春日未来はまだ夢を見ていたかった
 突然、プロデューサーに劇場が潰れると言われたのは、いつのことだっただろうか。
 その日は、たしか雨が降っていた気がする。家から出るときは雲一つない快晴で、傘が必要だなんて思っていなかったから、ずぶ濡れで事務所に入ったことも忘れてはいない。
 プロデューサーが、大事な話があるといって50人全員を収集することは、珍しいことは珍しいけど、それでも半年に一度ぐらいはあった。それは、大きな会場でライブをするということを皆に伝えるとき。だから今回も、ライブのことを伝えるのだろうと思っていた。
 呑気に雪歩さんから渡されたお茶を飲みながら、次のステージに思いを馳せていると、古いドアが音を立てながら開く。
 それなりに儲かっているはずなのに、一向に事務所はここから変わる気配を見せない。私はこの場所の雰囲気はとても好きだが、少々50人が入るには狭すぎる。雨で空気が湿って、人口密度も多いためか、プロデューサーはジャケットを脱いだ。
「実は、みんなに言わなければならないことがあるんだ」
 なんて、すごく真剣な顔で一文字ひともじを噛みしめるように言ったのをよく覚えている。
「再来月をもって、ミリオンオールスターズは、解散する」
「……へ?」
 解散。その言葉が頭に響く。
 最近、プロデューサーがお偉いさんと揉めていることはなんとなくだが雰囲気で察していた。別段、仕事の量が減るわけではない。勢いに乗っていた私たちには、大人の事情というのも関与しづらかったのかもしれないと、私なりに考えていたのだが、まさかここまで大胆にも迫ってくるとは。
「うそ、うそですよね? ドッキリとかじゃないですよね?」
「どっかにカメラ回ってたりせえへんの!? そないなこと本当なわけないですよね、プロデューサーさん!」
「プロデューサーさん、縁起でもないこと言わないでくださいよ〜」
嘘なんかじゃない。プロデューサーがいくらなんでも、こんな悪質な嘘、つくわけがない。
「本当だ。本当、なんだ」
「そんな……」
 雨雲に覆われていて陽の光が差さないから、なんて言い訳は虚しいような雰囲気。みんながこんなにも落ち込んでしまうのも、よくわかる。デビューしてまだ2年。テレビ出演も盛んになって、私達だけが出演する番組も、深夜帯ながら全国ネットで放送している。劇場外でのライブも増えたし、まだまだこれからだって、そう意気込んでいたはずなのに。なのに、終わってしまうのだから。

 その日は、すぐにお開きとなった。まあ、唐突なグループ解散に動揺して、いつも通りにレッスンできる気はしなかったから、私もそのまま荷物をまとめていたのだが、駅までいつも一緒に帰る未来が全く事務所のソファから動こうとしない。動揺しているのもわかるが、いつまでもこの場所にいられるわけではないから、声をかけた。
「未来、あのさ」
「なまえちゃん、レッスンしよ! 踊って、歌おうよ!」
 いつもと変わらない、笑顔で私を誘う言葉は残酷で、それ以上に終わってしまうことに動揺していない未来が怖かった。きっと、未来は受け入れられていないから、いつもと同じように過ごそうとしているのだろうけど、異常なほどのその行動は、一つの執着のようにも思える。アイドルを続けたいと、永遠にこの日常は、夢は終わることを知らないのだと。


 解散が現実だということを受け止められても、その感傷に浸っている時間はなかった。それは、解散する当日に行う武道館でのファイナルライブの準備や、いま出演している番組のことだったり、アイドルを続けるかどうか、などのたくさんの用意が必要だったから。
 私達のような学生のほとんどは、アイドルをやめる。桃子ちゃんは例外で、他の事務所に移って芸能活動を続ける。きっとあの子のことだから、演技の道に進むんだと思う。他にも、のり子ちゃんはプロレス関連、歩ちゃんはダンサー、美奈子ちゃんはご両親の中華屋を継いで、風花さんや莉緒さん、このみさんたちはbarを開業するらしく、それぞれが違う道を歩もうとしていた。

