終わりのことを眠れない頭で考える
「なまえさん、緊張してる?」
「え、なんでですか……?」
「だって、いつもより全然表情硬いからさ。まあいよいよ大舞台だもんな」
「うまく、笑えてないですか」
「今のその表情が笑顔なら、うちの自慢のアイドルとしてステージには上げられないかもな。トイレでもいって、落ち着いてくれば。時間になったら連絡するから」
「あ、ありがとうございます!」
私のマネージャーはいつも優しい。いろんな人から慕われているのがよくよく理解できる。細やかな気遣いと、その人のことをよく知っていなくちゃできないようなアドバイス。私にはもったいないくらいに素敵なお仕事のパートナーだ。WINGなんて大きな大会に出たことがない私はいつも以上に心臓がばっくばくだったわけだけど、マネージャーの言葉でちょっとだけ気持ちが切り替わる。私を応援してくれているみんなに、今日のステージも楽しかったなって思ってもらえるような笑顔にならないと!
大きな会場に見合ったトイレには誰にもいなくて、すごく静か。それがなんか、逆に落ち着いてくる。
「……ん」
鏡の向こうの私は、あんまりにもな表情をしている。ほっぺたの肉をつまんで、上に持ち上げる。結構減量したつもりなのに、まだまだぷにぷにだ。てのひらで、ほっぺたをぐにぐにと動かして、深呼吸。メイク、落ちてない……よね。
これから、WINGの準決勝。めっちゃ緊張してきた。競い合う子たちは、みんな見たことある子で、思わずマネージャーに確認しちゃったもんね。私場違いじゃないですか!? って。大丈夫らしいけど。
私がひとり悶々と鏡に向かってにらめっこをしていると、ドアが開いた。ヒールを鳴らしながらその子はやってきて、ドアから一番近い鏡の前に立つ。私のふたつ隣。突然の来客に驚いて、私はじっとその人を見つめてしまった。
七草にちかさん。最近ものすごい勢いで人気のユニットを続々と売り出している283プロダクションの人。マネージャーも、何度か挨拶したことがあるけど、いいところなんだろうねって言ってた。七草さんは、私とはあんまりオーディションもテレビ番組もかぶらなくて、たまに局の廊下で会って挨拶して……ってぐらい交流は少ない。だから声をかけていいのか、迷ってしまう。
うつむき洗面台に手をついていた七草さんは、ぱっと顔を上げる。能面みたいな、色のない表情。メイクでどうにかなっているけど、近くで見ると顔色も悪いし、隈もひどい。WINGに向けて、相当な練習をしてきたことがわかる。さっきの私みたいに、七草さんはほっぺたをもちあげて、笑顔をつくる。ものすごく、アイドルみたいな素敵な笑顔。手を離すと、もとの表情に戻る。それを何度か繰り返して、私はたまらず声をかけた。
△▼△▼△▼△
「あの、緊張されてますか……?」
「……えっと」
WING準決勝。これを勝たなくちゃ次に行けない。アイドルを続けられない。お姉ちゃんとの約束。鏡に写った私はひどく焦燥している。本当に、上手くいくの? なみちゃんみたいになりたくて、ここに来れば、素敵な靴がたくさん履けると思ってたのに……今の私、アイドルなのかな。鏡に写った私が、無理に笑って、ああ、だめなのかもって思っちゃった。そうして、知らない子がいつの間にかとなりにいて、声をかけてきた。誰だか、わからない。出場者なのはわかるけど、ずっと自分のことで必死だったから、ライバルのことなんて全然確認していなかった。
「わ、私、みょうじなまえって言います! 緊張をやわらげる方法っていくつかあって、やっぱり一番は深呼吸なんですけど、香りもすごくよくて! ええっと、ここに……アロマディフューザーっていって、手首にコロコロ〜ってするだけで、香りがほんのりつくんです! これ、本番10秒前でもできるんで、とってもおすすめです! あ、ラベンダーって苦手ですかね? ローズウッドはこのポーチには入ってないな……」
緊張……しているのかな。なんだかもう、よくわからなくなってしまった。ただ、ここで負けたら私はアイドルをやめなくちゃいけないって、続けられないんだって。目の前の子が慌ただしくポーチをあさりはじめて、この子には次があるんだろうかと考えてしまう。
「あ、あの……」
「はい! 七草にちかさん……ですよね!」
「そう、ですけど……」
「ラベンダーは……!」
「え……」
「苦手ですか!」
「いや……」
「ちょっと失礼します!」
「え、あの」
手首をやんわり掴まれて、ひんやりとした金属に触れる。ラベンダーの香りが広がっていく。その香りで、自分が緊張とは別のなにかを抱いていることに気づいた。わからなくて、怖いんだ。なみちゃんみたいに完璧なパフォーマンスができるわけでもないし、私らしいというステージングもできない。ステージに立つのは、八雲なみではない、七草にちかでもない、中途半端ななにか。そんな私が、勝って、どうなるの?
「どうですか……! 緊張、やわらぎませんか!」
「ま、まあ……」
「よ、よかった〜! こんな大きい舞台、緊張しちゃいますよね! 一緒に頑張りましょうね! じゃ、失礼します!」
「あ……」
キラキラした、私が憧れたアイドルみたいな笑顔を見せて、あの子は去っていった。もう一度鏡に向き合って、無理やり笑顔を作る。あの子みたいな笑顔。ステージに上って、結局私は上手く笑えずに、あの子が勝って私はアイドルをやめる。お姉ちゃんとの約束通り、WINGで負けて、私のアイドル人生は終了。憧れだけじゃなんにもならなくて、にちかは平凡に、普通の日常に戻っていく。あんまりにも簡単に想像できちゃうね。
それから、私は準決勝を1位で突破することができた。プロデューサーには、いい笑顔だななんて言われて。なみちゃんになりきれない、中途半端な私の手首からラベンダーの香りがする。あの子は舞台袖で、悔しいと泣いていた。
title by 毒と魚