明日のあやめ


月曜の朝は特にねむたい。
ふぁ、とあくびを噛み殺したところで、昇降口に入っていく見知った背中を見つけた。


「おはよ、ノブ!」


ポン、と後ろから叩くより早いか、広い肩がくるっと振り返る。相変わらず反応が早い。


「眠そーだな、なまえ」
「昨日テレビで映画やってたからついつい観ちゃってさ〜」
「俺も昨日は日付変わるまでゲームしちまった」
「それでよく朝起きれるね」
「体が慣れてっからな。今日一限なんだっけ」
「たしか古典」


そりゃよく寝れそーだ、とノブが下駄箱を開けると、取り出した上履きと一緒に何か白いものが滑り落ちてきた。


「ノブ、今なんか…」
「あ?」


拾い上げようと視線を落とした時、私たちは同時に言葉を失った。

それは手紙だった。
薄いピンクの封筒には、小さく真っ赤なハートのシールで封がしてある。
…これはどう見たって、


「ラブレターだぁっっ!!」


張り上げた大きな声に、「うるさいぞ清田!」と牧先輩のこれまた痺れるような怒号が飛んできた。

怒られたノブは「すんません!」と返事もそこそこに、手紙を素早く拾い上げて表裏を確認する。どこにも宛名や差出人は書いていない。
でも、間違いなくノブの下駄箱から出てきたのを、私もこの目で見た。


「すげー。初めてもらったかも」


透かしてみたり、指で擦ってみたりして、ノブはもらった手紙に早速興味津々な様子。
そんな彼に半分視線を寄越しつつ、足元に放った上履きにつま先をさし入れる。


「…よかったね」


おう、とはにかみ、ノブは大事そうにブレザーの内ポケットに手紙をしまいこんだ。

私もローファーを下駄箱にしまおうとして、扉にガツンと当たってしまった。見られてないし誤魔化してやり直すけど、明らかに動揺してる。
そういえば私もラブレターをまともに見たのって初めてかも。でもそれが、よりによってこんな状況…


「教室いこーぜ」
「あ、うん」


1人で気が遠くなっていたところに、声をかけられて我に返る。いつものように隣に並んだけど、あわてていつもより少しだけ距離を取って歩いた。



〻 



「清田、ラブレターもらったんだって?」
「お前っ、なぜそれを…!」
「でけー声が廊下まで聞こえたっつの」


結局全然眠れなかった古典の授業後の休み時間、クラスの男子達に冷やかされて、ノブがたじろいでいる。


「清田がラブレターねぇ、」
「意外とモテるらしいよ。この前隣のクラスの子達が清田のこと結構アリって言ってるの聞いた」
「黙ってれば顔も悪くないしね」


たしかに、合同授業や部活なんかでノブに注がれる視線の中には、熱っぽいものもちらほら。
ただでさえ目立つ男だけど、このまま順調に部活でもレギュラーになったら、さらに注目の的になるだろう。

口々に話していた女友達が、ふと私の方をじっと見つめているのに気がついた。


「…な、なに?」
「いや〜?なまえはいいのかなぁって」


前の席に腰掛けた彼女が、含みのある顔で問いかける。
そんなこと言われても…、と思わず軽くのけぞった。
私、ノブの彼女とかじゃないし。


「気が気じゃない、って顔してる」
「え、うそ」


指摘されて思わず頬を抑えた時、一緒の輪にいた女友達が「ねぇ、清田!」と声をあげた。


「ラブレター、私らにも見せてよ」
「何、お前も清田のこと…」
「なまえが気になるって」
「?! 何言って…!」


続けられた爆弾発言にびっくりして反応する。思わずノブともろに視線がかち合った。
周りの男子達も、あーなるほど、なんて小さく頷いてる。何、その反応。

それで、当のノブはというと。


「相手の女子に悪いだろ。だからこれは誰にも見せん!」


キッパリと言い切って、胸の前で腕を組んだ。


「なによー、ケチ〜」
「残念だったな、みょうじ!」


何故か慰められてしまい、私はますます居心地が悪くなって顔を逸らした。
なんかゴメンね、って謝る友達にも拗ねたふりをする。

でも、元々ノブはこういうやつだって知ってた。
見ず知らずの相手でも、向けてくれた気持ちを真剣に受け止めて、大切にしようとする。
代わりに私が恥をかいたけど。
相手の子も、きっとノブのそういうところに惹かれたんだろうなぁと、痛いほど共感できる。