「未来は、アイドルやめるの?」
 偶然にも、レッスン室に私と未来だけしかいなかったから、気になっていたことを聞いてみた。他の子達のアイドルをやめてからの話は、風のうわさや本人たちから直接耳にしていたが、未来ことだけは何一つ知らなかった。
「う〜ん、そうだなあ……私、まだね、解散しちゃうことに全然実感が持てないんだよね。奈緒ちゃんも言ってたけど、いきなりドアが開いて、大成功〜! って書かれた看板持った小鳥さんが出てきてくれるんじゃないかなって。……ほんとはわかってるんだけどさ。たぶん、だよ。たぶんだけど、私は将来のことを考えてアイドルをやめるよ。でもね、夢みたいな今の日々が永遠に続いて欲しいし、そうであるって思ってるから、本当に最後の最後の日まで、みんなには内緒にしておこうと思うんだ」
「……私には、言ってもいいの?」
「あっ! 言っちゃった! だ、だれにも話さないでね! 二人だけの秘密だから!」
 夢みたいな日々が終わらないで欲しいと願う未来の瞳は、ステージの眩しいライトに照らされたみたいにキラキラしてて、アイドルになりたいって夢を諦めないその表情に、空気が暖かくなるように思える。いつまでも、永遠に、未来はアイドルで居続けたいんだろうなって、なんとなくだけどその気持ちがわかったように感じられた。


 ファイナルライブが、もう数時間したら始まる。ずっとずっと憧れ続けていた武道館。みんなでこの場所で、デビュー曲を歌おうって約束してたんだ。
 私たちミリオンスターズは、このファイナルライブをもって解散し、一人ひとりが自分の道を進んでいく。この先、私達同士がアイドルとして会うことは決して無いのだと思うと、すごく寂しい。毎日劇場に足を運んで、他愛もないことで笑って、悔しいことがあったらともに泣いて、全てを共有してきた仲間との日常が、今日で終わってしまう。こんな風に可愛い衣装を着ることも、メイクをしてもらうことも、スタッフさんの駆け足を聞くことも、皆で円陣を組むことも、何もかもなくなってしまう。一瞬を、噛みしめるように今日を過ごそうと思ったのは、今頃になって解散することが胸の奥にしみこんだからだ。

 キラキラとした衣装を着て、メイクをしてもらうこの瞬間が、私はとても好きだ。普通の女子高生だった自分が、色々な人の手によってアイドルとしての私へと生まれかわる。それはこの場所にいるアイドル全員に与えられた権利で、とても贅沢なことだと私は思う。ホワイトをベースとしたチュチュ・スカートの、キラキラと光に反射するスパンコールはステージからの観客席に見えて、けっこう好きだし、個々の好きなものとか、テーマカラーとか、それぞれにあった衣装はやっぱり特別なものなんだと強く感じられる。
「なまえちゃん、いよいよだね。これで終わっちゃうってこと、頭ではわかっているんだけどさ。でへへへ」
 薔薇色のアクセサリーは、未来に似合わないようで似合っている。左右非対称なスカートは、元気いっぱいな彼女の個性の一つ。
「未来らしいね。それで、今日のセリフは覚えてる? ステージに立つといつも頭の中が真っ白になって、静香ちゃんとか翼ちゃんに頼んでるんだから、全部は暗記できなくても復習だけでもしておいたほうがいいんじゃないかな」
「はっ! そうだ、私今日の開場アナウンスと、最初のMCの司会だ! すっかり忘れてたよ〜。ありがと、なまえちゃん! 今日のライブも、精一杯頑張ろうね!」
 頭を掻きながら、笑みを浮かべる未来は、いつもどおり。正直に言えば、今日で終わるってわかっているけども、なんとなくこの笑顔を目にすると日常に戻った気がしてしまう。
 時計に視線を向けると、ライブまでの時間は後1時間ほどだ。刻一刻と終わりの時間が近づいている中で、立ち止まっている訳にはいかない。最終確認をしようと、まだふわふわとした気持ちの私は、メンバーの元へ早足で向かったのであった。


