きみがかけた
魔法が解けない

夢主が魔法使い。登場人物が怪我をします。


小さい頃に、なんてことのない花が枯れていたことにひどく悲しくなったことがある。なにが悲しくさせるのかまったくわからなかったが、何を言われても、好きなものを与えられても止められないほどに泣きわめいていた記憶。泣き続けて、このまま身体が干からびちゃうんじゃないかってぐらい時間がたった時、私の前に同い年くらいの、うつくしい少女が現れて、小さな声で口にした言葉は、未だに忘れられない。
「わたしはまほうつかいなの。あなたのなみだをとめてあげる」
レモン水のようなさっぱりとした声色は、私の泣き声にはかき消されない。ぽろぽろと流れる涙がしおれた花びらに落ちていく。指先をくるくると遊ぶと、そこから金平糖のようなきらめきが舞って、しわしわに枯れていた花はまたたく間に輝かしい姿へと戻っていった。
「すごい!」
魔法だった。本物の魔法。きらめきながら人間には到底できないような奇跡を起こす。彼女は本当の魔法使いだったのだ。
「ありがとう!」
ぷちりと咲き誇る花を根本からちぎると、私はその魔法使いのやわらかな手のひらに押し付けた。今思えば、せっかく彼女が魔法を使って生き返らせてくれた花をすぐに殺してしまうなんて。彼女はすこし驚いて、それから優しく笑いかける。こんなにも美しい人を見たのははじめてだった。
「なみだ、とまったね」
「わ! ほんとだ……」
いつの間にか大粒の雨のような涙たちはどこかへ消えてしまって、彼女の笑顔につられて私も笑っていた。不思議な雰囲気をまとった少女は、私のぬれた目元をなぞると、ゆっくりと息を吐く。
「ほかに! ほかにはどんなのがあるの?」
彼女の疲れなどつゆしらず、私はもう一度その奇跡を目にしたいと思っていた。きれいな夏の雨が明けたあの日のことである。

それ以降、彼女に出会うことはなく、私は中学生になって、劇場に入って、アイドルになった。キラキラで、ワクワクな、アイドル。
今日もその、アイドルとしてのお仕事。ライブのときはいつも以上に気合が入ってしまう。間近にファンのみんながいて、スポットライトをあびて、どこまでもアイドルとしてキラキラできる気がしてくるから。私の大好きな曲を歌っているとき、少しだけ床が滑った気がした。注意していれば大丈夫だろうと思った瞬間、目の前に火花が飛んだように思えた。体が舞台に叩きつけられて、バチリと強い音が響く。そのまま、私は気絶した。

目を開くと一面の白。ほんの少しだけ天国にきてしまったのではないかと思ったが、ここはただの病室だ。白に統一された部屋。薄緑のカーテンがゆれている。私の左足は包帯でぐるぐる巻きにされて、どれだけ力を入れても動きそうにない。というよりも、力がまず入らない。左足の感覚が一切ないのだ。
「な、なにこれ……」
どうしちゃったの、私の左足は。なんで動かないの。なんで。
ぽろぽろと涙が溢れてくる。そばにいるお母さんやお父さんに何を言われても、お医者さんに足のことを説明されても、私の涙は止まることはなかった。魔法使いの、あの子に出会った日みたいに泣いていても、私の前に現れることはなかった。

△▽△▽△


入院してから、一月はたっただろうか。ベッドにずっといるという感覚は、時間の進みもどんどん遅くなっているようで、ここに来てからあまり時計を見ることはなくなった。
頑張って片足で歩けるように練習しているけど、もうあの舞台に立つことはできないんだと思うと、あんまりリハビリに積極的にはなれない。

ときどき、劇場のみんながお見舞いに来てくれることもあった。静香ちゃんも翼も、今の私を初めて見た日は泣いていたっけ。おんなじステージにもう立つことはできないっていうことは多分プロデューサーさんから聞いていると思うんだけど、それでも会いに来てくれるのは、アイドルじゃない私でも、みんなと一緒にいていいって言われているみたいで、素直に嬉しい。