「ま、返事は決まってるけどな」


だから、そんな言葉で追い討ちをかけないでほしいなぁ。



〻 



「んじゃ、行ってくるわ」


昼休みを告げるチャイムが鳴るやいなや、ノブが椅子から立ち上がった。
早く行け、とかえって追い払われて、顔には困ったような、でもやっぱりちょっと嬉しそうな色が滲んでる。
一通り揶揄われた後、髪を手櫛でひとかきして教室を出ていった。

あーあ、行っちゃった。

購買で買ったパンは一向に手が進まない。そもそもお腹が空いてない。
ぼーっとしていると、なまえ、と呼びかけられた。


「私らはなまえの気持ちを尊重するよ。でも、ほんとにこれでいいの?」


思わず言葉に詰まる。
伝えなければ、これ以上傷つかなくて済むのかもしれない。一番じゃなくても、友達のままではいれるのかもしれない。

ノブに彼女ができるなんて、全然おかしなことじゃないし、こんな日が来ることもそう遠くないって気づいてた。今日までこの関係に甘えて、行動を起こさなかった私にツケが回ってきただけ。
だから今更必死になるなんてみっともないって分かってるけど、


「…よくない、と思う」


ノブが誰かの彼氏になるなんて、やっぱり嫌。
このまま勇気を出せないまま、無かったことにするのはもっと嫌。

女友達が顔を見合わせて、にっと笑った。


「まだ間に合うよ」
「ファイト、なまえ!」


うん、と頷き、食べかけのパンをカバンに押し込んで席を立つ。
飛び出した廊下の窓から、中庭の方へ歩いていくノブの姿が見えた。


「ノブ!!」


窓から声を上げても、こちらを見向きもしない。やっぱり出入り口まで回るしかない。
足がもつれそうになりながらも、一段飛ばしで階段を駆け降りる。
やっとのことで外に出ると、遠くにノブの背中が見えた。


「ノブっ、待って…!」


ぜえぜえと息が上がって、語尾はほとんど消えていた。
身体に力が入らない。せめて昨日夜更かししなきゃよかった。お昼のパンもちゃんと食べといたらよかった。

追いかけていた背中は振り返ることなく、やがて見えなくなる。
あと少し、なのに。


「行かないで…」


へたり、とその場にしゃがみこんだ。
ここまで来ても結局何もできなかった自分が情けなくて、ノブが他の誰かと結ばれてしまうのが悔しくて、鼻の奥がつんとする。そんな資格もないのに。

熱のこもったシャツの中に風が入り込むのに従って、少しずつ頭が冷えてきた。気づけば昼休みも半分以上過ぎている。
背中を押して送り出してくれた手前、申し訳ない気持ちを抱えたまま教室へと踵を返そうとした時、


「何してんだ、なまえ」


頭上から降ってきた声に、はっとして顔を上げる。


「……どうして….」
「何だよその顔、」


目の前のノブが、訝しげに眉を上げた。
なんで、ここにいるの。彼女は。

すると何かを察したのか、ノブは少し気まずそうに「あー…」と頭を掻いた。


「その…人違い、だったわ」
「……はっ?」
「告白相手。下駄箱間違えたんだとよ」


下駄箱を間違えた…?
そういえば、うちの学校の下駄箱は無記名式だったと思い出す。ラブレターを入れた彼女が他クラスの子だとするなら、正しい場所を把握できなかったことにも納得できる。


「でも、中身、見たんでしょ」
「昼休みに中庭に来てとしか書いてなくてよ。行ってみてびっくりしたぜ」
「そ…そうなんだ……って、うわっ」


ふっ、と力が抜けた隙に、ノブが私の腕を掴んだ。くるりと身体を反転させられ、来た道を戻るように歩き出す。


「で、なまえは気になって俺をつけてきたのか」
「そっ…!別につけてきたわけじゃ、」
「俺がOKすると思った?」


続けて尋ねるその顔が、いかにもいい気になっていて鼻につく。どうなんだよ、と肘を小突かれた。


「だって…、嬉しそうだったし。返事は決まってるって」
「ま、嬉しいのは嬉しいけどよ」


ほらぁやっぱり、と顔を指差すと、いやいや、と首を振って指を掴まれた。触れた手のひらが存外熱くて少し驚いた。


「するわけねーだろ。俺が好きなのはなまえなんだから」
「はいはい、………って」


あまりにもさらりと言ってのけたので、危うくスルーしかけた言葉を、慌てて捕まえてから頭の中で反芻した。
「え」の形で開いた口が、塞がらない。

目の前のノブはといえば、自分で言ったくせにみるみる顔を赤らめていく。
固まってねーでなんか言えよ、とせっつかれて、小さくうん、とだけ返した。




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