天海春香さんに慰めてもらう
オリジナル要素の強い話です。夢主というよりかは、オリジナルキャラクターというような感じの話です。そしてオリジナルの二次元アイドルがいます。名前は「七井えま」で固定です。なので、なんでも許せるという方向け。恋愛要素はありません。
事務所は真っ暗だった。今日は社長も小鳥さんもまだ来ていないようで、物音一つしない。私の体温で生温くなった鍵でドアを開ける。電気をつけ、給湯室でコーヒーを淹れていると朝日が上ってきた。なにか食べようと思い、冷蔵庫の中身を見たが、入っていたのはコーヒーに合うようなものではなかった。
テーブルの周りにあるダンボールの中で『なまえ』と書いてある紙が貼られたものから手紙を取り出す。『七井えま』が国民的アイドルになり、全国のファンから届けられる手紙は相当の量だ。暇な時間があれば目を通すようにしているが、いくら読んだったて減らない。だが、読むのは苦痛ではない。何しろ、『七井えま』のことが好きな人が愛をこめて一文字ひともじ綴っているのだ。自分の関わっているものを愛してくれていることは、手放しに嬉しいこと。自分のことではないにしろ、読むだけで元気がもらえる。手紙の端からレターカッターを入れ、封を開けると綺麗な文字で書かれているものだった。
「七井えま、みょうじなまえちゃんへ
はじめまして。私は二十代の事務職に付いているものです。自己紹介では名前を書くべきなのでしょうが、恥ずかしいので伏せておきます。私が次にファンレターを送るときはきっと、えまちゃんが引退する時だろうし、なまえちゃんに私のことを覚えてもらいたいがために送ったわけではないので。それに、えまちゃんはすごく有名なアイドルになったから、きっとこの手紙もたくさんのファンから送られてくるファンレターの中の一通だし。もっと言うと読まれない可能性だってあるから。
長々とした前書きは措いといて、私が二人のファンになったきっかけを書きますね。
まずは、七井えまちゃんから。
えまちゃんと私が出会ったのは桜が散り、初夏になった頃のことでしょうか。まだ私は仕事に慣れてなく、失敗ばかりしていた時期のことでした。休みの日に、ぼーっとテレビを見ていたんです。この時、まだ765プロダクションや、七井えま自体も世間には全く浸透していなかったから、きっと見ていた番組は深夜帯のものだったと思われます。突然、所謂『二次元アイドル』と呼ばれるものが画面いっぱいに映しだされ、歌い始めたのです。自暴自棄になっていた私は、彼女の歌にのめり込んでいました。彼女が歌っていた曲は、その時の私にピッタリ当てはまるようなものだったのです。運命の出会いとでもいうのでしょうか、今の私にとっても大切な歌で、たくさんの方に知ってもらいたい曲です。
次に、みょうじなまえちゃんとの出会いですね
えまちゃんの曲に元気をもらってすぐのことです。翌日、仕事が終わったあとにえまちゃんのCDを買いました。クレジットに書かれたなまえちゃんの名前。透き通っていて、影のあるその声に私は惹かれました。優しくて力強い歌声で『七井えま』というアイドルを際立たせ、より魅力のある人物にしてくれる。そんな影の役者のなまえちゃんがすごく好きです。これからも、貴方の歌声で世界を魅了し続けてください。
先月発売された、CDも買いました。こちらのCDの楽曲は、すべてなまえちゃん自身が作詞をしたと聞きました。どの曲も心に響き、えまちゃんとなまえちゃんが好きなことを、再確認したように感じます。
そして、来月には七井えまちゃんの初のソロライブですね。
倍率が高いなか、チケットが取れたことは本当に奇跡だったと思います。えまちゃんのソロライブ、楽しみにしております。
これからの、ご活躍をお祈りいたします。お身体に気をつけてお過ごしください。」
文を読むことも、書くことも好きだ。だからこそ、時間を作ってまでもファンレターを読みたくなってしまう。まだまだ仕事まで時間はある。次の手紙に手を伸ばした。
「七井えま様へ
はじめまして、貴方という存在を心から崇拝し、信仰しているものです。
私の人生は、七井えま様という神をもひれ伏すような高潔さの塊の人物に出会い、大きく変わりました。この世界で彷徨っていた私を導いてくださったのは、七井えま様なのです。貴方様には感謝してもしきれないほどの御恩をもらっています。そして、それと同時に、愛というものも貰っていることも、また事実です。私は、七井えま様の一番のファンだといえます。誰にも負けないくらい、貴方様のことを思っているのです。きっと私は、貴方様がいなければ死んでいたでしょう。私にとって、それほど大きい存在なのです。
七井えま様という、完璧な偶像。その姿に、心惹かれました。
だからこそ、私はみょうじなまえが認められずにいます。七井えま様のすべてが好きです容姿や声、性格からすべてに至って、好きです。それらが存在しない、偽物だとしても。だけれどもみょうじなまえは、貴方様に声という命を与えるのと引き換えに、七井えま様が存在しないという事実をより際立てているんです。そのことが、すごく悲しくて、すごく受け止められないのです。貴方様のファンでありながら、このようなことを思っているのが大変申し訳なく感じます。いつかは、みょうじなまえを認められるようになれたらいいなと思っております。」
