「矢口が乙女の顔をしている」
とは、部内の白井の言葉である。その言葉だけだったら妄想と現実はちゃんと区別しとけ、の一言で済むのだが、確かにどうしても引っかかる部分が海野にはあったのだ。
「あのさ、その……ナマエさんって何が好き?」
こちらの顔色を窺うような、申し訳なさそうな、けれど確実に上気している様子に期待やときめきを隠せていない、どこかいじらしく感じる矢口を真正面から見て、海野と白井と城田があんぐりと口を開けたことは記憶に新しい。聞けば、初対面以来結構な頻度で連絡をとっているらしい矢口とナマエ。数日前にナマエの知り合いが開く個展に連れてってもらったからそのお礼がしたい、とのことだったが、それならばもっと平然と聞けるのでは? 何故頬が赤かったのか? その疑問には、同性愛作品を嗜む彼女たちからすればほぼ一択だった。
海野が部屋にある時計を見る。もうすぐ矢口が自分の兄のもとへ来る時間だ。きっとその片手には、先日言ったナマエの好みに近しい手土産を持っているんだろうと思うと海野は少し複雑な表情を浮かべた。
「……出かけてくる」
「え、矢口君と会わないの?」
「いい」
「あっそお」
気にならないと言えば嘘になるのだが。何なら滅茶苦茶気になるし、こんなにも現実的に壁になりたいと思った日は無かったが。が、それより若干気まずさの方が勝った海野はやはり直接は関わらないでおこうと腰を上げ、玄関へと向かう。外に出かけず自室に篭ることも考えたが、同じ敷地内にいると思うと何も手がつかなくなりそうだと思った。
「あ、海野さん」
「げ」
「(げって言われた……)どうも〜。出かけんの?」
「まあ、うん」
「お土産、ご家族分持ってきたから海野さんもよかったら食べてね」
海野が玄関扉を開けるとそこそこ近くに来ていた矢口と目が会う。会話はすぐに終わったが、へらりと浮かべた人当たりの良い矢口の笑顔を見て、やっぱり陽キャと喋るのは無理だなと海野はほんの少し顔を顰めた。
「(月曜なんて言おう)」
海野は白井たちから今日のことを事細やかに教えろと言われていたのだが、それは海野が出かけたことにより不可能になったのだ。文句は確実に言われるのを思い、一つ溜息をついた。
そもそもの話、美術部のオタク三人が好き勝手に騒いでいるだけであり、会話のネタのターゲットにされている矢口がナマエに対してどう思っているかなど本人以外知らないことである。手土産について話しかけてきた時だって、単なるナマエへの憧れや緊張故の反応の可能性だって十分にあるのだ。しかしそれは分かっていながら三人は、貴重なリアルの供給源だと言わんばかりに妄想し、時にはそれを語り合っていた。下世話である。
「(どうしよう、兄貴と矢口が付き合いだしたら……)」
下世話である。
「っくしゅん!!」
「うわ……はい、ティッシュ」
「あざす。あ、スケッチブックにはかかってないんで」
「別にそれはいいけど。風邪?」
「いやぁ、そういう訳じゃないんすけど……噂されてんのかな」
なんて、と矢口が茶化しながら言えば、ナマエは返事の代わりに柔らかく笑う。その表情を見た矢口は、心臓がとくりと高鳴ったのを感じた。