忙しい。

「ていうか前から思ってたけど、俺の絵ばっか見せて理不尽じゃない? 矢口君のも見せてよ」
「えっ、見せませんでしたっけ」
「見せてませんねぇ」

 なんてことだ、今までナマエさんの絵を強請りに来ただけだったのか。いや、俺の絵を見せることでナマエさんの絵が見放題なことの報酬になるとは思えないと自分で重々自覚済みなのだが、まあソレはソレ。

「ちょっと待ってくださいね」

 自分の中でも良く描けたと思う作品の写真をスマホのカメラロールから探す。探しながら横目でナマエさんを見れば、どこか楽しそうな、期待をしているような、そんな表情が見えて一瞬指が止まりそうになった。
 ああ、なんだろう。好きな作家に自分の作品を見せて下手だとか思われる可能性だってある筈なのに、分かってるのに、何でだろう、自分の絵をこの人に見せることがすごく嬉しい自分がいる。

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