誰にだって、苦手なことや嫌いなことはある。私にだってある。それを、手紙にして書いて送ってくれた、差出人はすごいと思うし、きっと七井えまの事がすごく好きなのだろうなと思う。それでも、少しだけ悲しかった。少しだけ冷めてしまったコーヒーを手に取りながらもう一度読み返していると、ドアの開く音がした。
「おはようございまーす」
「春香さん、おはようございます」
小さな声で挨拶をした春香さんは、私が声をかけると驚いた顔をした。
「なまえちゃん! もう事務所に来てたんだね。私が一番乗りかと思っちゃた」
「朝早く起きてしまって」
「本当! 私もなんだよね。いつもは時間ギリギリなのに」
笑いながら、話しかける彼女は、一体どれだけの人に愛されているのだろうと考えてしまった。虚しいだけなのに。
「ねえねえ、それってファンレター?」
「はい、そうですけど……?」
「こんなに朝早くから読んでるんだね! 私も空いた時間があれば読んでるんだけど、なかなか減らないよね」
「そうですね、でも全部読んじゃいます」
「うんうん! わかるよ〜その気持ち! 一文いちぶん噛みしめるたびに、アイドルやっててよかったな〜って思えるよね!」
「あの、春香さん」
「ん?なあに?」
「どうして、アイドルになろうと思ったんですか?」
こぼれた言葉は、きっと私の内心を表していたのだと思う。心のなかにとどめておけばいいものを、少しの妬みから言ってしまった。別に、タブーなんかではない。ためになるような話が聞けることは確かだが、自分はなんだか悔しくなってしまう。いやみったらしいけど、こんなファンレター、春香さんはもらったことないんだろうと考えると、すごく惨めな気分になる。どうして自分だけ、こんな思いをしなければならないのかって。おんなじように、ステージの上でキラキラできると思ったら、私はただ「七井えま」の後ろで独りよがりに歌っているだけだ。たとえ私の歌をほめてもらおうとも、結局は「七井えま」の声をしている「みょうじなまえ」であって、私自身ではない。
「わ、私?えーっと、長くなっちゃうけどいいかな?」
首を傾げながら私に聞いてきた春香さんは、すごく可愛くて……私とは、まるで違った。
「大丈夫ですよ。仕事はまだまだ先ですし」
「そっか、ならよかった。うんと、私はね、小さい頃から歌うのが好きだったんだ。近所の公園のお姉さんと私と友達みんなで歌って、褒めてもらったんだよ〜上手だねって、それで私アイドルになろうって思ったの。もっとみんなと楽しく歌いたいなって。」
「みんなで、楽しく……」
「えへへっ、なんだか恥ずかしいな〜、それで、なまえちゃんは?」
「え!?」
「なまえちゃんは、どうしてアイドルになりたいって思ったの?」
「わ、わたしは、だれかに必要とされたいって思って。目に見える形で、私がここにいるんだって残したかったんです。でも、春香さんや千早さん、美希さんなんかを見て私もおんなじようにキラキラしたいって、笑顔をみんなに届けたいって思ったんです」
「そう言ってもらえて、すごく嬉しいなあ。……でも、今のなまえちゃんはすごく悲しそうな顔してるよ。あの時の、私みたいに」
悲しい顔してるなんて、そんな。私、いつもみたいにしてるのに。けど、春香さんだって涙をこらえてるように見える。きっと、春香さんの言うあの時の私を想像しているのだろう。
「……そんなこと、ないですよ。いつもどおりの私ですよ」
「嘘は、よくないよ。強がってたら、いつか絶対に、後悔しちゃう。アイドル、楽しいんだよね? ファンのみんなに笑顔を届けたいって思ったんだよね? そしたら、そんな顔してたらだめだよ。誰かを笑顔にしたいなら自分が笑顔じゃなきゃ、誰かに楽しんで欲しいのなら、なまえちゃんが楽しくないと無理だと思っちゃうな」
「でも、私は……」
「たとえ、自分の姿が見えないとしてもファンのみんなはわかっちゃうよ。厳しいこと言ってると思う。でも、私はなまえちゃんにアイドル、楽しんでほしいの。私達を見てキラキラしたいって、笑顔を届けたいって思ってくれたのなら、なおさらだよ」
「……アイドルを楽しむって、私にできますかね」
「簡単じゃないのかもしれないね。それでも、少しだけどもいいから、お仕事してるときに思い出してくれないかな? アイドルは楽しめるんだって。辛いお仕事もたくさんあるとおもうよ。でも、でもね、楽しむことができたらきっと、えまちゃん、ううんなまえちゃんは自分の中の理想のアイドルになれると思うよ」
私の隣に座る春香さんは、とてもかっこよかった。今まで、理想のアイドルなんてよくわからなかったし、誰かを目標に仕事をしているわけではなかった。でも、私の目をしっかりと見つめている春香さんは、私の理想のアイドルだ。きっと、こんな風に強くなりたかったのかもしれない。
「え、偉そうなこと言っちゃったなあ。あはは……あっ! も、もうこんな時間だ! テレビ局行かなくちゃ!」
照れながらも慌てると、急いでソファから立ち上がった春香さんの次の現場入りは、二時間後だ。
「なまえちゃん、私はなまえちゃんの歌、すごく好きだよ」
そう振り返らずに仕事に向かった彼女は、トップアイドル「天海春香」であり、どこにでもいる普通の女の子の「天海春香」だった。