那智とおばあちゃん提督
海は穏やかになった。謎の艦艇“深海棲艦”、彼女らはいなくなったのだ。未だに突然いなくなった謎は解明されていない。だが時間がたてば真実がわかるのだろう。

 だが、今重要なのはそんなことではないのだ。人間ではなく生物でもない私たちを、無機物の私たちを、兵器の私たちを、何も知らない私に愛を教えてくれた、愛を与えてくれた彼女が、提督が、死んでしまうのだ。

 彼女は海で生まれ育った、そういっても過言ではない。両親は提督として毎日のように海に出ていた。彼女もまた、海を眺めていた幼少期だったそうだ。いつもひとりぼっちだったけど、海を見ていたら自然と心が軽くなって、ひとりだとは思わなくなった。そう、彼女は語っていた。それは本心なのだろう。私には読心術などという不思議な力はないが、彼女の表情、声色、仕草なんかを見ればわかる。

 まあ簡潔に言うならば、そんな幼少期を過ぎて彼女は提督になった。必然、運命みたいなものなのだろう。それくらい、彼女には提督になれる機会と素質があった。そんな提督の、初めての秘書艦が私、那智だったのだ。

 目を閉じれば、鮮明に蘇る思い出は沢山ある。時間は余りないが、一つくらいは話せるな。

 それはまだ提督が着任して間もないころ、書類を片づけるのに手間が掛かり、徹夜が続いていた日の事だった。よくあることに少し休憩、と思って目を閉じてそのまま寝てしまったのだ。提督が頑張っていたのはだれが見てもよくわかる状況だったので誰もそのことは咎めなかったが、私が気になったのは握りしめているリボンの事だった。何時も、出撃の度に制服の胸ポケットにしまわれているその白いリボンはどういうものなのか、詳しくは話してくれなかったが大切な人からもらった、とても大事なものだと言っていた。このリボンがともにあると思うとどんなに大変な作戦でも乗り越えられる。そう彼女は言っていた。

 もうこんな時間か、長話をしすぎたようだ。提督を迎えにいってくる。

*

「提督、まだ海を見ていらっしゃったのですか?」

 車椅子に乗る彼女は夕日に染まる海を見ていた。彼女の瞳には、私ではなく紅くあかく染まった、ゆらゆら揺れ水面を映していた。
 
 もうずいぶんと年がたったものだ。あんなに小さかった提督がこんなにもしわしわのおばあちゃんになっている。時とは不思議なものだ。
 
 私達には時間というものに縛られることのない兵器、人間の姿をしながらも歳は取らず外面的に変化が現れない。もちろん、攻撃されれば外面的な変化は現れる。しかし、人間は何もしなくても歳をとり、変化が現れ、死に近づく。それに対して艦娘は何もしなければ変化もなく、死なんて遠く離れた場所に存在するようなものなのだ。

「海は、私の生きる道だからねぇ」

 私にそう言った提督は、作戦命令を下す時とは全く違う、ゆったりとした口調で笑顔を絶やさぬまま言った。胸がずきずきといたい。花が枯れていくように老いていき、食もどんどん細くなる。死という悪魔が彼女をどんどん追い詰めていく。

 嗚呼、怖い。私が死ぬわけでもないのに、戦場では数えきれないほどの死者が出るというのに、彼女が消えるというのがこれほどまでに苦しいことなのか。涙が出てきた。目の前の景色がにじんでいく。提督の後ろ姿が遠くなっていくような気がした。

「いかないで

つれていかないで」

 彼女は他人の気持ちに敏感だし、涙声になっていたから私が泣いていたのにも気づいていただろう。こんな姿を見せるなんて。とても恥ずかしくてたまらない。だけど、それ以上に、彼女が死という存在に飲み込まれてしまうのが嫌なのだ。

「死は人生の終末ではない。生涯の完成である

ドイツの宗教革命者、マルティン・ルターという方の言葉だよ」

「私たち人は、いつかは死ぬものだ

永遠には生きることはできない

お前の望みは、叶えられないよ」


「那智」


 目頭が熱い、涙が溢れてきた。どうしてなのだろう。どうしてこうも世界は残酷なのだろう。助けてよ、私はまだ提督に死んでもらいたくない。やりたいことが沢山あるのに。一緒にご飯を食べて、映画を見て、ショッピングに行って、一緒に寝たい。普通の女の子として、兵器じゃない私を見てもらいたい、ともに歩み、話し、歌い、時に競い、老いてゆきたかった。彼女の膝に頭をのせ私は座り込む。彼女の暖かさが酷く私の存在を否定した。



こちらの作品はpixivに投稿してあるものです。