▼ 2018/08/02 静香の長いネタ

一年半ぐらい前に考えてたけど結局続きが書けなくなっちゃったネタです

夢主とともに海に行く。アイドルや夢について話をする。話をするのは夕方。他愛もない話で、近所の海辺で朝から夕まで幸せを噛み締めていた。海という場所は誰もが浮かれ、誰もが楽しむ場所だから、他人の笑顔を見ているだけでも幸せになれた。
夢主が死んだと知らされる。静香と海に行った帰り、自分と別れてから通り魔に会い、刺されたらしい。静香にとっては初めての親しい人の死だった。
なまえの通夜に出た。夏休みだったから、学校の人たちもあまりいない。目の前に出されたお寿司を見ながら、周りが楽しそうに談笑しているのを見ると、息が苦しくなった。なまえの両親は、苦笑いを浮かべていた。母親においしいよ、と言われたって、何もかもが味気なく感じて、なまえがいない世界がこんなにも狭いものだとは思わなかった。そんなに落ち込まなくたってとか、わかってるんだよ。私だって子供じゃない。私がいくら泣いたって、悲しんだって、なまえが戻ってきてくれないことぐらい。
どうやら、葬式にはお手紙を出せるらしい。母にそう教えられた私は、ひっそりと筆をとり、手紙を書き始めた。あなたをあの海に置いてきてしまったように感じる。隣にいないことがとても不自然で、明日を迎えるのが怖くなった。
次の日はなまえの葬式だった。ずっと前にひいおばあちゃんのお葬式に出て以来久しぶりで、何をすればいいのかわからなかった。ただ、目の前に飾られたなまえの写真は綺麗な笑顔で、怖いぐらいだ。お焼香とか言われたって意味がわからなくて、ただ見よう見まねでやるしかなかった。お経を唱える声はひどく冷淡で、なまえの死を悲しんでいない姿が、とても事務的なものに思えた。彼にとって、これは仕事であり、お金であり、生活であるのだろう。唱え終わると、目の前の棺の蓋が開けられて、そこにお花を入れる。私がもらったのは、白い菊の花。そっと、棺を覗き込むととても綺麗な顔をしたなまえがいて、恐怖心がふつふつと湧いた。静かに花をなまえの頬のあたりに置くと、指先が肌をかすめる。いつもは温かいはずなのに、とても冷たくて、生きていないということを私の心に刻み込む。花に埋もれた姿は綺麗で、可憐で、私は気持ちが悪くなって母に断ってからトイレに行った。あんなにも綺麗な姿でいるのに、生きていない。あんなにも柔らかい笑顔でいるのに、動きはしない。声も出さず、瞳に何も映さなければ、何かを思うこともないのだろう。人が死んでしまうことの何かが、わかった気がした。
その後、半分くらいの人が火葬場へ向かった。棺の中に入ったなまえが、燃やされる。骨という物体は、燃やされても残るらしく、それをこの後箸で拾うらしい。なまえが、形のあったなまえが、他の人のものと混じり合えばわからなくなるほど、小さくなっていく。個人という、自分という存在が消されていく。なまえが、死んでいく。なまえが、この世に存在しなくなっていく。
精進落としという名の食事をその後にとった。まるで味のないご飯を食べているようで、やはりなまえがいない世界はこんなものなのかと思ってしまった。
棺の中に入った骨を箸で拾う。白くほろほろと崩れてしまうそれがなまえなんて、考えたくなかった。なまえはこんなにも、脆く壊れやすいものだったのだろうか。柔らかな頬も、ブルーターコイズの海を写す瞳も、波に濡れる脚も、こんなにも白く儚い塊と粉だったのだろうか。私には、もうそれが思い出せない。
葬式が終わった。ぱちりと部屋の電気をつけても、空気はどんよりと暗い。この国特有の湿っぽい夏の空気も相まって、私には何もかもが重くのしかかるように思えた。
新学期が始まったはいいが、なまえは死んだままだし、私はその現実という名の幻を受け止めきれなければ認識することすらできていない。なまえの机の上に置かれた白百合の花瓶が、私には痛かった。胸が締め付けられる。私が、なまえを殺したんじゃないかって。誰もが皆、なまえの死を悲しむが、それがどうしようもなく上辺だけのものにしか思えなくて、私は自分自身を呪った。