 ヒールが床を蹴る。カツンと響くその音は鼓膜を揺らす。舞台裏にはステージからの曲が漏れ出して聞こえるのにもかかわらず、足音だけが脳内を駆け巡る。
 数十秒前に、私は最後のライブでのソロ曲を歌い終わり、笑顔で感謝を伝えた。今までで一番大きな会場、たくさんの声援に囲まれながら歌えたのは、本当に幸福でしかない。ファンの皆や、765プロのメンバーたち、プロデューサーさんやスタッフさんのおかげで、私はステージの上でパフォーマンスできたことを、再確認できたのはとても良かったことだと思う。
 それでも、あの場所で私は最初から全力を出し切れていなかった。気持ちではわかっていたけれども、どうしてもそれを認めたくない自分がいて、アイドルにこれほどまで思い残りがあるなんて。後悔、してる。もっといいパフォーマンスが絶対出来たはずなのに。
 悔しい思い、してほしくないから。今の気持ちを話そう。
「未来、ただいま」
 楽屋に戻り、額の汗を拭う未来に声をかける。
 部屋にはモニターが設置されていて、ライブの映像が生中継で流れていた。今は可憐ちゃんの歌だ。皆が思いおもいに、ここまで歩んできた道のりでの物語と、たくさんの感謝を込めた歌は、聞いていてとても気持ちが高ぶる。私もこんなふうに歌いたいと、もっともっとステージに立ちたいと、思わせる、そんな歌声だ。
「あ、なまえちゃんおかえり! ステージすごかったよ! も〜ずっと魅了されちゃって、画面から目が離せなかったんだよね!」
 未来は、セットリストの中ではいつも最後にソロ曲を歌っていた。今回も、それは変わらずに個人曲の中では、一番最後に歌うことになっている。何度も何度も重ねてきたライブで、よくあったセットリストの順番のように思えるのに、緊張を余りしない未来が汗を流しているのは、今日が最後、だからなのだろうか。


***


 おでこから汗がたらたらと流れてくる。ううん。暑い。楽屋にいて、クーラが効いていると言っても、季節は夏だし、衣装は暑い。それにライブの熱気が扉や壁、モニターを越してガンガン伝わってきて、すっごく暑い。ついでに付け足すと、数十分前には歌いながら踊っていたから、まあ汗がでるのは仕方がないのかも。自然現象だとしても、大切な衣装を汚しちゃいけないし、メイクも落ちたら直すのが大変だから優しくタオルで拭う。
「未来、ただいま」
 可憐ちゃんの澄んだ歌声に釘付けになっていたからか、なまえちゃんが目立たないように音を出さずにドアを開けたのかは分からないが、私は突然のことにすこし、ほんの少しだけ肩を揺らした。
 目の前のモニターで見ていたからわかっていたが、この場所に戻ってきたことで更に私の心に深く刻まれる。ソロ曲を、歌い終わったということが。
「あ、なまえちゃん、おかえり! ステージすごかったよ! も〜ずっと魅了されちゃって、画面から目が離せなかったんだよね!」
 もしかしたら、声が震えていたのかもしれない。これ以上なまえちゃんのお客さんの前で披露する歌を、仲間として、アイドルの春日未来として聞くことができなくなるということが、ひどく心に響いてくる。
 なまえちゃんは、すこしだけ険しい顔をしていた。
「ね、未来。準備まで、まだ時間あるよね。話、したいんだ」

「未来はさ、もうアイドルやめるって気持ちはできてる? まあ、あと少しの時間でこのライブが終わっちゃうことはどんなことが起こっても覆せないことだから、気持ちも何もないっちゃないんだけど。あー、隕石とか大地震とかそういうのは別にしてだけどさ。とりあえず、聞いておきたいなって」
 くるくると指通りの良い髪を指先に巻き付け、目線を外しなが聞いてくる姿は、こういう質問をするときにはきっとよくないんだろうけど、今はそんな事はどうだってよかった。私たちは中学生だし、聞きづらいことには聞きづらいって表情で問いかけてもいいと思うし、自分を全て隠すような事は大人になってからするほうがきっと楽しいはずだと考えているから。
 本当のことを言うとするならば、今の今まで大きな会場でライブができるという嬉しさと緊張から、アイドルを引退するという現実に目を背けていた。ライブのことだけに集中しようなんていう言い訳付きで。もちろん、ライブに集中することは基本中の基本だし、それは出来て当たり前のことだけど、いわゆるファイナルライブというやつはこれっきりだし、いつもとおんなじ気持ちでステージに立ったら絶対に後悔するってわかってたから、きちんと理解して、受け入れなくちゃだめだってわかっていたんだけど。
「それが、まだ、実感がなくて……なまえちゃんは?」
「私も、実を言うと、あんまりにも現実味がなさすぎてふわふわした気持ちだったよ。でもね、ステージに上って、歌ってわかったよ。いつもは笑顔で私達を見て、応援してくれるファンの皆が、泣いてたんだ」
 優しく、私に話しているというよりも、自分自身に聞かせているような声色でなまえちゃんは気持ちを言葉にしていく。
「私達のお仕事は、夢を見せて、いろんな人を笑顔にすることなのに、おかしいよね……でも、永遠に醒めない夢なんてないんだよ。どんなに楽しい夢だって、どんなに悲しい夢だって、どんなに続きを望んだって、夢は醒めて、朝日は昇って、現実が戻ってくる……って、なにいってるんだろ。こんなこと話すつもりじゃなかったんだけど、私はさ、未来に今日のこのステージで、全力でファンにぶつかってほしいんだよね。なんとなくの気持ちで、アイドルやめるってことと、ライブって大きな事に頭がかき乱されたまま歌って、途中で気づいた私は今後悔してるから。きっちり決心つけて、今までの感謝とか色んなモノ詰め込んだ未来の歌、聴かせてほしい」
「…………ステージに立ってからじゃ、やっぱり遅いかな」
「遅いでしょ」
「うっ……!」
「なーんて、半分ウソで半分ホントだよ。未来がまだ気持ちの整理がついていないんだったら、ステージに立ってからでも良いと思うよ。それでも、歌う前に、想いを伝える前に、ちゃんとわかっておいてほしいな。それに、未来は最後だからちょっとぐらい長引いても大丈夫でしょ。一応ソロのトリなんだし、歌じゃなくて、言葉で時間稼いでもいいのかも」
 微笑むなまえちゃんの表情に、声に、張り詰めていた緊張がすこしだけほぐれた。なまえちゃんには、助けられてばかりだなあ。