△▽△▽△


くらいくらい雨の降る夜。あの時のことを思い出して、なかなか寝付けないでいた。まぶたを閉じると、今でも鮮明に舞台の上での景色が見える。キラキラ光る世界が頭から離れない。目の前に赤いペンライトが揺れている。アイドルになる前、私は何をしていたのだろう。どうやって生きていたのかな。

そうして、気づいたら泣いていた。涙があふれて止まらなかった。どれだけこの先のことを考えても、あの時目にしたきらめきに全てが負けてしまう。大人になって、楽しいお仕事に就けたとしても、大切な人ができたとしても、どうなっても、劇場の、ステージの上で見た、あのまぶしくて、目がくらむようなきらめきに、全部全部かないっこない。もう一度、あのステージに立ちたい。もう一度、あの景色が見たい。劇場の、静香ちゃんと、翼と、みんなと一緒に、ファンのみんなの前で歌いたい。踊りたい。そう思っても、私の左足が動くことはなかった。

「未来、未来は奇跡を信じる?」

ふと、そんな声が聞こえた。さわやかなレモン水みたいな声。

「あなたは……」
「私、魔法使いなんだよ。未来の涙を止めてあげる」
黒髪を揺らしながら、あの時と同じように私に笑いかけた。今度は私と変わらないくらい大きくなって、夜空を照らす星々みたいに、私の前に現れたのだ。

「私の名前は……別に言わなくもいっか。そしたら早速、未来の願い事を教えて。なんでも叶えてあげる」
魔法使いさんは、私の手を取ると、まっすぐに見つめてくる。
「……お願い、もう一回ステージに立たせて。ステージで歌いたいの、踊りたいの……みんなと一緒に、あの景色が見たい」
「うん。いいよ。叶えてあげる」
「ほんとなの……?」
「信じてくれないの? 本当はそんな運命を捻じ曲げること、大きな対価が必要なんだけど、そこは私がどうにかしてあげる。魔法使いの私に任せて」
「でも、どうしていきなり……」
「特に理由はない……わけでもないよ。でも、今までも未来のこと、ちょっとだけお助けしてたんだ。私の魔法というよりも、この世界に存在する魔法はどんどん科学に負けちゃって、そんなに強力なことは簡単にはできなくなっちゃったんだけどね……あの日、未来と出会ってから、私は変わったの。それまでは魔法使いになんてなりたくないって思ってたんだけど、未来の笑顔を見て嬉しくなっちゃった。私はね、未来に救われたんだよ。だからその、恩返し」
にこにこと笑いながら、着々と準備を進める魔法使いさん。私に救われた。その言葉が、胸をぽかぽかとあたためる。
「私、ずっと魔法使いさんのこと、覚えてたよ」
「そうなの……? 恩人に覚えられているなんて、そんな名誉なことはないなあ」

「じゃあ、目を閉じて」
「うん……」
「未来はきっとできるよ。なんだってなれる。ずっと未来の頑張りを見てきた私が保証してあげる。だから、絶対に諦めないでよね、アイドル」
「もちろん! 約束、するよ。トップアイドルになる」
ゆっくりと、まぶたになまぬるい何かが触れた。そのままぱちぱちと目の奥で何かが弾けて、目をつむってもステージのきらめきは浮かんできた。もう一度あの場所に立てるなんて、あの輝きを見られるなんて、夢みたいだなって思いながら。

そのまま眠っていたようだ。目が覚めると夜は明けていて、私の左足はなんてことないように動くようになってしまった。お医者さんも看護師さんも、お父さんもお母さんも、プロデューサーさんもみんなみんな驚いて、奇跡だ奇跡だ〜って私に笑いかけてくる。本物の魔法だった。人間には到底できないような奇跡を起こして、彼女は去っていった。本当の魔法使いだったのだ。

今でもときどき、ステージに上がる少し前に目をつむると、奥の方で何かが弾けているような感覚がする。私にはあの子の魔法がずっとかけられていた。

title by 毒と魚