いく日経っても、あの夏の日のことが忘れられずにいる。今日だって、小学校生活最後の日だというのに、自分にとってはなまえとともに過ごせなかった学校生活の中色褪せた世界のことや、濡れた砂が足裏に張り付く感触とか、とにかくなまえのことしか考えられなかった。卒業アルバムという私たちの六年間を総まとめしたかのような、形のある想い出にだって、なまえの姿はどこにもなくて。今はいないなまえを必死に探してまうことも、なまえにこんなにも心を縛られ縋ってしまうことも、すべて私の罪なのだろうと感じた。
卒業証書を渡されなければ、中学校の入学案内も来なかったなまえには、自分のクラスなど分けられていないわけで、勝手に自分の中でイマジナリーフレンドのような、想像上の存在なまえを形成し、クラスメイトにするなど、狂気の沙汰のようなことを私は平気でやってのけてしまった。もちろん、自分でそんなことは頭がおかしいことだとわかっているのだから、軽度なものだとは容易く理解できるが、それ以上に私はアイドルになる、なまえをライブの最前列に座らせるというあの日の夢が寝ても覚めても消えてくれなくて、私の脊髄から身体中の神経、血液、すべてを構築する細胞にその物事が刻まれているようにすら感じてしまう。ねえなまえ、私がアイドルになったら、会いに来てくれる? もういちど、名前を呼んで、私に姿を見せてよ。
765プロダクションに、私は加入した。一歩、私の夢に近づいた。刻々と私の期限に近づいている。なまえがいない世界で、どう頑張っていけばいいのだろう。
夏が来た。なまえが死んだ夏。なまえを殺した夏。何もかもを失ったように感じた夏だ。じりじりと肌を焼く太陽が憎い。肌に張り付くシャツも、腕から手に伝う汗も、全てがなまえを思い出させる。夏は怖い。なまえを強く感じるから。そこにいるはずはないのに、毎日のようにあの海に来てしまう。なまえが笑いながら、波打ち際にいるんじゃないのかって、勝手に思い込んでは現実が私を追い詰める。私は、夏が嫌いになったようだ。
今日はなまえの一周忌だ。なまえがいなくなってから1年なんて、時間の感覚がわからなくなっていた。なまえが私の隣にいないのは、昨日からのことのようで、もうずっと昔からのような気もする。御墓参り、とは言ったものの、そのお墓に入っているのはただの骨の粉たち。なまえを形成する骨組みであり、なまえではないなにか。それは確かになまえの成分であったが、それだけではなまえにはなりえない。形だけのもの。こんなものに祈りを捧げで、なまえの何になるのだろう。なまえは、ここにはいないのに。
少しだけ気分が悪くなって、トイレに行ってきた。なまえであったなまえでないもの、なまえの残骸を目にするたびに、こんな風に胃から喉奥にせり上がってくるものを感じる。1年前に見たなまえの身体のどこかのはずなのに、それがなまえだといわれることが、ひどく怖かった。このままこの人たちはなまえを残骸だと認識しはじめるのではないかと、心配になったのだ。
「……なまえ。どうして」
ぽつりと、心の声を口に出す。空気が震えて、音は反響する。無意識の行動だった。
「静香ちゃん、泣いちゃダメだよ」
突然、なまえの声がした。びっくりして、後ろを振り返る。なまえがいた。夢でも見ているんじゃないかと思って、私の隣にあった桶の水をサンダルを履いている足にかけた。夢では、痛覚は感じないという。それはつまり、感覚がないということだから、痛みもとより、冷たさ、熱さなんかを感じないと思ったから、私は水をかけたのだ。夏の陽射しの暑さは、体感しているわけではなく、こんな日照りに当たっていればと、頭の中が想像して熱くしているのだろうと思い込むことにした。
「突拍子もなく、静香ちゃんはそういうことをするよね。やっぱり、天然なんだ」
「ちがう。熱かったから、かけただけ。此処が家だったら、頭からかぶってたし」
嘘。びっくりしすぎて、いつの間にかかけていたのだ。
「それで、冷たかった? 夢じゃなかった?」
ぞくりと、私の背筋が凍る。もうその冷たさは時間が経っているから暑さに変わっているはずなのに、かけた足元に冷たさが再発する。そう、冷たかったのだ。感覚があって、夢ではない。なまえは、今確かに私の目の前に存在している。恐るおそる、なまえに手を伸ばすと、その手はぬるりと身体をすり抜けることなく、なまえの胸に落ち着いた。
「なまえ。なまえ、なまえ……」