 あと数分で、私の出番。なまえちゃんには、この後の準備なんかがたくさんあるのにもかかわらず、そばにいてもらっている。仲間でしょ、なんて優しく言われていまえば、断る道筋なんて途絶えてしまうもの。迷惑だってわかっているけど、なまえちゃんに背中を押されれば、勇気が出るはずだから。
「ねえ、なまえちゃん。今この瞬間だけは、まだ夢の中だよね」
「……うん。まだ、夢、見てる……最後の素敵なキセキ、未来の全部出し切って、思いっきり、盛り上げてきな!」


 マイクのスイッチを入れると、ガチリと重たい音がした。深呼吸を数回繰り返して、ゆっくりと息を吐き出す。ちょっと痛いぐらいに叩かれた、なまえちゃんの手のひらの熱が背中にまだじんわりと残っている。なまえちゃんは、ライブの本当に直前になると熱くなりすぎる癖があるのだ。緊張をほぐそうとさっきのことを思い出していたというのに、声が震えてしまいそう。
「えっと、みなさん、盛り上がってますかー!」
 野太い声が上がりながらも、鼻を啜る音が混じっている。ファンの皆も、今の私と、同じ気持ちかな。
「今からも、盛り上がる準備はできていますかー!!」
 私のイメージカラーの、薔薇色のサイリウムがゆらゆらと踊っている。まるで、私が観客みたい。
「きょ、今日で、お別れの準備は、できてますかー!!!」
 こんなこと、本当はいいたくないよ。ずっとずっと、ステージに立っていたい。
「これから先、なにがあっても、私達のこと、忘れないでいてくれるって、誓ってくれますかー!!!!」
 忘れてほしくない。
「みんなが、みんなが覚えてくれていれば、たとえ今、この瞬間だけの輝きだとしても、私たちは永遠にアイドルでいられます」
 ずっとアイドルでいたい。
「私たちはみなさんに、元気だったり勇気だったり、何か少しでも、頑張ろうって思える気持ちだとかそういうものをあげられたのかなって勝手に考えてます。そのために、少なくとも私は、アイドルをしていました。だから、もしも私達のステージとか、笑顔とかに特殊な力があって、あなたに私たちの気持ちが届いていたなら、そのことを覚えておいて欲しいです」
 みんなに、伝わっているかな。
「でも、それ以上に、みなさんが私たちアイドルに、たくさんの笑顔や元気、悔しさや涙を与えてくれたことを忘れてほしくないです」
 私の気持ち。
「私たちアイドルは、みなさん一人ひとりによって支えられています。どうか、ほんの少しでもいいんです。覚えていてください。私たちのことを!」
 ねえ、なまえちゃん。私たちはもしかしたら、誰かの夢の中で、永遠のアイドルでいられるのかもしれないね。
 ……やっと、わかった。これで終わりなんだって。わたしがみんなに想いを伝えられるのは、これで最後なんだって。
「私らしい、私の全部を捧げた曲。みんなのまぶたの裏に、焼き付けるくらい全力で歌っちゃうから! 一緒に盛り上がろうね! 素敵なキセキ!!!」