きっとこれは奇跡なんだ。なまえが生きている。私の目の前で心臓を脈打たせ、口から空気を吸い肺胞の中で血液の二酸化炭素と酸素を交換している。彼女の体内は燃焼し、かすかなエネルギーを放出しているのだ。私は、こんなにも人が生きていることに感謝をしたことはない。今まで都合のいいものでしかなかった神が初めて存在していることに、私は気づいた。
不意に外から自分の名前を呼ばれ、私はトイレに何十分もいたことに気づいた。なまえと出逢えたことで興奮していて分からなかったが、窓のない小さな室内はひどく熱がこもり、水場でもあるため空気も湿っている。体はとうに、この蒸し暑さに悲鳴をあげていたようで、足を動かそうとすると、ふらりと体が倒れ、左手の洗面台にぶつかった。センサーで感知するタイプの蛇口は私の腕に容赦なく水を与え、青いワンピースを濡らした。サンダルがトイレの壁のタイルに大きな音を立ててぶつかったからか、母親が顔を覗かす。きっと相当な血色の悪さだったのだろう。すぐに私の体を抱くと、父を呼び、車に連れて行かれた。どこかの自販機かコンビニで買ったであろう冷たいミネラルウォーターを額に当てられているときも、私の隣にはなまえがいた。誰も気づかない。誰も見えない。なまえは、そこで生きているのにもかかわらず、存在することを許されていなかった。ゆらりと、病的な白さの腕をペットボトルにのばすと、なまえの掌はおかしなことのようにペットボトルとの境界がぐちゃぐちゃになってしまった。
そのままなまえは私と共に、車に揺られながら家に帰った。しきりに母は私を見つめて、手を取り、大丈夫かと聞いてきたが、私にはその声が届かなかった。だって、隣になまえがいるから。生きていないはずの、隣に座らないはずの人がいて、私の手を握って、微笑んでくれている。それがひどく怖くて、愛おしかった。ずっとずっと、ふわふわとした浮遊感に漂っていたのだ。もしかしたら、熱に浮かされていた可能性もあるが、それでも私にとってその瞬間は、それこそ人生で一番幸せな時と言ってよかった。奇跡は起きる、らしい。
家に着くと、すぐに部屋のベットに連れて行かれ、そのまま寝かされた。おでこが冷たくなると同時に、母から水をもらった。ぐにゅぐにゅする氷枕で頭を冷やしながら目の前にいるなまえと何を話そうかと考えた。
「静香ちゃん、しあわせ?」
幾分か私よりも低くなった身長で、正座をしながら私に問いかける。その瞳には、私以外何も見えなかった。
「ううん。なまえがいないから、寂しくて、どうすればいいのか、わからないわ。アイドルになることも、今はとても怖い。誰も、私のことを応援してくれないから」
「そんなことないよ。静香のお父さんは反対してるけど、お母さんはきっと静香がこんなにも頑張りたいことが分かったら応援してくれると思うし、他にもファンとかできるんだったらいろんな人から応援されると思う。それに、お父さんだって結果を出せば認めてくれるでしょ」
「違うの……本当だけど、嘘なの。私は、なまえに応援されなくちゃ、アイドルになれない……」
「わがままだね、静香は。私がいなくても、空から応援してるよとか言ったって、静香は信じないんでしょう?」
「ごめん……ごめんなさい……」
「謝るくらいならやめちゃえばいいのに。変な意地はってさ」
手のひらを強く握られる。痛くて痛くて、目の前のなまえがなまえじゃないように思えた。なまえは、こんなにも強い力で握り返すことなんてないし、強い言葉で言い返すこともないのに。それでも私は、なまえを信じたかった。目の前のなまえが生きていて、私に会いに来てくれたと思いたかった。
「ごめんなさい……」
懇願するように謝る。なまえがどうか私のそばから離れませんように。なまえがどうか私を応援してくれますように。なまえがどうか、私を好きでいてくれますように。
「静香はもう中学生なんだよ? そんなに私にしがみついていていいの? もう一年も経ったっていうのに。はやく忘れればいいのに、なんで?」
「無理なの。できないの。私にはそんな、こと……」
「わがままだね、静香は」
「なまえ……お願いだから、嫌いにならないで……わがままでごめんなさい……直すから、嫌いにならないで……!」
「……今までずっと、静香のこと見てたよ。手紙だって、写真を燃やしたことだって、卒業式で私が呼ばれるかもしれなかった番になった時に探してたこととか、毎朝私の家に仏壇に拝みに来るけどインターホンを押す前に少し覚悟をしていることとか、全部」